第31話 姉の誕生日パーティー
ついにこの日がきてしまった。
お姉さまの誕生日パーティー。
それは、第二王子ジェームズとの婚約発表の日でもある。
暗くなりがちな家族とは反対に、エマは殊更明るく振る舞い、招待客の相手を積極的にこなしている。
しかし、殆どの招待客が揃っているというのに、エマのパートナーとして既に到着していなければならないはずのジェームズ王子が、まだ来ていない。
一人でいるエマを見て、招待客はチラチラと様子をうかがってくる。
第三王子派のエマの誕生日会なので、今日集まっているのは第三王子派と中立派が殆どだ。
その視線が基本的に同情的なものであることがまだ救われる。
こういうことはなにも今日が初めてではない。
今までいくらでもあったことだ。
「お姉さま・・・。」
「なあに?シア。暗い顔しちゃって。私のお誕生日なのよ。お祝いしてちょうだい。可愛いシアにお祝いしてもらったら、私はそれだけで幸せなんだから。」
そう言われて、シアは笑おうと思った。
でも出来なかった。
なぜこんなに酷い事をするのか。
エマの事が好きなら好きで、誠実に大切にしてくれれば、派閥が違おうがなんだろうが、心から祝福しただだろうに。
その時、パーティーホールの入り口の辺りがざわめくのが聞こえる。
どうも歓迎という雰囲気ではない。
大方第二王子が到着したのだろう。
「え!?」
第二王子のエマへの酷い扱いに、良くはないが慣れてしまったシアでも思わず声が出てしまった。
なんと、ジェームズは、その腕にべったりと誰か他の令嬢をぶら下げて入場してきたではないか。
ほとんど社交界に顔を出さないシアは、その令嬢に見覚えがなかった。
最近若い子に流行っている胸の露出したタイプのドレスを着た令嬢は、その胸を実に自然な仕草で王子の腕に押し当てている。
ブルネットでサラサラの髪は、腹立たしい事にエマと少しだけ似ていた。
先ほどまで少しざわついていたホールは、今は静寂に包まれている。
「ジェームズ様ぁ。なんだか寂しいパーティーですね。先週連れて行っていただいた夜会の方がキャミーは楽しかったですぅ。」
「そうだなぁ。イーストランドのパーティーはいつも地味なんだ。」
そんな中、ワザとらしく響き渡る声。
―――なんでこんな奴とお姉さまが結婚しなきゃいけないの?え、こいつ殺しちゃダメ?角ウサギより弱そうなんだけど。殺せば結婚できなくない?
思わず魔法を使おうと腕が上がりかける。
上がりかけた腕を、隣のエマがやんわりと押さえ、ポンポンと優しく宥めてくる。
一番傷ついているのはお姉さまだろうに、こんな時まで気遣ってくださるのね。
「本日は、私の誕生日パーティーにおいでいただき、ありがとうございます。」
近づいてきた馬鹿二人に、ホストとして率先してエマが挨拶する。
「ああ、そうだった。お前の誕生日パーティーだったっけな。」
腸が煮えくり返るとはこの事か。
20歳の誕生日パーティーに婚約を発表すると、一方的に強制してきたのはそちらだろうに!!
「そうそう。この子の名前はキャミーだ。キャミー・マントフェル。男爵家の令嬢だ。」
「よろしくお願いしますぅ。えーと、エマさん?でしたっけ。」
「・・・よろしくお願いいたします。お可愛らしい方ですね。」
さすがのエマも、流しきれなかったのだろう。
答えるのにほんの少しの間が空いてしまう。
何故かその時、ジェームズは昏くいやらしい笑みを浮かべた。
「ああ、可愛いだろう?愛想のないお前とは大違いだ。」
お姉さまの方が世界一可愛いに決まっているだろうが!
愛想がないように見えるなら、それはお前がバカなことばっかりやっているからだよ!
怒りに小刻みに震えるシアの肩に、誰かの手が置かれた。
・・・・アラン王子だ。
エマの方には、ノアが近づいて背中に手を添えている。
それは励ますような、元気づけるような手だった。
「あ、そうそう。お前には今日言わなければならない事がある。エマ・イーストランド!!お前との婚約は今日をもって解消させてもらう!!」
無音。
完全なる無。無。
シアは思わず一瞬意識が飛んでいた。
―――何を言っているんだコイツ?
え・・・どういうこと???
メチャクチャ腹立たしいけど。
え、でも婚約解消していいの?
いやしてないけどな??婚約。
「・・・今更そのような事は難しいと、ジェームズ殿下はご存じでしょう?」
エマの感情の読めない静かな声が聞こえる。
―――え?え?どういうこと??
権力争いに無縁のシアには意味が良く分からなかった。
「そうか?まあ派閥の関係やら、領地の契約やら進んでしまっているがな。お前ももうその年で婚約破棄されれば後がないだろうし。・・・しかし俺はこのキャミー嬢を気に入ってしまった。長年ダラダラと付き合ってきたからと言って、自分の心を押し殺して結婚なんてしたくない。俺は真実の愛に目覚めたんだ!」
―――・・・いや付き合ってないけどな??
・・・そういう事か。
やっとシアにもこの状況が理解できた。
もう貴族達への根回しも終わり、領地の事や金銭の受け渡し、全て整って、あとは書類にサインするだけ。引き返せないところまできているのだろう。
それが分かっていて、こんなアホな事を言ってきているのだ。
更には、まだ婚約してもいないのに、「婚約破棄」だの「長年付き合っていた」だのと、エマの評判を落とすようなことをワザと言っている。
「しかしまあ、長年仮の婚約者として王家に貢献してくれていたのは事実だ。エマ、お前が今この場で頭を下げてこれまでの態度を謝罪し、どうしても俺と結婚したいというなら考え直してやらないこともない。どうする?」
「え!ジェームズ様。キャミーと結婚するんですよね??」
ニヤニヤと抑えきれない昏い笑みを浮かべるジェームズ。
アラン王子と血のつながりがあるとは思えないほど、その顔は醜悪だった。
そんなにも。そんなにもどうしようもないものなのだろうか。
これを断ったら何がどうなるの?
お金なら私持ってるよ?
地位?権力??そんなもの・・・・・
「ジェームズ殿下。婚約破棄承りました。」
その時、穏やかなのに力強いその声は、ホール中に鳴り響いた。
「お・・・お父様!いけません。」
それはお父様の声だった。
今にも頭を下げようと、スカートを掴みかけていたお姉さまと、それを止めようとしていたノア。
その二人の肩に力強く腕を回したお父様の、声だった。
シアの肩にもまたフワリと誰かの手が置かれ、振り向いたらお母様が優しく微笑んでいた。
「アーノルド・イーストランド。イーストランド家の当主として、責任を持って、この婚約破棄、承りました。」
「い、いやでも今更・・・・そちらだって困るだろう。どうしてもと言うなら・・・。」
「アラン・リヒラートの名に於いて証言しよう!エマ・イーストランドと、ジェームズ・リヒラートの婚約について、ジェームズ側の申し出により、白紙撤回されたことを。ここに宣言する!」
アラン王子が声高にそう宣言すると同時に、眩い光が発生する。
重要な契約の時、証人が使用する誓約証言魔法。
証人にも重い責任が発生するため、本来家族や親戚以外がそうそう使用するものではない。
「あ・・・ありが・・・と・・。」
シアは声が掠れてしまって、それ以上は言えなかった。
でも聞こえたようで、アラン王子は気にするなと笑ってくれた。
今まで気丈に振る舞っていたエマが、顔を伏せる。
ノアがハンカチを渡しているのが見えた。
「娘は少し疲れたようです。休んでまいりますので、ジェームズ殿下はパーティーをご自由にお楽しみください。・・・キャミー嬢とのご結婚、おめでとうございます。」
お父様がそういうと、ホールの端の休憩スペースに向かって行く。
エマもさすがにもう限界だったのだろう。
大人しく付いて歩いていく。
「お、おい!!良いのか!?どれだけの違約金が・・・・それに20歳過ぎて婚約破棄された行き遅れ。もう結婚相手など見つからないだろう!?」
もし他の人と結婚できないとしても、お前との結婚だけはねーわ!!
私が一生お姉様養うからすっこんでろ!!
と、シアが言おうと口を開きかけたその時。
パーティーの参加者達が避けて出来た道。
お父様とお姉様の通るために空けられた道を逆に通って、一人の男性が近づいてきた。
「ね、ねえあの方どなた?」
「分からない。あのような方おられたかしら。素敵ね。」
背中を伸ばし、胸を張って、自信ありげに顔を上げて堂々と歩いてくる人物に、女性たちが色めき立つ。
艶やかに整えられ、サイドに流された髪は、光に反射して銀色に輝く。
背が高く、その仕草は優雅で、惚れ惚れするほどの貴公子だ。
その貴公子は、お姉さまの前まで歩いてくると、おもむろにひざまづき、手を差し出した。
「アラン王子に、あなたを暗闇に一人で立たせていて良いのかと言われて、目が覚めました。」
何かを決意した、力強い声。
「ずっと、貴女に言いたかった事があります。婚約が撤回されたばかりで、まだ落ち着かないでしょうが・・・・でももう、他の誰にも先を越されたくない。」
見上げたその顔を見て、周囲の人たちが息をのむ。
切れ長の爽やかな目元。銀色に光るその瞳。
一部の隙もないほどの美しい顔が、そこにあった。
「・・・すぐにではなくても良い。返事は貴女の気持ちが落ち着いてからでも、いつまでもお待ちします。エマ・イーストランド様。僕と結婚していただけませんか。」
婚約中の人に求婚することが貴族社会のマナー違反であることはもちろんだが、求婚している人がいると分かっている場合も、明確に断られるまで、他の者は求婚を遠慮するというのが暗黙のマナーだ。
エマがジェームズなんぞに求婚された事が知れ渡ってしまい、他の誰からも求婚されなくなってしまったのはそのせいだ。
きっと、他の者が求婚する前にと、・・・万が一にもないと思いたいが、バカ王子がまた改めて求婚とかしでかさないように、こんなにもすぐに申し込んでくれたのだろう。
返事はいつでも良いからと。
「はい、よろこんで。」
「へ、へえええええぇぇえぇ!!?」
ああ、こんなに格好良くなったのに、こんなところは変わらないのね。
「え、え、ええええ!?え?け、結婚、していただけるんですか!?」
「はい、よろこんで。こちらこそよろしくお願いいたします。」
嬉しそうに、差し出された手を取るお姉さま。
その表情は、パーティーで無理して微笑んでいた顔とは違う。
心からの幸せそうな笑顔だった。
立ち上がりながらもまだ混乱しているようなその男性。
まさか即求婚が受け入れられるとは思っていなかったのだろう。
「ちょ、ちょっと待てお前!!俺を誰だと思っている!!そいつは俺の婚約者だぞ!!大体誰なんだ。見た事ないぞ、怪しいやつだ!つまみ出せ!!」
「・・・何を言っているんだジェームズ。」
見つめ合う二人が幸せそうにしているところに、空気を読めないバカの声が割り込んできた。
「はああ!?ジェームズだとぉ!?お前なんぞに呼び捨てにされる覚えはない!!おい誰かコイツを不敬罪でひっ捕らえろ!どこの誰だか知らないが、お前とエマの家が無事で済むと思うなよ!!!」
「いや何の冗談だジェームズ。不敬罪って・・・僕だって、王族の端くれだ。婚約者の女性一人くらい守ってみせる。」
「はあ?おーぞくぅ????」
「いやだから・・・。」
「ジェームズ王子。私の家が無事では済まないとは、聞き捨てなりませんな。」
「な・・・・・叔父上!?一体何を・・・。」
「我が息子、キーン・マッケンゼンが何かしましたかな?不敬罪とか聞こえたような気がしますが。奥手だと思っていた息子にこのような素晴らしい婚約者が出来て嬉しい限り。マッケンゼンの総力を挙げて、息子とその婚約者を守らせていただく。」
家の事を持ち出されては、黙っている訳にはいかなかったのだろう。
王弟、ワイアット・マッケンゼン公爵が進み出てきた。
第一王子、第二王子、第三王子。
いずれも自分にとっては可愛い甥だからと、常にどちらの派閥にも属さなかった、中立派の筆頭。
この人が付いた方に、中立派の貴族全員が付くだろうと言われていたその人。
「キーン!?キーンだと!?あのさえない男が一体どこに・・・・。ま、まさか・・・・。」
察しの悪いジェームズも、やっと気が付いたらしい。
目の前の貴公子の正体が、いったい誰であるのかを。
「お前・・・・キーンか?」
「へ?それ以外に誰だと言うんだ。」
自信がついて、身なりを整えたキーン様は乙女ゲーム一の美形である。
カッコいいとか可愛いとかだと他の攻略対象だろうけど、美形と言えばキーン。
キーンと言えば美形。
あの俯いて前髪に隠れていた顔がまさかこんなに美しいとは、誰もが夢にも思わないだろう。
会場中から驚愕の声があがる。
でも、お姉さまは一瞬も、誰だか迷わなかった。
これは今、目の前で大変な事が起きているかもしれない。
今まで中立派だったマッケンゼン公爵が、お姉さまを守ると言った。
第三王子派閥のイーストランドのお姉さまを。
第一王子派のジェームズから。
「ち、ちがうんです叔父上!これは何かの間違いで。・・・今更エマとの婚約をなくすなんて出来る訳ないじゃないですか。それはこいつも分かっていたはずだ!さっきのはただ少し驚かせようと・・・。」
「ワイアット・マッケンゼンの名に於いて証言する。エマ・イーストランドと、我が息子、キーン・マッケンゼンとの婚約が両者の合意の元、今日この時に成立したことを。ここに宣言する!」
すでにジェームズ王子の事など見向きもしないで誓約魔法を使ってしまうマッケンゼン公爵。
「いやあ、こんなに可愛いお嬢さんと婚約するとは。研究に没頭してばかりだと思っていたのに、やるじゃないかキーン。おめでとう!めでたい事は早い方が良い。どんどん準備を進めよう。」
「ありがとうございます父上。」
「ありがとうございますマッケンゼン公爵。よろしくお願いいたします。」
息子の結婚が嬉しいようで、ノリノリである。
「おめでとうございます!キーン様、エマ様。」
「エマおめでとう!嬉しいわ。」
「キーン様見直したぜ!!」
パーティー参加者から次々と祝福の言葉が掛けられる。
会場中が、祝福ムードに沸き立った。
「なんでだよ!!!!!!!!!」
その第二王子の叫び声に、祝福に湧いていた会場が静まり返る。
先ほどから何か喚いていたが、良い感じに気にせず流していたのだが、今のこの声は誰もが無視できないほど悲痛な響きを伴っていた。
「なんで!!!なんでなんだよ!!!!俺は!俺は7年も待った!7年も婚約を受け入れてもらえなかった!!!なのになんで!なんでキーンとはすぐ婚約するんだあぁ!!!!!!!」
良い年した大人だと言うのに、ジェームズは幼子のように泣きじゃくっていた。
「俺は・・・一度でも良いからエマの方から結婚してくれと言わせたかった。それだけなのに・・・。」
まるで自分は被害者だとでも言いたげな雰囲気を醸し出している。
・・・いや、本当に自分の方が可哀そうだと思っていそうだ。
「ジェームズ。君のエマ嬢への態度は今まで私も聞いていて、気になっていたよ。」
マッケンゼン公爵がジェームズに話しかけてあげている。
やはり甥っ子の事を完全には見捨てきれないのだろうか。
「それほどに結婚したい相手なら、なぜ他の令嬢と浮名を流したりしていたんだ。エマ嬢が王宮のパーティーで一人で放っておかれている姿を、見たことがない者はいないだろう。」
「それは!!焼きもちを焼かせようと思って。エマが素直に俺にエスコートしてほしいと頭を下げてくればいつでもしたさ!!」
「そもそもなぜ、エマ嬢の気持ちを確かめもせず、強引に婚約しようとしたんだ。」
「それは・・・そうしないと。他の奴にとられるかもしれないから・・。」
ジェームズ王子の最初は良かった威勢が、徐々に弱ってくる。
今まで自分の行動を客観的に指摘された事がないのだろう。
王子という立場ゆえに。
「ジェームズ。強引に婚約を宣言され、それなのに他の女性と遊び歩き、挙句に婚約破棄をして頭を下げろと迫る。そんな事をされた相手を好きになる者がいると、本当に思うか?」
「・・・・・・・・・。」
「君がエマ嬢を好きだったのなら、誠意を見せるべきだった。膝をついて婚約の許しを請い、しっかりとエスコートをして、花と優しさを贈り続けるべきだったんだよ。」
ジェームズはもう何も言わず、ただただすすり泣くだけだった。
こんな男、何も言わずに放っておけばいいのに。
マッケンゼン公爵は、どこまでも優しかった。
キーン様と同じように。
「君、ジェームズを王宮まで送ってあげてくれ。」
マッケンゼン公爵に付いていた護衛の一人に声を掛ける。
護衛の人は、泣き続けるジェームズを、会場の外まで誘導していった。
優しく支えているように見せかけて、実は結構強引にグイグイ押しながら歩いている様子に少し笑ってしまう。
キャミーとやらは少し迷った素振りをしたが、ジェームズには付いていかずに、別の出口まで、さっさと自分の足で歩いていく。
状況を読んで見切りをつけたのだろう。実は結構賢い人なのかもしれない。
「さあ皆さん、騒がせてしまってすまなかった。今日はエマ嬢の誕生日であり、私の息子、キーンとエマ嬢の婚約の日でもある。大いに楽しもうじゃないか。」
マッケンゼン公爵の掛け声とともに、楽団による演奏が始まる。
最初に踊るのはもちろん・・・・
「・・・踊っていただけますかエマ様?」
「ええ、もちろん。喜んで。キーン様。」
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