(一)-2
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王族というわけでもない一商人でも、国外で殺されれば土地の政府が陳謝し、三十万両もの金が動き、艦隊が実弾をぶっ放すことになる。
西洋人が自国民を大事にしているというより、国民は国外に出ればそれ自体が国そのものであり、国家はそれを外交の手札として使えるのだな。頭の隅で、ひどく冷静にそんなことを考えている自分がいる。これも戦の到来がもたらした効果なのかもしれないが。
もちろん、頭の主要部分を占めているのはまったく別の思いだ。
武士としての筋目、日本人の誇り、郷土や愛する者たち、守るべき者たちを守りたいという思い。そして何よりも武人としての闘志。
そういう崇高な種々の感情を剥ぎ取った奥底にある一つの存念に、確かに気付いている。それはこの一年のみならず、そのはるか前、高崎くずれが勃発する前からも含めた自分の人生と密に絡み合っている。
自分の能力の度合いはとっくにわかっている、天才はおろか俊才ですらない。頭も悪けりゃ喧嘩も弱い、人望に至ってはさらにない。
そんなこの世に掃いて捨てるほどいる吹けば飛ぶよな鈍才が、勘違いして調子に乗って、国を巻き込む壮大な小細工を弄しまくって、行き着いた果てがこのざまだ。
想えばこの一年半は、見事なまでにやることなすことすべてが裏目に出た。
良かれと思ってさせた幕政改革では完全に幕府の恨みを買った。今回の一件で、イギリスが薩摩を叩き潰してくれれば好都合と思われているふしすらある。
三年ぶりに遠い離島から連れ戻した一番大事な友は、行き違いが重なって結局またさらなる遠方への島流し。それが響いて多くの同志を失うことにもなった。
そういう大きな犠牲を払って掌握した朝廷は漁夫の利狙いの連中に奪い取られ、千年の都は人とは名ばかりの狂犬連中が横行する修羅の巷と化した。
こう列挙すれば、世界最強の大国と殺し合う羽目になったというのも行き掛けの駄賃程度のことに思えはすまいか。
いや、その言い方は正確ではない。
本来ならば回避もできた戦だ。むろん賠償金も払わない下手人も差し出さないの一点張りではいずれ戦になったかもしれないが、少なくとも、こちらが低姿勢で条理を尽くしたのに向こうが交渉を打ち切り攻撃してきたという体裁を整えるぐらいはできた。
最初から、穏便に済ませたい気などなかった。薩摩のほかの者はどうか知らないが、自分の中には確実に、それまでの政事の不首尾に対するいら立ちがたまりにたまっていた。喧嘩腰にはそれ以上の喧嘩腰。しゃらくさい粘り腰など錦江湾に放り込んで魚のえさだ。
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