【番外編】ルーカスの心境
母さんの記憶はもう朧気だ。
俺が六歳の時に病気で死んでしまったからだ。
何となく、自分と同じ黒髪で、暖かくて柔らかくて、いつもニコニコと笑う働き者だったことは覚えている。
そしてそんなに元気だった母さんが、ある時を境にベッドで寝込んでばかりで起きられなくなった時の不安感も。
「リック。ルーカスの事頼んだからね。」
「姉貴・・・姉貴が死んだら俺どうしたら良いか。」
「情けない事言わないの。もう良い大人なんだから。両親が残してくれた家もあるし、ルーカスもしっかりしているし大丈夫よ。」
叔父さんとの会話を聞いて、ああ、もうすぐ母親がいなくなるのだと、感じた事を覚えている。
その会話だけ、不思議とハッキリと思い返すことができた。
「叔父さん。そんなにお酒飲んだら体に悪いよ。」
母さんが死んでから、気が弱くて優しかった叔父さんは毎日お酒ばかり飲むようになった。
元々冒険者の荷物持ちのような日雇いの仕事をしていたみたいだけど、ルーカスと暮らし始めてからは酔いつぶれて寝ている事がほとんどだ。
一日中お酒を飲んでいると、病気になってしまうと聞いたことがあった。
「うるせえ!!ガキが生意気言いやがって!!」
気弱だったはずの叔父は、酔っぱらっている時は乱暴で怖くなった。
ある日のこと、酒を飲んでいた叔父さんが、急に倒れて起き上がらなくなった。
「叔父さん!叔父さん大丈夫!!?」
慌てて誰かを呼びに外へでる。
古くて狭いとは言え、王都の広場にほど近い裏通りにある家は、母さんが生まれ育った家なのだそうだ。
近所の年配の人の中には母さんの話をしてくれる人もいた。
「おやルーカス。どうしたの慌てて。」
近所のおばさんが気づいて声を掛けてくれる。
この人も、小さな頃から母さんや叔父さんの事を知っているらしく、母さんが死んでルーカスがこの街で暮らすようになってから、何かと気にかけてくれていた。
「叔父さんが倒れてしまったんです!」
「リックが?」
おばさんは、急いで家の中に入り、一目叔父さんを見ると、すぐに踵を返して近所の力持ちの男性を連れてきてくれた。
「ただの飲みすぎだよ。一応ベッドに運んでおいてあげるから。」
「でもこんなに具合が悪そうで・・・死んでしまわないかな。」
「死ぬかもね。でもこいつの自業自得だ。飲みすぎで医者を呼ぶバカはいないよ。」
「そんな・・・・。」
母さんが死んだばかりで、叔父さんまで死んでしまったら・・・・。
それに叔父さんは本当は優しい人なんだ。
今は母さんが死んだショックでお酒を飲んでばかりいるだけで。
心配している俺に、おばさんも可哀そうに思ったのだろう。
ある提案をしてくれた。
「・・・ミンタ草でもあれば、少しは回復するんじゃないかい?ポーション作るには薬師か魔術師に頼まなきゃいけないけど、ミンタ草そのままでも少しは効果がある。」
「ミンタ草!・・・でもこの辺では見かけたことない。」
そういえば、母さんと城門の外の村で暮らしている時はそこら辺に生えていたミンタ草が、この街へ来てから一度も見かけたことがないことに気が付いた。
「王都の城門の中にはミンタ草なんて残っちゃいないよ。貴族の敷地でもない限りね。たまに生えても見つけた奴がすぐに採って売っぱらうから。欲しければ城門の外へ行くんだね。」
「城門の外。」
城門の外と言っても、なにも魔獣の縄張りに行くわけじゃない。
魔獣は縄張り以外に出没する事は稀だった。
外には食用になる植物や薬草、普通の獣も数多くいて、一般人でも良く狩りや採集に出ていた。
しかもルーカスは城門の外の村に住んでいたぐらいだ。
城門の中よりも様子は分かる。
「ありがとうおばさん!行ってみるよ!」
子ども一人な事を訝しがる門番さんに、元々外の村に住んでいたんだと説得して城門の外に出る。
城門を出て少しでも歩くと、そこには見慣れた光景、ミンタ草が普通に雑草のようにあちこちに生えていた。
おばさんがミンタ草が売れると言っていたので、多めに採集する。
あっと言う間に持ってきた袋いっぱいに集まった。
キュキュッ
その時、小さくて可愛いらしい声がした。
その声がした方を見ると、少し離れた場所に角が生えているウサギがいた。角ウサギだ。
見た目は可愛いけど一応魔獣。
でもまだ子供のようだ。
「どうしてこんなところに・・・迷子かな。」
ルーカスは迷った。
小さくて可愛いとはいえ凶暴な魔獣。
でもこの子は迷子かもしれない。
この時、集めたミンタ草を抱えてそっとその場を離れるべきだったのだと後から考えれば容易に分かる。
でもルーカスは、子角ウサギに近づいてしまった。
「・・・大丈夫、怖くないよ。魔獣の巣の近くまで・・・・・・!!」
その時、草陰から子角ウサギよりも一回りも二回りも大きな角ウサギが飛び出してきた。
親角ウサギ!!隠れていたのか!!
ギャーオ!!!
親角ウサギがルーカスに飛び掛かってくる。
城門の外の村に住んでいたルーカスは知っていた。
親角ウサギはもう立派な魔物で、訓練していないと大人でも勝てないほどの相手だ。
「うわああああーーーー!!!!!」
ドンッ!!
何が起きたのか分からなかった。
必死で手を突き出して角ウサギを追い払おうとすると、何かが手から出て、角ウサギに当たった。
ピクリとも動かなくなった角ウサギに、恐る恐る、少しずつ近づいてみる。
角ウサギは死んでいた。
「ま・・・・魔法。」
人間は誰もが生まれつき魔力を持っている。
しかし庶民で攻撃魔法が打てるほどの魔力量がある者はほとんどいないことを、ルーカスは知っていた。
「攻撃魔法・・・・俺が打ったのか?」
魔獣は高く売れる。
小さいとはいえ六歳のルーカスには重い死んだ親角ウサギを、何とか引きずらないようにして城門の中まで運び込む。
子角ウサギが追いかけて攻撃し続けてくるので、捕まえて小袋に入れた。
魔獣の素材を買い取ってくれる店を探し、買い叩かれたけど、無事に売る事ができた。
そのお金で、ルーカスは回復ポーションを一本買って急いで帰った。
ミンタ草だけでは、叔父さんがちゃんと回復するか心配だったのだ。
回復ポーションを、零れないように少しずつ、少しずつ口に流し込むと、叔父さんの顔色はみるみるうちに良くなった。もう安心だ。
翌朝、叔父さんは何事も無かったかのようにケロリとして普通に起き出してきた。
いつもより体調が良さそうなくらいだった。
「おい、ルーカス。これはどういうことだ?」
今日はまだお酒を飲んでいないはずなのに、叔父さんが怖い顔をしている。
「何が?」
「これだよ。回復ポーション。こんなもん買う金どっからくすねたんだ??」
庶民にも買える回復ポーションとはいえ、子どもがホイホイ買うほどの金額ではない。
一瞬攻撃魔法の事を話そうかと思ったけれど、なぜか戸惑われた。
「城門の外に出て、ミンタ草を沢山摘んだんだ。それでなんとか、回復ポーション一本分のお金になって。」
「なんだって!?ミンタ草なんて二束三文だぞ。何百本集めたっていうんだ?大体ただの二日酔いに回復ポーション使うなんてもったいない。ミンタ草の一本もあれば十分なんだよ!!」
叔父さんが生きていて嬉しいと感じが気持ちが、急速にしぼんでいってしまう。
嫌いになんてなりたくないのに。
*****
その日からルーカスは、よく一人で城門の外に出かけるようになった。
運が良ければ珍しい薬草も採取できるし、最低でもミンタ草はいくらでも取れた。
それと一人で攻撃魔法の練習をしたかったのだ。
叔父さんは、どんどんお金を稼いで来いと言うくせに、稼いだ金を渡すとどっから盗んできたなどと言う。
―――小さな子供だけに稼がせているという現実と向かい合いたくなかったのかなと、少し大きくなってからルーカスは思いいたった。
そのうち叔父さんの飲み仲間も同じように言い始めて、気が付けばルーカスは街で有名なコソ泥と言われるようになっていた。
いっそのこと攻撃魔法を見せてやろうか。
そう思ってしまうこともある。
でも人間相手に攻撃魔法など使ってしまったら、無事では済まないだろう。
もう少し、大きくなれば。
冒険者として自由に稼いでいける。もう少し。
そのうち城門の外には質の悪い魔石のなりそこないもゴロゴロ落ちている事に気が付いた。
魔石としては質は悪いが、普通に見た目の良い石と思えば綺麗だった。
綺麗な物を選んで持ち帰り、磨いてチャームや腕輪にして売るとミンタ草よりも儲けが出る。
もう少し。もう少し頑張ろう。
でももう少しって、あと何年だ??
そんな日々をどれだけ繰り返しただろう。ある日のこと。
「またお前か!ホラとっとと盗った金出せ!!」
ああ、またか。
ルーカスは思った。
叔父さんの仲間の一人だ。
財布を無くした客の機嫌を損ねないために、財布を盗んだのはルーカスだと罪をなすりつけにきたんだろう。
今日は一度も会ってすらいないのに。
「見てもいないくせに決めつけるな!」
そう反論しながらも、ルーカスはどこかで諦めていた。
こいつらに何を言っても無駄だと。
「おら!立てよ!金出せ!」
「やめろ!触るな!!」
ああもう本当に、攻撃魔法をお見舞いしてやろうか。
そう思った時だった。
「止めろ!先ほどから見ていたが、盗人はお前の方だろう。」
子どもの声だった。
声がした方向を見ると、そこにはそれまでルーカスが見た事もないような、高そうな服を着た、可愛い子供達がいた。
「先ほどから聞いていたが、盗んだ所を見たわけでもないのに、言いがかりも良いところだ。それより無理やりその子のお金を取り上げて、どう見ても盗人はお前だ。盗人どころか強盗だろう。」
子どもの一人が理路整然と男を諭す。
もう今まで何十回も何百回も、ルーカスが訴えてきたことだった。
男だって、きっとそんな事は百も承知だろう。
要はルーカスから金を巻き上げたいだけなのだ。
男もさすがに貴族の子息らしき子どもに分が悪いと思ったのだろう。
渋々ながらお金は返された。
しかし男は、自分は悪くない、貴族の子息に逆らえないだけだとばかりに、ため息を付き、仕方がないと周囲へアピールをしている。
この返された金も、きっと貴族の子息たちが去った後に、また巻き上げられるんだろう。
しかしその子息はそれだけでは引き下がらなかった。
文句があるならハッキリ言えと。
肩をすくめ首を振る仕草がマナー違反で謝罪を求めると、毅然として言った。
ルーカスと同じくらいの年齢なのに。
その瞬間から、ただの可愛い貴族の子ども達が、キラキラと輝いて見え始めた。
なぜか急にサラサラと揺れる金の髪や緑がかった青の瞳が、くっきりとして目に入ってくる。
「あ、ありがとうございました。」
お礼を言うと。
「頭を上げてくれ。当然の事をしたまでだよ。」
キラキラの子どもが天使の微笑みでそう言った。
ヤバい。ヤバいヤバい惚れそうだ。
この子男の子だよな?
繊細な飾りのある可愛いらしい服装だが、どう見ても男物。
いや女の子の可能性も・・・・・。
そんなアホな事を考えていると、男たちに踏み荒らされた売り物を、もう一人の子が丁寧に拾い集めてくれていることに気が付いた。
「あ、そんな。俺がやりますのでほっといて下さい。」
「ううん、手伝わせて。私はシアと言うの。あなたの名前は?」
こっちの子は誰がどう見てもドレスを着ている。
あ、良かった。
こっちは確実に女の子だ。
そんな風に思った事は、本人たちにはいまだに秘密だったりする。
信じられないことにその子供たちは、その日のうちにルーカスを従者として雇うことを決め、見た事もないような立派なお屋敷に連れて帰ってくれた。
そこで従者として働きながらも、一緒に冒険に誘ってもらい、仲間として接してくれた。
セオさんにはノア様とシア様を命に代えても守れと言われたけれど、言われなくてもそのつもりだ。
シア様は初恋の憧れの相手だけど、ノアも恩人であり、今では同じ学園に通う無二の友人だ。
だから。
「クソ――――――――――――――――!!!どけ!!!!!」
シア様の危機に、ブチ切れて我を忘れているセオさんを見て。
「どうして!!どうしてあの二人と離れたんだ。山の探索なんて一人で良かったのに!!」
「モモ!シア様が限界になったらこっちのことはどうでも良いからシア様の方へ行けよ!」
「セオさん、落ち着いて!!とにかく、出来る限りの速さで、進もう!!」
「分かっている!!」
あ、敵わないな。と思ってしまった。
ずっとずっとノアとシア様を守ってきたセオさん。
二人が小さい頃から、明らかに仕事の為というだけ以上に二人を守っていたけれど。
でも思えば二人が別々に分かれる時、セオさんは必ずシア様に付いて行っていた。
俺なんかより、ずっと。
ずっとすごい本気じゃないかこの人。
無事だったシア様を。
身分も何も考える余裕なく、なりふり構わず大切に宝物のように抱きしめるセオさんを見ながら。
その見ているこっちが胸を締め付けられて切なくなるような表情を見ながら。
あんまりショックじゃないなーなんて、考えていた。
周囲に味方が誰一人いない子供が、あんな風に助けられたらもう惚れない方がおかしい。
・・・・って思い込んでいたのかもしれない。
思い返せばどっちかというと助けてくれたのノアだし。
ノアが男だから女の子のシア様の方に憧れたって、ちょっと俺不純だったかも。
あーあ、敵わないな。
*****
目の前で楽しそうにアラン王子と踊り続けるシア様。
エマ様がキーン様と踊って、ノアがイザベラ様と踊ったら。
ホスト家の娘のシア様とアラン王子が踊っても不思議ではないと言うか、それが当然なのだけど。
ホール全体にシールドを張って、不測の事態がないように目を光らせているはずのセオさんが、この二人が踊っているのを見ていないはずはない。
警備がてら配膳を手伝っていたルーカスは、キョロキョロとその姿を探す。
いた。
会場の全てを見渡せるような、だけど目立たない片隅で、セオさんはやっぱり二人の事を見ていた。
配膳が終わり手が空いたルーカスは、厨房には戻らずセオの方に歩み寄った。
「セオさん、頑張ってくださいよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「セオさん?」
「あ、ああ。ルーカスか。」
話しかけても気が付かないなんて、普段のセオさんにはありえない。
「セオさんてシア様の事好きなんですよね?」
「・・・・・・・・・。」
「なんですかあれ。アラン王子ってついこの前好感度50%くらいとか言ってませんでした?」
「人の気持ちなんて、どんどん変わっていくものだろう。」
さすがに、この場でこの国の王子の相手を、奪ってこいなんてそんなことは言えないけど。
「俺の分も、頑張ってくださいよセオさん。」
「いや待て。お前こそシア様の事好きなんじゃ。」
「俺は良いんです。ただの憧れでした。もう思い知ったんで。何ならノアが女だったらノアの方に惚れてたんじゃないかってくらいの不純さでした。」
「・・・・あーーー。」
俺がそう言うと、セオさんもあっさり納得したらしい。
思い当たることがあるんだろう。まあつまり俺のはそれだけの思いだったってことだ。
「セオさんて、いつからシア様の事好きなんですか?」
一応軽く失恋(?)した身としては、聞いてみたかった。
「いつからだろうな。」
「・・・・・・・・・・。」
聞いてみたものの実は、本当にセオさんが認めるとは思わなかったので驚いた。
庶民出身の俺には、それこそ最初からシア様とどうこうなる可能性なんてないと、分かっていたけれど。
だから本当にただの憧れだったんだけど。
最近執事のテオさんの養子になって男爵家の跡取りに決まったセオさんだって、針の穴ほどの可能性しかない事は、貴族がうじゃうじゃいる学園に通っているルーカスには分かる。
だから、本当に認めるとは実は思っていなかった。
「いつからか分からないけど、気が付いたのはギャビンを助けた日だな。」
「・・・・・・・・・あの日。」
あの二人で必死にシア様達を助けに向かった日。
「結局ギャビンに助けられて、何もできなかったけど。」
「・・・・そんなことないです。」
山小屋にたどり着いた時、まだ緊張していた様子のシア様がすがるように大事に握っていた魔石。
セオさんが何年も掛けて探して、最高級の細工士に頼んで仕上げた水のお守り。
あれがなかったら、もしかしたら、シア様は、ギャビンが覚醒するまで耐えられなかったんじゃないかと、ルーカスは思っていた。
だから、何もできなかったなんて事はない。
絶対ない。
「・・・・こんな気持ち、気が付かなければ良かったかもな。」
切なそうに、シア様とアラン王子を見つめるセオさんに。
ルーカスにはそれ以上、掛ける言葉が見つからなかった。
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