(一)-3
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とはいえ、頭が悪いとはいっても刀持ち相手に素手でやり合うたぐいの向こう見ずではない。きちんと戦える武備がこちらにあると藩上層部一同で判断したから、戦いを決したのだ。
亡き先代斉彬が先見の明を発揮して、鹿児島湾全体に築いた砲台群は今でも健在だ。
生前の斉彬は、薩摩の砲台は幕府が江戸湾に築いた台場にすら勝ると豪語していたという。薩摩藩主の地位にあり、幕府の中枢ともつながっていた身でいうことなのだから決して駄法螺ではあるまい。
戦と決まったころから、一蔵はことさらにその事実を若手藩士らに触れ回っていた。薩摩が日本一の砲台を備えているという、誇張ではない事実をだ。
それにより藩士らの士気は大いに、というよりさらに上がり、熱く掻き立てられた。
だが―――と、その熱気を確かに共有しながら一蔵は、戦慄を伴う苦渋を同時に抱えていた。
勝利するというのが敵を滅ぼすということなら、それはまず不可能だ。
斉彬が砲台を築いたのはそれ自体五年以上前だ。西洋人の指導を直接うけたわけでもないし、同時代の西洋における最新鋭の大砲にすら劣る性能であろう。その程度の洞察は、兵学者ならぬ素人にだってできる。薩摩の砲台とイギリス軍艦の大砲では、どれほどの進歩の差があるのか。
艦砲と地上砲台では異なる点もあるだろうが、薩摩の大砲の射程が向こうのそれと同じだとか、まして上回るなどということはまず考えられない。
薩摩にあるのは地の利。そして期待しうるのは敵の油断。幕府はあっさりと賠償金を支払い、さらに六月上旬にはアメリカ・フランスの連合艦隊が攘夷の報復として長州藩を砲撃し、旧装備しかない長州を壊滅させている。
これらの事実から、薩摩も同様に見なしてくれればいい。幸運にもこの嵐もあり、ついうかうかと近づいたところに、薩摩の砲台が一斉に火を吹く。
そうしてできる限りの損害を負わせ、敵がこちらの武力を過大評価したところで戦を終わらせ、双方の面目が立つ体裁を整える。
しかし、イギリス軍がそこまで愚かでなかったら?
あるいは攻撃されてもすぐ態勢を立て直したら?
横浜の他国の艦隊に応援を頼んだり、あるいは中国香港に駐留しているというイギリス軍が来援したら。
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