第5話 見知らぬお姉さんは回復担当・前編
土曜日が来た。
優貴が母親からかねてより言われていた、祖母の家へ行く日だ。
だが、異世界での呪いに関する文献調査の予定が入ったので、後手ではあったが優貴はこれ幸いと調査を優先させた。
母親には謝って、何とか祖母の家行きを回避することができた。
祖父は画家だったらしいが、亡くなったのは随分前で、優貴はその作品自体を見たことがない。
祖母はしきたりやしつけにうるさく、優貴が小さい頃から大きな音や声を出す度に怒られたので、非常に苦手なのだ。
母方の祖母ではあるが、父はそういう人付き合いがうまくて、祖母の怒りポイントを上手にかわしていく。自分はまだそこまで立ち回れない。だから苦手だった。
「ちょっと、戦う前から死んだような顔するのやめてよ」
「あっ……、ご、ごめん」
思い出したら憂鬱が顔に出ていたようで、ことみから早速ツッコミを食らう。
薬屋から魔法陣で移動し、前回遺産を手に入れた部屋に出ると、次の扉の先は下へ続く階段だった。
足下の細かい砂利を踏む感触で我に返る。すでに文献調査に来ているのだから、気を抜くわけにはいかない。
優貴は気持ちを切り替えようと、大きく深呼吸した。
インティスが手持ちの荷物でたいまつを用意してくれたので、階段は少しカビ臭くて暗かったが足下は保証された。
「開けるぞ」
階段を下りると更に扉があり、ことみと暁もいることを確認して、インティスが開けた。
◇
それから一時間経ち、四人は拠点の薬屋に戻ってきた。
結果として、守護獣には勝つことができた。石でできた猿のようなやつで、腕が長く、恐らく手足には吸盤があって、天井や壁のいたるところでぴたっと体を固定させていた。
前の部屋の羊のように堅い部分はなく素早いだけだったので、行動を読んだ暁が先回りしてぶちのめしてしまうと、その後の核の破壊までの流れはこれまでと同じだった。
先の部屋に進もうとしたが、扉を開けても遺産の箱がなかったので、次も守護獣である可能性を考えて一旦戻って来たのだ。調査は明日再開される。
ラウンジに戻ると、ことみも暁もさっさと自分の部屋に引っ込んでしまった。
暁もことみも強かった。インティスも。暁は拳、ことみは魔法、インティスは剣と炎の魔法。
自分にはフェレナードが最初から剣を持たせてくれたが、全然使いこなせない。
ファンタジーなら他にも武器を選べそうだが、インティス曰く、戦うこと自体少ないから、市販の武器は剣が一番一般的なんだそうだ。
だからといって、今から魔法に切り替える思考はさすがになかった。武器が変えられないとなると、彼らに追いつくには自分の能力を上げるしかない。
「……ねえ」
優貴がインティスに話しかけた。
「筋トレしたら、強くなれる?」
優貴にとっては、直前の戦闘でことみや暁を見ていての疑問だったのだが、質問だけ聞くと極めて単純で、インティスは苦笑する。
「それは……やり方にもよるんじゃない」
「そ、そっか。そうだよね」
答えにくい質問をしたな、と思い、優貴は慌てて言葉を引っ込めた。
「いや、俺はそういうのをやったことがないから、アカツキの方が詳しいと思う」
「え?」
優貴は驚いた。インティスは自分たち三人と比べて格段に強いのに、鍛えてない?
力や技、速さの全てを併せ持っている彼に比べれば、自分は駆け出しすぎるレベルだという自覚はある。力は圧倒的に自分よりも暁が上だし、ことみは色んな属性の魔法が使える。そして二人とも自分に比べて断然速い。同じ初心者セットを使っていると聞いたのに、こんなにも違うなんて。
「あいつに聞くのかぁ…」
ついつい溜息がこぼれる。だって聞けそうにない。恐いから。
それを見たインティスがまた苦笑していると、誰かがラウンジの扉を開けた。
「こんばんは。インティス、フェレはいる?」
入るなり話しかけてきた長い栗色の髪の女性は、インティスたちの知り合いのようだ。柔らかい雰囲気で、暖色系の落ち着いた色の動きやすそうな服装をしていた。この調査に協力しているのだろうか。
「あいつは文献の解読中」
「そう……。この間炎で焦げちゃった背中のところを直してもらったから、次の調査から参加できればと思って。どう?」
優貴の予想は当たった。彼女も協力者のようだ。耳に優貴たちと同じような翻訳機をつけていないので、この世界の人間なのだろう。
「本当に? それは助かるな。ちょうど明日行こうと思ってる」
「明日ね、何時?」
「十三。遅くても半刻までに来て」
「わかったわ」
それから優貴と彼女は自己紹介をした。
「ローザでいいわ。よろしくね、ユウキ」
元の名前の長い人がよく言う台詞だ。きっと彼女の名前は長いに違いない。
彼女はことみがいないか気にしていたが、インティスから向こうの世界に戻ったと聞かされ、残念そうに帰って行った。ことみはここに来て既に一ヶ月と言っていたから、仲がいいのかもしれない。
「ローザは魔法を使うんだ。実戦の経験が少ないから、まだ心もとないけど」
「そうなんだ」
彼女が出て行ったドアから視線を外して、インティスが言った。
そういえば、ファンタジーと言うと大体国同士が争っていたり、強大な何かに脅かされているイメージだが、武器の種類が少ない話といい、ここはどうやらそういうことはなさそうだ。自分たちが住んでいる日本と同様、平和に見える。
「今日は泊まってく?」
「あ、いや、一回帰る」
親に外泊すると言っていなかった。このまま泊まってしまうのはまずい。
「わかった。俺は城に戻るから、また明日な」
「城に?」
優貴は思わず聞き返してしまった。
てっきりインティスはここに住んでいると思ったが、違ったようだ。
そして、みんなここを薬屋と呼ぶが、どこがどう薬屋なのかがよくわからない。まだこの世界に来て数日だが、薬を売っているようには到底見えないからだ。
インティスはラウンジから出て行こうとして、思い出したように足を止めた。
「……言ってなかった。俺は王子とフェレの護衛係なんだ。今は二人の部屋に変なのが入らないよう魔法で鍵をかけてるから、こうして動けてるだけ」
「護衛係……」
つい先ほど感じた平和は、実は表向きなのかもしれないと優貴は思った。命を狙われているから護衛が必要なのだ。
「この建物は薬屋の主人から借りてるだけ。主人は……ちょっと出かけてて留守なんだ」
一階が薬屋になっていると言われて優貴は納得した。そういえば一階に下りたことがなかった。
「じゃあ、また明日」
「う、うん」
受け取った情報量が多くて返事がおろそかになってしまったが、インティスは気にしない様子でラウンジから出て行った。
「はぁ……」
話を聞く度に、日本とは別の世界であることを思い知らされる。
それは、ここが架空の世界ではなく、実際に存在している世界ということ。
どうして自分が巻き込まれているのか、直接的な理由はまだわかっていないが、とりあえず明日に備えて帰ることにした。
◇
翌日、優貴はアラームで目が覚めると、スマホの日付表示が六月に切り替わっていることに気が付いた。慌てて部屋のカレンダーを六月にする。
今日は日曜日だ。時間に遅れないよう準備して、移動用端末の魔法陣を起動させた。
向こうに着替えはあるが、両親には外出中とわかるように玄関の外靴も一緒に持って行くようにしているのは、部屋にいない時の理由ができるからだ。外靴があるのに部屋にいないと怪しまれてしまう。
世界をまたぎ、薬屋で割り当てられた自分の部屋に着くと、すぐに着替えを済ませた。昨日と同じ服がクローゼットにかけられていたが、新品の匂いがした。
恐らくこういうのも市販品で、同じものを何着か用意してクリーニングしているのかもしれない。日本にもクリーニング屋はあるから、こっちの世界にもそういう職種があって、手筈を整えているのはきっとインティスなんだろうな、と思った。
◇
ラウンジに出るとことみとインティスがいて、昨日初めて会ったローザも来ていた。
ことみは昨日の服と微妙に色やデザインが違う気がした。さすが女子だ。きっとインティスにそういう注文をつけているのだろう。
ローザは昨日よりもさらに動きやすそうな格好だった。自分たちと同じような厚めの生地のマントをして、肩当てまではないが、着ているのは革を加工した軽めの鎧に見える。
その後暁が遅れてやって来たが、彼の服装が昨日と変わらなかったのは意外だった。どちらかというと彼も服装にうるさそうに見えたから。
全員揃ったのを確認し、二階の大部屋の奥から文献調査に向かう。
昨日猿っぽいのを倒した次の扉を開け、石畳の短い廊下を歩く。
「ここ、お墓なの!?」
ローザから話を聞きながら、優貴は周りに声が反響する勢いで驚いた。
「そうよ。昔、王家に関わる呪いの調査をしていた人がいて、その人が自分のお墓に資料を保管していたのをフェレが突き止めたから、今こうして私たちが調査しているの。ここは地下で、棺は地上にあるのよ。インティス、何も説明してないの?」
ローザは先頭のインティスに声をかけた。
「……そのうちわかると思って」
口ではそう言っているが、インティスの顔には明らかにめんどくさかったからと書いてあるように見えた。
「言わなきゃわかんないじゃない、もー」
「優貴、いちいち大きい声出さないで、うるさい」
「ご、ごめんなさい……」
ローザの呆れた声にことみのツッコミが重なる。
優貴は謝ったが、ことみの後ろで暁の溜息が聞こえた。
後になって、『ネラス・ハール記』に文献調査が墓で行われていることが書いてあったのを優貴は思い出した。
一度読んだ内容は簡単には忘れないはずなのだが、文字で見る情報と実際に目にする情報がうまく結びつかない。ましてや、自分で体験することになるとは思っていなかったから尚更だ。
「……次、開けるぞ」
インティスがそう言うと、その場の空気が一気に引き締まる。
扉が音を立てて開いた。
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