第7話 放課後作戦会議・後編
遅くにわざわざやって来て、フェレナードを呼んでほしい、という真剣な表情のローザを前にして、インティスは頼みを断る理由が見つからなかった。
彼女を二階の食堂に待たせ、その向かいの大部屋にある魔法陣から、城の自室にいるフェレナードを呼びに行く。
ほどなくして食堂に姿を現した彼は、恐らく一日中部屋に引きこもっていたのだろう、濃い色の室内着の上から大判の肩掛けを羽織っただけの姿だった。
「ローザ……こんな時間に来て、クラシェーダ卿は」
「大丈夫よ。その……昨日は父が本当にごめんなさい」
フェレナードの唇の端は、まだ少し腫れが残っているように見えた。
彼女が深く頭を下げるので、フェレナードが慌てて言葉をかける。
「いや、あれは私が悪かった。次からはちゃんと傷を……」
彼が最後まで言い終わらないうちにローザは顔を上げ、首を横に振って彼の言葉を遮った。
「いいの。父とはちゃんと話したわ。私が怪我をしても治さないで。自分のことには自分で責任を持ちたいの」
「……それでいいの?」
確認するようにインティスが尋ねたが、ローザは大きく頷いた。
「ええ。父から文献調査についての承諾を得たの。これでもう文句は言わせないわ」
「本当に?」
フェレナードが聞き返す。
「兄と同じように、この国のためにできることをしたいと言ったのよ」
「なるほど……」
彼女の兄は近衛師団の人間だ。家自体は王家の血縁ではないが、身辺を預かる貴族の家柄としては上位の血筋に分類される。だからフェレナードは彼女を丁重に扱うのだ。
「それじゃあ、改めて文献調査をお願いするよ。予定はインティスたちと詰めてくれるかな」
「わかったわ、ありがとう」
ほっとしたように笑った、彼女の晴れやかな表情が印象的だった。
詳しくは後日、ということでローザは家へ帰って行った。館まで送ろうとしたが、今度は本気で断られてしまった。彼女の決意の表れだ。
薬屋となっている階下で見送り、正面の扉を閉めてインティスが振り返ると、カウンターに寄りかかったフェレナードが難しい顔をしていた。
やっぱりな、とインティスは確信した。兼ねてから予感はしていたが、彼女はフェレナードをただ慕っているだけではなさそうだ。
「……ローザをどう思ってるの」
難しい顔をしていた原因を突かれ、フェレナードの眉間に皺が寄る。
「彼女は協力者だ。それ以上でも以下でもない」
「ローザはそう思ってないかもしれないよ」
はぐらかそうとするのを、インティスはがっしりと掴んで逃さない。
すると、いい加減にしろと言わんばかりにフェレナードが溜息をついた。
「俺は王子の教育係で、今は呪いを解かなきゃいけない。それどころじゃないんだ。それに……」
一瞬躊躇ったが、この場に二人しかいないので言葉を続ける。
「……俺がこの城に来た理由は、以前お前に言っただろ。彼女は俺に相応しくない」
「あれは昔話ってあんたは言った」
「……とにかく、俺は彼女には応えられない。お前にも協力してもらうよ」
不自然な間の後にフェレナードがそう言うと、インティスは呆れたように溜息をついて視線を外した。
フェレナードにしては妙に感情的になっているように見えた。不安定なのは恐らく、文献の解読がうまくいっていないからだ。
その証拠に、その日の深夜になって、彼の部屋の奥から話し声が聞こえた。
相手は女性だ。
「……悪いけど、そういう類の文章は見たことがないわ」
「……そうか」
テーブルに対して垂直に浮かぶ魔法陣が、長い金の髪の女性を映している。彼女がすまなさそうに言うと、フェレナードは見せていた文献を横に置いた。
彼女はフェレナードの魔法の師で、薬屋の主だ。
「カーリアン、そっちはまだかかるのか? どれくらいで薬屋に戻って来られる?」
「その文献とやらのこともあるからすぐにでも戻りたいんだけど、こっちはこっちで色々大変でね。まだ目途が立たないの」
「……わかった。また何かあったら連絡するよ」
「悪いわね」
「いいや」
魔法陣からカーリアンの姿が消え、ただの空間に戻る。
部屋が静かになると、フェレナードは額に手をやり、横に置いた書物を睨んだ。
「……少し寝たら」
会話が終わったのを見計らってインティスが声をかけたが、フェレナードは首を縦には振らなかった。
「まだ試してない解読の方法があるから、それを試してからにする」
「…そう」
そう言って結局寝ないんだろうな、とインティスは思った。
◇
高校生たちの作戦会議は、翌日再開催された。
今度はまともな話し合いになったようだ。
王子とフェレナードには魔法で鍵のかかったそれぞれの部屋にいてもらい、インティスはラウンジで会議の様子を見守った。
最初のうちは誰が始めにけしかけるとか、鶏の羽のかわし方について話していたが、どちらも最後には経験不足であることに論点が集中してしまう。
どれだけこの場で細かく話し合っても、実際に体が動かなければ意味がないという主張は、確かにインティスも頷けた。何かいい方法はないだろうか。彼らの実戦経験に協力できそうなことは。
一人、思い当たる人物がいた。
◇
作戦会議の翌日、高校生三人はインティスから薬屋の二階の大部屋の荷物を一階の物置に運ぶように言われ、放課後の時間をひたすら大部屋の片付けに費やした。
二階の大部屋とは、いつも文献調査に向かう時に使う魔法陣がある部屋だ。着替えもしておくよう言われたので、全員済ませてある。
「人を呼ぶって言ってたけど、誰が来るんだろう」
優貴が素朴な疑問をこぼした。
「さあね」
ことみの返事は相変わらず素っ気ないし、暁においてはリアクションすらしてくれない。
一時間で粗方の荷物がなくなったところに、ようやくインティスが魔法陣でやって来た。
後ろにもう一人見慣れない男がいたが、インティスは紹介もせずに声をかけてくる。
「片付けは終わった?」
「何する気だ」
暁の質問に、インティスは持ち込んだ長い包みを下ろしながら答えた。
「実戦経験が欲しいって言ってたろ。これは訓練用の剣で、切れないようになってる。こっちも、グローブの金属部分が布でできてるから、当たってもそんなに痛くない。魔法は……加減してもらうしかないかな」
「どういうこと?」
次に尋ねたのはことみだ。これにもインティスが答えた。
「俺は王子とフェレの様子を見に行ったりしなきゃいけないから、稽古をつけられないんだ。だから代わりを連れてきた。近衛師団第三師団長のダグラスだ」
「こ、このえしだん……?」
優貴は戦慄した。ライトノベルでは大体激強の集団だ。その師団長なんて。
高校生三人はインティスの後ろに立つ男に恐る恐る視線を移した。
優貴とことみよりも暁の方が背が高いが、その男は更に背が高かった。
真っ黒いマントを左肩の赤い宝石で留めている。その宝石は回りに装飾が施され、勲章のようにも見えた。その下は鎧だ。金属でできていて、この世界に来て初めて目にする鎧だった。
「ダグラス、後は頼む。今日は片付けでこんな時間だから、一時間くらいで」
「おう。ご苦労さんだな」
インティスが後ろの男に声をかけると、足早に魔法陣から城へ戻って行った。
「……さて、一時間しかねえならさっさとやるか」
三人の名前を確認した後、使う物を持って行けと言うので、優貴が剣を、暁がグローブを取る。
「……ふむ」
高校生たちをゆっくり観察し、ダグラスが口の端を上げてにや、と笑った。が、それは口髭に隠れてほとんど見えない。茶色の髪は日本でもよく見るが、顎に沿って整えられた髭と大柄な体は、立っているだけで日本では考えられないほどの圧力を感じる。
「まずは力量を見るとしよう。全員同時でもいい、かかってこい」
ダグラスはそう言うと、腰に携えていた一番大きい剣を鞘ごと構えた。ファンタジー用語で言うなら両手剣と呼ばれる大きさだ。優貴が持っている剣に比べれば何倍もあるのに、彼はそれを両手でとはいえ軽々と構えてみせた。
「……ちっ」
暁が舌打ちして飛びかかる。
以前羊の顔に命中させた拳を繰り出したが、ダグラスはそれを身を翻して避けた。
「……くそ、マジか」
向き直って体勢を立て直した暁が眉を顰めた。厚いマントにごつい鎧、大きい剣を構えているなら、重みでかわせないと思ったのに。
「よ、よしっ」
暁の拳をかわしてしまうのだから、本当に本気で行っても大丈夫そうだ。
優貴は思い切り剣を振りかぶって走り出し、彼が構えているところへ振り下ろした。
ダグラスは剣を横にして受け、そのまま腕力で押し戻す。
「わー!!」
優貴はあっけなく押されて尻餅をついた。
ことみはその隙に炎の玉を放ったが、マントであっさり打ち消されれてしまった。
「……なるほど、これは鍛え甲斐がありそうだ」
一連の動作が終わった直後なのに、ダグラスは息一つ乱していない。
……やばい、本気で強い。
いつも反りが合わない三人だったが、この時脳内では完全に意見が一致した。
「だが、さすがあいつが選んだだけはある。筋はいい」
言い方から、彼はフェレナードを知っているようだった。
インティスとフェレナード、王子やローザ以外の人間と初めて接したこの世界の人物になる。
「大体の程度はわかった。鍛え上げてやるから覚悟しろ」
彼のことを知ると同時に、この日から週五で特訓、土日で守護獣討伐という、とんでもないサイクルでの生活が始まってしまったのだった。
ダグラスについては、また次の話で。
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