魔王

小泉藍

(一)-1

(一)-1

 天が吠えている。

 夏の熱気と強風と篠突く雨の中、天を覆う黒雲は夜目にもわかるほど不穏に大きくうごめき、地上の不安を煽り立てる。

 鹿児島城下近郊の西田村唯一の寺である千眼寺は高台にあり、この曇天でも城下と錦江湾全体がよく見える。このたびの対イギリス戦争における薩摩藩本陣がこの寺におかれたのもそれが理由だった。

 本堂から離れた建物一角の縁側から、鎧を着こみ陣羽織をはおった姿で、大久保一蔵は暗い海を睨みつけていた。

 荒天をものともせず堂々とそびえたつ桜島、その見慣れた調和を打ち破り、七隻の西洋式艦隊が海上に居座っている。世界に冠たる大英帝国、女王陛下の最強艦隊がこちらにその凶悪な砲口をまっすぐ向け、発射の時を待ち構えている。

 文久三年(1863)七月一日夜。十三年前の御家騒動高崎崩れ以来、薩摩の国が無数の混乱に際会し、それでも傷つくたびに力強く甦り、少しずつ前に進んできたのはこの日のためであったのか。


 直接の発端は昨年八月だった。

 薩摩の行列が相模国生麦村で異人を斬った。一言でいえば単純だが、行列は常の参勤交代ではないし、長崎ですらない江戸近郊を西洋人が闊歩しているというのもこの時世でなければありえないことだ。

 五年前に逝去した前藩主斉彬は、一橋卿徳川慶喜を将軍に就任させることを宿願としていた。一蔵たちはその遺志を継ぎ、斉彬の弟で国父となった久光を押し立て江戸まで赴き、幕府に慶喜の将軍後見職就任を受け入れさせた。衝突は、その帰途に起きた。

 斉彬死去の年に西洋諸国と結ばれた通商条約により、西洋人の行動範囲は居留地から十里四方まで広げられた。だから彼らが生麦村で馬に乗っていても違法ではないが、大名行列を乱す者は切り捨て御免というのも、またしかりなのだ。

 薩摩の面目を汚す傲慢で愚かな人間を成敗し、それがたまたま西洋人であったというだけのことだ。謝罪はむしろ向こうがするべきではないか。

 そんな簡単な理屈もわきまえないイギリスの激怒と恫喝に幕府は恐れおののき、巨額の賠償金をあっさり支払った。

 むろん薩摩はそのような惰弱な真似はしない。本来の目的である国事をこなしつつもイギリスの賠償要求は慇懃無礼に断り続け、今日のこの事態に立ち至った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る