第5話 見知らぬお姉さんは回復担当・後編
扉の先の部屋には箱はなく、昨日と同じようにだだっ広い石畳が広がっているだけだった。
全員が部屋に入ると、暁が一歩前に出た。
すると、それに反応するように部屋の奥から守護獣が姿を現した。
部屋の天井は大人二人分くらいあるが、その高さまである巨大な石の鳥だ。鳥は鳥でも鶏の方。
ということは飛べないはずだ。これは前回のすばしこかった猿よりも楽かもしれない。
「様子を見て来る」
暁は短くそう言うと、部屋の奥の隅まで走った。相変わらず速い。
石の鶏は暁の動きに反応し、飛べない羽を横一文字に払うと、そこから何本もの羽が勢いよく放たれた。
「……っ!」
暁が反射的に飛んで避ける。羽の中には石畳の隙間に刺さるものもあって、先端は鋭くなっているようだ。
鶏が暁の方を向いているのを確かめてから、インティスがすぐ近くの部屋の隅に目をやり、後ろに控えるローザとことみ、それから優貴に声をかけた。
「俺はあっちに行くから、ここで待機して。ローザ、二人を頼む」
「わかったわ」
ローザが頷くと、インティスは先ほど見やった部屋の隅へ走った。
鶏がその動きに反応し、今度は逆の方の羽を払ったが、暁と同じように飛んでかわした。
暁とインティスは走っても十歩ほど離れていて、これは結構遠い。
「アカツキ、こいつも多分核は心臓だ」
「だろうな」
「頭は殴れそうか」
「飛んでくる羽が厄介だ」
「こっちで隙を作る」
優貴が両手で持ち上げる剣をインティスが片手で構えると、鶏に向かって真っ直ぐ走り、地面を蹴って飛んだ。
鶏がインティスへ放った羽を、彼は剣で弾き返す。
そもそも天井すれすれまで飛び上がること自体人間離れしているのに、羽のかわし方を見ていると映画のようだ。
暁がその間に駆け寄り、鶏との至近距離で同じように飛ぶ。彼は初心者セットを使っているから飛べるのだが、優貴がぴょーんと飛んだような緩さはなかった。やはり訓練していると違うのかもしれない。
勢いに任せて鶏の頭部分に拳を叩きつける。際だった堅さはないが、あまり効いてもいなさそうな手応え。
暁が着地すると、そこを目がけて羽が飛んで来た。
「……っ、魔法の方が良さそうだ」
後ろに飛んで避けながら、暁が結論を出した。
「だな、吹き飛ばすか」
着地してから羽を避け、インティスが頷く。
鶏の気を引こうと暁が動いたが、鶏の視線はぎょろんと優貴たち三人に向いた。
「え!? なんで!?」
優貴は明らかに動揺したが鶏は配慮してくれず、鋭い羽が三人目がけて放たれた。
「わーー!!」
バッティングセンターで遊んで動体視力を鍛えていれば、飛んでくる羽に多少は落ち着いて対処できたかもしれない。
だが、インドア派の優貴には避けるという選択肢すら浮かばず、当たらないことを願ってその場で頭を庇うしかできなかった。
「……!! 痛い!!」
けれど、羽は無情にも、優貴が頭を庇っていた腕に突き刺さっていた。
「何のためのマントよ!」
「まだ来る! 避けろ!」
「え! あっ……!」
優貴がマントの存在を思い出した時には、次の羽が放たれている。
いくつもの緊急事態が同時に起こっていた。インティスが駆けつけようとしているが間に合わない。
「っ……!」
咄嗟に優貴を庇ったのはローザで、彼女が伸ばした腕に羽が刺さった。
「下がって!」
ローザはそう言って前に出ると、刺さった羽は抜かないまま、両手を前にかざす。
鶏からすれば、部屋の隅の一人ずつよりも、まとめて三人やっつける方が効率がいいと考えたのだろう。次々と羽が飛んで来たが、自分たちに刺さるギリギリのところで速度を失い、ぽとんと地面に落ちていく。
ローザが魔法で守ってくれていることを、優貴は落ちた羽を見てようやく気付いた。
「物理は効かないってことね」
暁の動きを見ていたことみが、ローザの後ろから炎の玉を放った。
それは鶏の羽に当たって爆発し、その部分を吹き飛ばすことに成功した。
三人は完全に鶏のターゲットにされ、間髪入れずに飛んでくる羽を、ローザが落とし続けている。
だが、ローザの様子がおかしい。肩で息をしていて、酷く疲れているように見えた。どうしたのだろう。
「アカツキ、戻れ!」
インティスは三人に合流するなり指示を出し、ローザに代わって剣で羽をなぎ払った。
「インティス、魔法なら……あっ!」
ことみは爆発させた羽を指さしたが、鶏は再生能力もあるらしく、消失した部分は元に戻っていた。
「それは見た! いいから全員廊下に戻れ!」
「で、でも……!」
優貴は戸惑った。この部屋から出ると戦況はリセットされてしまうと、昨日聞いたばかりだ。
「戻れっつってんだ、戻れ!」
追いついた暁に怒鳴られたら、退却するしかない。
扉を閉め、前の部屋に戻った。
「ねえインティス、どうして……」
「……ローザ、大丈夫?」
優貴はインティスに撤退の理由を聞こうとしたが、彼はそれを最後まで聞かず、ローザに声をかけた。
「大丈夫よ、ごめんなさい」
ラウンジに集合した時よりも、彼女は顔色が悪いように見えた。
インティスはその様子に小さく溜息をついて、ローザの腕に刺さっていた羽を引き抜く。
「ことみ、回復を…」
「いいの。毒は仕込まれてないみたいだし、押さえてれば血は止まるから」
「けど……」
「本当に大丈夫よ。それより、ユウキを治してあげないとね」
インティスが言うのを強引に断って、ローザは止血しながら話の矛先を優貴に向けた。そういえば優貴も腕に羽が刺さったままだ。
思い出した途端にじんじんと痛くなってきて、血が出ているかどうかは恐くて見られない。
日常生活でこんなもの刺さった経験なんてないし、せいぜいカッターで指を切ったことがあるくらいだ。
「ことみ、頼む」
「はいはい」
インティスに言われたことみは面倒くさそうに返すと、優貴の腕からずぼっと羽を抜いた。
「いっ! 痛っ…!!」
「すぐ治すから黙ってて」
「ことみ、いいの。私がやるわ」
「ほんとに? 無理しなくていいのよ?」
「大丈夫、さっきはちょっと失敗しちゃっただけ」
抜いた羽を放ったことみにローザがそう答えると、彼女は優貴の傷に手をかざした。衣服を貫通した穴は塞がらないが、体に受けた傷はきれいになくなり、痛みがすっと消えた。
「……あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
「あんたのためにいるんじゃないわよ」
「ご、ごめん……」
ローザの優しい返事に対し、ことみからのツッコミは常に厳しい。何度彼女に謝っているかわからない。
「ことみ、手首の源石は?」
「壊れてないわ」
その会話を聞いて優貴は察した。手足に着けている初心者セットの小さな石、それらは身体能力を上げたり魔法の源になっているが、多用すると壊れてしまうのだろう。
「ローザ、ほんとに大丈夫?」
「ごめんなさいね、大丈夫よ。ありがとう」
ローザの言葉に、ことみは心配そうに頷いた。鬼のように人の羽を抜いた奴とは思えないほど、しおらしい表情だった。
「どうする」
暁はローザの様子を見ていたインティスに聞いた。この後の調査について、という意味だ。
インティスが溜息混じりに扉を睨む。
「今日は無理だ。動いてる物に反応すると思ったけど違った……ローザが良くなるまでに何か考えとく」
「…………」
暁はしばらく黙ったが、わかった、と小さく返すと、ことみとローザに帰るよう促した。今日は本当にこれで終わりのようだ。
周りはどうかはわからないが、優貴にとって初めて負けた戦いだった。
理由はよくわからないまま、敗北だけが確定した。
◇
「ローザ、怪我をしたって?」
血相を変えてラウンジに飛び込んで来たフェレナードに、ローザは目を丸くした。
「ほんの少しよ。インティス、大袈裟に言ったわね?」
フェレナードの後ろからついて来たインティスに、ローザがたしなめるように言った。
「そのまま言っただけ。トリから羽が飛んで来て刺さったって」
「見せて」
「大丈夫よ。二人とも心配しすぎだわ」
椅子に座るローザに対し、フェレナードは治そうと床に膝をついたが、それもローザは断った。
止血したままだったので、腕に巻いていた布には少し血が滲んでいたが、家に帰れば取り替えられる。
「ユウキを羽から守ろうとして、風の精霊よりも先に、咄嗟に腕を出してしまったの」
「またそうやって無茶を……」
ローザがすまなさそうに言うと、フェレナードが呆れて溜息をついた。
「その後は魔法で防げたんだけど、慌てて自分の力を使ってしまって……、源石に切り替えるタイミングに困ってたら、インティスが助けてくれたのよ」
「あの速さで体が動いただけでも大したもんだと思うよ」
インティスが補足したが、それには優貴も頷くしかなかった。
自分は全く動けなかった。本来であれば、同時に起こる緊急事態をそれぞれ見極め、適切に対処しなければならないのに。
ちなみに、暁もことみも既に日本へ戻っていて、ラウンジにはもう優貴しかいない。
「……とにかく、そういうこと。調査を止めてしまってごめんなさい。インティスが待っててって言うからここにいたけど、もういいでしょ? 帰るわね」
困ったように笑い、ローザが立ち上がった。
「送るよ」
「……え? ちゃんと一人で……」
「いいから、おいで」
フェレナードは何か考えていたようだがすぐに立ち上がり、ラウンジの扉の近くにかけてあった予備の外套を羽織ると、ローザを呼び寄せた。
「ちょっと出てくる」
「ん」
インティスとの短いやり取りが終わると、フェレナードはローザを連れて足早に出て行った。
窓の外はまだ明るいし、ローザは歩けないほどの怪我をしたわけでもない。随分丁重な扱いだ。
「ユウキも戻る?」
「うーん……」
戻っても、特にこの後予定はないし、何故彼が自らローザを送って行ったのかは気になるので、もう少し留まることにした。
◇
薬屋は城下町の中でも比較的治安の良くない裏通りに位置するため、ローザの住む館とは完全に反対方向だ。
「文献の解読があるんでしょう? インティスから聞いてるわ」
「それは君を送り届けてからするよ」
ローザはわざわざ送らなくていいと主張したが、そんな押し問答を何度も続けるうちに中央通りを抜け、結局館の前まで来てしまった。
「門を開けて。門番に頼もうか」
「自分で開けられるわ」
そう言って、ローザは自分で分厚い木製の門を開けた。本来重いものでも、日常の中で頻繁に行う動作は、彼女も自然に精霊の力を借りることができる。これは微々たる力なので、源石に頼るまでもない。
「お帰りなさいませ、ロザリンド様。お連れの方はどちら様ですか」
「こちらは……」
「ローザ、紹介はいい。早く中へ」
「ちょ、ちょっと!」
フェレナードは声をかけてきた庭師を無視するとローザの先に立って歩き、大きな庭の先の正面の扉を開けるよう促した。
ローザは何だか嫌な予感がしたが、開けるしかない。
入ってすぐにフェレナードを帰そうとしたが、彼はすぐに続いて入って来てしまった。
広いホールに飾られた壷などの美術品が、これ見よがしに輝きを放っている。
床の大理石も綺麗に磨かれ、通路を示す絨毯は厚く、柔らかい。
高い天井から下がる大きなシャンデリアが、荘厳な石造りの室内を煌々と照らしていた。
「クラシェーダ卿を呼んで」
「お父様を? 駄目よ、そんなことをしたら……」
冷静に囁くフェレナードに、ローザは思わず声を上げた。
「……早く」
だが、彼の有無を言わせない厳しい表情に負け、渋々召使いを呼ぶ。
少しして現れたローザの父親は、体格のいい軍人のような出で立ちだった。フェレナードはこれまで何度か目にしたことがあり、言葉を交わしたこともある。
娘の後ろに立つフェレナードが前に出ると、父親の眉根に明らかに皺が寄った。
「……魔法学院の若造か」
「……申し訳ございません、私の配慮が至らず……」
ローザの父親はフェレナードの最初の謝罪の時点で、すぐに娘の腕に血が滲んでいることに気付いた。
「貴様!」
「お父様! 待っ……!」
鋭い眼光がフェレナードを捕らえると、娘の制止を振り切った拳は、瞬きよりも速く彼の頬に直撃していた。
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