第8話 ダグラス・ウェイバー・前編

 六月最初の週の放課後は、三人でダグラスの特訓を受け続けた。

 いくら筋肉痛だと訴えても聞き入れられない。腕や足をぎしぎし言わせながら、彼の剣の打ち返しにひたすら耐えた。

 それにしても、近衛師団第三師団長という彼の強さは底が知れない。初日なんて、三人同時にかかって行ってもまともにこちらの攻撃が当たることがなかった。それぞれの持っている武器や魔法の軌道の先を見極め、どれも必要最小限の動きでかわしたり、打ち返してくる。

 授業が終わって帰宅し、そこから彼らの世界であるネラスへ向かい、ダグラスの特訓を三時間ほど受けるのはなかなか大変だ。

 と思っているのは優貴だけだったようで、暁もことみも平気な顔をしていた。確かに暁は優貴と比べれば体力がありそうだし、ことみは中学の頃は陸上部だったのだ。




 ちょうど特訓最終日の三日目、その日の半分を終え、ようやく少しの休憩が与えられた。

 優貴は肩で息をしていて、ことみや暁も少しは疲れていそうなのに、ダグラスはやはり息一つ乱していない。


「ねえ、どうしてダグラスはそんなに強いの?」


 優貴はダメ元で聞いてみた。ここまで違うと、元々初期能力が高かったのではと思いたくなるものだ。


「最初から強かったのかってか?」

「うっ……」


 ダグラスに質問を先回りされた。それほどよくある質問なのだろう。


「誰でも最初から強いわけねぇだろ」

「そ、そうだよね……」

「てことは、ダグラスも特訓したの?」


 ことみが更に突っ込んで聞いた。


「んー……」


 ダグラスはその質問に、しばらく顎髭を撫でながら考える。


「……そうだなあ、特訓というか、生きるためにいつの間にかこうなってた、ってのが正解だな」

「生きるために?」


 強くなりたいから努力した、という答えを想像していた優貴たちには意外だった。こんなに平和に見える世界なのに、まるでサバイバルを経験してきたような言い方だ。

 その疑問についてもダグラスは答えてくれた。


「この国は主だった争いもなく平和だが、俺の出身はここじゃない。北の森の向こうにある自治区でな。みんな統治者になりたがるもんで、争いが絶えねえのよ」


 三人ともその説明に納得した。平和に見えるのはこの国の中だけだったのだ。

 ダグラスは続ける。


「あそこは昔から王家やその近辺の貴族から爪弾きにされた連中が多くて互いに仲が悪い。内紛やら紛争が当たり前だったな。武器も……魔法がなかった代わりに爆薬なんかを使って、毎日領地や権力を巡って殺し合いだ。俺は十歳の時にそれに巻き込まれて、住んでいた家を壊された。俺自身はたまたま瓦礫の下敷きになって助かったんだけどな」


 軽妙な語り口だが、内容は重い。


「自分じゃ抜け出せねぇまま、目の前で親兄弟が殺されていくのを瓦礫の陰で見てったよ。三日間くらいそのままで、様子を見に来た連中に助け出された時にはもう俺しかいなくて、今に至るってわけだ。あの時は剣の一本も持てなかったが、それでも生き残っちまったら生き抜くしかねぇだろ」


 今までテレビやニュースの中でしか知らなかった出来事が、急にすぐ側に迫ってきたような気がした。それがここの現実なのだ。


「後はもう、傭兵として死に物狂いで戦って結果的に、というところだな」

「……す、すごい……」


 近衛師団は一般的に王家に関わる組織だから大体は親戚などで構成されるはずなのに、目の前の彼は実力だけで今の地位にいる。


「何もすごいことはねぇさ。本来は師団長を継ぐ家系がいくつかあったんだが、みんな弱くて使い物にならなかっただけだ」

「だからダグラスがやることになったの?」


 家系が絡むと何だかめんどくさそうだと、優貴は思った。


「まあ……他にいなかったからな。足並み揃えたまどろっこしいやりとりよりも、実力のある人間が一人立った方が早い時もある」


 それはできる人間だからこそ言えることだ。

 結論、死ぬ気でやればできる。

 根性論になってしまったが、どうやら特訓も続けていくしかないようだった。



    ◇



 筋肉痛の体で自分の世界に戻る。

 この三日間、とにかくずっと剣を振り回しているので腕が痛い。あと肩と背中。普段大きな動きをすることがないので、股関節も痛かった。

 明日は土曜日で学校は休みだから、午後から集まって遺産を守る鶏への再挑戦を予定している。今夜は夕食が終わったら早く寝なければ。


「優貴、ちょっと」


 階段の下から母親が声をかけてきたので、ドアを開けて返事した。


「何?」

「明日もおばあちゃんちに行くけど、あんたも行くでしょ?」

「え?」


 明日は午後から鶏戦だ。


「あ、明日はちょっと無理……」

「明日も? 先週もパスしたじゃない。おばあちゃんが会いたがってたのに」


 優貴は子供の頃に行った時の息苦しい空気を思い出した。例え向こうが会いたがっていても、自分は会いたくない。


「いつなら来られるの。たまには顔出しなさいよ」

「え、えっと……」


 母親に迫られ、期末テストの勉強期間になれば……と苦し紛れに答えた。カレンダーを見たが、あと一週間くらいだ。

 何とかそれで母親を納得させ、ドアを閉めた。

 溜息混じりでベッドに座って、ここ三日間のダグラスとの特訓のことを思い出す。

 ことみも暁も、元々運動神経がいい。二人の成長が早いのは、一緒にいて嫌になるくらいわかった。

 それはそれまでかわせなかったダグラスの剣をかわせるようになったり、彼らの攻撃が当たるようになったり、という部分だ。

 自分にはそういう兆しがまだ見えない。いくら繰り返しても当たらないものは当たらず、前途多難としか思えない。

 そのまま仰向けにベッドに転がった。できないことだらけで溜息が尽きない。

 行きたくないなぁ……という思いが、一瞬頭をよぎった。

 いやいや駄目だろ、と慌てて思い直し、よぎった頭をぶんぶん振って、思考を振り落とす。

 明日学校行きたくないなーとは訳が違うのだ。コトミとアカツキを頼んだよ、というフェレナードの言葉を思い出す。

 若返りの呪いは、解けなければいずれ命に関わるはずだ。

 何とかして守護獣をやっつけて、呪いについて書かれた文献を持ち帰り、王子にかけられている呪いを解かなければならない。

 暁は喧嘩が強くて、ことみは陸上部の下地がある。しかし、戦力としての自分には何もない。何かしなきゃ駄目だ。あの二人に少しでも追いつかないと。

 その日から、優貴はささやかながら少しずつ腕立て伏せを始めた。まだ筋肉痛で腕や肩が痛むが、剣を持つのだから腕立て伏せは恐らく直結する。毎日とりあえずこれだけはやろうと、優貴は心に決めたのだった。後でインティスにだけ宣言しておこう。誰かに言っておけば、無言不実行にならずに済むと思うから。



    ◇



 高校生たちが自分の世界に戻り、夜も更けた頃、インティスが城に戻ろうと薬屋の戸締まりをしていると、同じ二階の魔法陣の部屋で物音がした。

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