第8話 ダグラス・ウェイバー・後編

 廊下に出てきたのはフェレナードだった。


「どうしたの」

「……場の助けを借りようと思って」


 溜息混じりの声は、疲れているように聞こえた。


「一階の作業部屋?」

「そう、カーリアンが使ってた部屋」


 フェレナードは質問に答えながら階段を下りていく。この時間なら、王子はとうに寝ているだろう。護衛のもう片方の対象を放っておくわけにもいかず、インティスも付き合うことにした。

 フェレナードの魔法の師であるカーリアンは、かつて一階の作業部屋で魔法や薬の研究をしていた。今魔法陣であちこち行き来できるのは彼女のおかげだ。

 フェレナード曰く、彼女の周りには常に精霊がいるのだという。人間の目に見えるものではないが、魔法を使う人間にはその気配がわかるらしい。精霊魔法に精通している彼女が使っているこの建物は、主人がいなくても影響をもたらすらしく、フェレナードが何か作ったり、大きな作業をする時は必ずここを使用していた。

 薬屋側のカウンターからも繋がっているその部屋は、開けると様々な薬草の匂いが入り交じっていた。

 壁は全て棚になっていて、大小様々な引き出しや瓶、箱などが納められている。床には古びた壷がいくつも置かれ、いずれも何が入っているかはほぼ主人にしかわからない。天井からは乾燥させた薬草が何束も吊されていた。

 持ってきた文献を狭い部屋の半分を埋めるテーブルに置き、真ん中に置かれたランプにフェレナードが手をかざすと、ふっと明かりが灯った。それはフェレナードが文献を開くと、文字が読みやすくなるように炎が大きくなる。

 これが彼の言う場の力か、と側に立つインティスは目を細めた。


「……力を借りるといっても、彼らは知恵を与えてくれるわけじゃないんだけど」


 それでもすがりたくなるくらい、解読が行き詰まっているということだ。


「そうだ、あの三人の特訓はダグラスに頼むことにしたよ」


 インティスがおもむろに話題を切り替える。

 高校生たちの経験不足を補う案として、一応フェレナードにも相談していた。

 要職ではあるが、実際の身辺警護は師団の者が行う。ダグラスが現場に出るのは有事の際のみで、普段はもっぱら書類を相手にすることが多いからこそ、高校生たちの訓練に引っ張って来られるのではないかと考えたのだ。

 彼はこの国で屈指の強さを誇る。フェレナードも納得した。


「彼なら適任だろう」

「うん。これで少しあいつらが仲良くなれるといいんだけど」


 違う話を出したことで、フェレナードの表情が少し和らいだように見えた。


「……そういえば、今日ダグラスの子供の頃の話を聞いた。知ってる?」


 話題ついでに、インティスは今日あった出来事も共有しておくことにした。


「ああ……、北部の自治区の話。聞いたことはある」


 フェレナードからも簡単に聞いたが、ダグラスから聞いた話と一致していた。


「俺がこの城に来て少ししてから聞いた話だ。懐かしいな」


 彼が机に頬杖をつくと、銀の髪がさらさらと手前に流れてくる。フェレナードはそのまま当時を思うように目を伏せた。


「……戦いに巻き込まれるのは、いつも覇権争いとは無縁の層。争いたがる連中は守られてるから、命の危険がない」

「何の話?」


 インティスが首を傾げて尋ねる。


「ダグラスから当時聞いた話さ。俺も見解は一致するから、彼が貴族を毛嫌いする理由も少しはわかる」

「貴族を毛嫌い? ダグラスが?」

「そう」

「……それは初めて聞いた」


 インティスは驚いたまま、近くにあった椅子にすとんと座った。


「わざわざ広める話じゃないからな。それに、俺が聞いたのは十年くらい前だし、彼の考え方もいい加減丸くなってると思うよ」

「そんなに前の話か……」

「あの頃は二人でふざけて話してたこともあったからね。北部の自治区を無理矢理にでも統一させるにはどうすればいいかとか、貴族の家柄ごとに王子の味方かそうでないかを分けてみたりもした」

「物騒だな」


 それしか言葉が浮かばない。王子の教育係と近衛師団長が揃いも揃って。


「当時俺は城に来たばかりだったから、周辺の情勢についての教育も兼ねてたんだ。その後貴族の何人かと話したことがあるけど、ダグラスの分け方は大体合ってた。今は俺や王子が貴族たちと接触しないよう、ダグラスが間に入ってくれてるんだ」

「ダグラスがまとめてる第三師団は王子の身辺警護担当だから、ってことか……」

「そういうこと」

「はぁ……」


 ダグラスが貴族たちの対応をしてくれるおかげで、王子は安全だし、文献調査にも集中できるというわけだ。

 インティスはげんなりしたように頬杖をついた。今聞いた貴族の話のように、水面下で動く人間というのは苦手でしかない。

 話が一段落したところで、フェレナードが持参した文献を本格的に開いた。一緒に持ってきた覚え書きのような紙の束も一緒に。


「夜も遅いし、きりがいいところまでやったら、寝た方がいいんじゃない」

「……この暗号が解けたらね」


 フェレナードはそう言って、首を縦には振らなかった。

 またその回答だ。いつも彼は、インティスの言うことを聞かない。

 ここ一、二ヶ月は特にその頻度が多い。

 それは嫌な予感のような、違和感のような。


「……っ、あんた、最近おかしいよ」


 思っていたことは、すぐに口に出てしまった。

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