(一)-4
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そしてもちろん、戦となれば人死にを出さないではすむまい。町民の避難はさせたとはいえ、武士の死者は覚悟せざるをえない。どれほどこちらに筋のある戦いでも、また上から下までが戦と決めていたとしても、目下の者の命を守るのは上に立つ者の義務だ。
そして他人事ではなく自分もこの戦で死ぬかもしれないし、終戦後の後始末で責を一身に負わされ腹を切ることになるかもしれない。下級武士から成り上がり、そもそもの久光の上京を主導した自分はそうされるに格好の立ち位置にいる。
一蔵はことさらに大きく息を吸い込んだ。
他人の死を背負うのが辛い、死ぬのが怖い、責任を押し付けられるのが悔しいというのではなかった。
多少の忌避感はないではないが、それは心の中のごく小さな点にすぎない。戦に挑むにふさわしい心境になるのを、あと一歩のところで阻む何かがある。
それがなんなのか、思い当たるより先に、この暑気と風雨が呼んだのか浮かび上がってくる一つの像があった。一蔵は目を閉じた。
端正で精悍な面差しの若武者が堅く口を引き結び、風雨をついて暗闇の中を馬で駆けてゆく。まとう鎧も馬の馬具も華美ではないが上等なものだ。背後に従う騎馬武者はわずか十数騎……
また眼を開く。数瞬の幻像と、今のこの現実とではへだたりはさしてない。約三百年の間この国はほとんど進歩していないということでもあった。
あんな日本史上に燦然と輝く偉人と我が身を引き比べるなど、おこがましいにもほどがある。あの人物のような才能がないのはおろか、国主ですらない。上回るのは敵の強大さだけ、同じなのは当時の天候だけ。三百年前のあの夜も、こんな夏の嵐だった。
体、いかなる気構えで突撃したのだろう。
武士であれば死を恐れないのは当たり前だ。だがしゃにむに飛び込むだけなら足軽雑兵にだってできる。失われるのは自分の命だけと思えばたやすいことだ。しかし、人の上に立つ者がそれではだめなのだ。勝って、国を守り、未来につなげなくてはならない。
死を恐れない。勝利と生還を期す。その両立は果たして可能なのか。
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