第20話 神託告げる聖域
さて、情報は揃った。もちろん情報は裏取りがなされて初めてその存在を認められる。鳴り止まぬ電話の対応に追われ経過した時間、床に散らばった殴り書きの紙の数を見れば、察してもらえるだろう。お陰でまた寝不足だ。この事件が解決したらゆっくりと温泉に浸かりに行くのもいいかもしれない。椿と二人で二泊三日くらいは観光して美味しいモノを食べて湯に浸かる休日を過ごしたい。
一枚一枚拾い集めて書斎へ向かう。その途中にある馬鹿でかい南京錠で厳重に施錠された鉄扉をなるべく見ないように、早足で。
デスクの上に積んだ、情報の山々を確認して取捨の段階へ入る。
一件目の殺害から最新の殺害までの経過までにソイツが何処にいたかを割り出していく作業はさらに面倒な作業だ。情報屋達に集めさせたのは、一人を追い続ける監視の目ではなく、松戸市全体を監視する眼だ。つまりそれがどういう事かというと、街全体に映ったカメラ映像にたまたまソイツが映っていたという映像を探すこと。
怪しまれずに犯人の動きを把握する回りくどいが私にはこれしか思いつかなかった。しかし、松戸市の情報屋達は優秀だな。想像以上の成果か、寝不足による感情の高ぶりからか、高笑いしたい衝動に駆られてくるぞ。一回してみようか……、いやいや、椿に心配される。近隣住民には本当に猿でも飼っているのか、と噂されかねんな。
この高ぶりを選別作業と構築作業に回してしまおう。
情報選別と情報構築を白紙の紙に書き綴っては捨て、書き綴っては捨て、そういった矛盾や行き詰まりの度に初めから作業をやり直す。これが私の神託の裏事情というやつだ。地味な作業に泣けてくるかもしれないが、今は盛大に笑いたい気分にさせられている。
私の
数時間も続く作業を一度も止めること無く、犯人の足取りを追うことに、意識が埋没していて、デスク向かいに立つ巨軀の存在に気付かず、「うわぁ!」ふと、視線をなんとなしに持ち上げて反射的な大声を上げてしまった。
「何を人の家に勝手に上がり込んでいるんだ、久内!」
「呼び鈴を鳴らして柄本さんに通してもらったが? それにしても、随分な紙の山だな。床にも雪崩れている」
「これ全てが犯人とを結ぶ情報だ」
「誰が犯人か分かったのか?」
「大方間違いは無いと自負しているつもりだ。そういう
勝ち誇った笑みを見せてやると、「まあ、そんなところだ。悔しいがな」素直な態度に拍子抜けしつつも、「明日、お前を守り犯人を現行犯で逮捕する。工程はどうでもいい。結果が全てだ」力強い意志を感じる彼の発言に肩を竦め、「まあ、落ち着け。逮捕はお前に任せる。
「私達?」
「そうだ。明日、犯人を含めて私は関係者の前で神託を告げる」
「なるほど。あくまでこれは神託だったな」
「そういうことだ。お前の今日の役目は警護。明日、全員が揃い次第、お前は警察になってもらう」
夕暮れのあかね色が差す書斎で笑った久内は狐どころか鬼にさえ見えた。それは向こうも同じだったようで、不適に口角が同時に持ち上がった。
夕食を済ませて戸締まりを椿に確認させている間に私は寝室で情報の最終確認を行い、久内には隣室の暗闇に控えてもらっている。あの犯人を相手に万全とは言いにくい警備ではあるが、今夜だけを凌げればそれでいいのだ。
しかし、そんな私の考えにどうしても拭えない不吉なものが交じっている。
情報整理と構築作業を続けて時刻が変わった瞬間だった。
廊下側の書斎の扉が開く音がした。その音は敢えて音を立てないようにしている慎重さが伺える。忍ばせた足音に注意を払いつつ、寝室とを繋ぐ扉から目を離さずに隣室の壁を二度ノックした。これは久内への合図。直ぐに久内が控える部屋の襖が開き、急ぐ足音を確認し、私も懐から喧嘩煙管を引き抜いた。
書斎では久内と誰かがもみ合っている激しい物音。私もその面を是非とも拝もうと寝室を飛び出して壁際の照明スイッチを押し上げた。
だが、これは失態だった。
壁際で久内が腹を押さえてぐったりと座り込んでいる。彼を見下ろす全身黒づくめの細身の人物は、ゆっくりと此方へ振り返り、私は息を呑んだ。
顔には真っ白な面が。手には視線誘導をさせられる鉄パイプ。
なるほど。久内はあれで腹でも殴られ倒されたか。久内の傍に落ちている拳銃は効力を発揮する前に無力化されたのだろう。犯人は誰かの存在を予想して、部屋の隅で待ち伏せししていたのかもしれないな。非常に分が悪い状況ではある。細腕で振るう喧嘩煙管にどれほどの威力があろうか。恐怖を紛らわせるように握る力を込める。
「椿はどうした?」
この問いに答えない。こんな騒ぎがあって椿が駆けつけてこないのはおかしい……。絶対守ると意気込んでいた彼女が私の危機に駆けつけない理由を一瞬にして理解し、同時に頭が沸騰した。
「椿をどうした!」
駆け出す私の感情任せの足はどうしてこういう時に限って袴の裾を踏んづけてくれるのか。おかげで姿勢は崩れ地面の倒れてしまった。しかも喧嘩煙管を手放し、危機的状況に追い込みをかけるようにそれは犯人の足元まで転がっていった。
顔を上げると鉄パイプを放り投げたそいつの手は腰に差した大ぶりな包丁へ。
「なんだ、これからマグロの解体ショーでも見せてくれるのか?」
軽い挑発にも黙するコイツは不気味な雰囲気が漂っている。ここでコイツの正体を暴露してしまおうか。しかし暴露したからといって私が助かる可能性はない。今殺されるわけにもいかないので下手な事は喋れない……。いや、大ぶりな包丁を抜いた時点で私はもう助からないのかもしれんな……。
「人の妹に手を出さない約束だろう?」
私がその声の主へ振り返るより早く、犯人はその人物へと飛びかかり様に包丁を振るっていた。
突然の予期しない闖入者はわざとらしく身を屈め、犯人へ頭からタックルをした。数歩よろめきながら溝尾を押さえてもまだ立っていられる胆力から、やはり普通の人間では無いのだろう。
「快晴、どうして?」
「んー。神様のお告げといえばそれらしいかな? 妹が危ないよ、ってさ」
「ふざけるな。これは久内と椿しか知らないぞ」
「猿手目は神託の家系だろう。当主が神託を否定するのはいかがなものかね」
快晴はそう言いつつも、視線を犯人から外さずに余裕の笑み見せた。
「ああ、そうそう……。探偵物では犯人を関係者の前で諸々を暴露されるよね、うってつけの場を用意したから、行こうか」
そう言いながら、ゆっくりと犯人に丸腰で歩んでいく。そんなことを犯人が許すはずも無い。包丁の切っ先をまるで射る直前の矢のように引き絞り、肘関節のバネのような動きと同時に切っ先が快晴の顔面へと吸い寄せられるように迫る。
快晴のニヤニヤとした顔がぐらりと大きく揺らぎ、その身体は後方へ引きずられ、入れ替わるように颯爽と、別の人影が手にした銃身で切っ先を弾いたのだ。
「お前達姉妹は馬鹿か!」
悪態をつきつつも瞬歩とでも呼ぶような早さで犯人の懐に入り込むと同時に肘打ちを顎へ打ち上げ、上体が反った所を足払いして制した。
まるで台本通りであったかのような綺麗な流れだった。
「吾妻さん」
「お前も一言くらいは相談したらどうなんだ、猿手目日和」
「椿にも言われたよ」
「塗ってやれる薬もないな」
「反省はしている。だが、どうして吾妻さんや快晴が」
その私の疑問には、「それは神託の後にでもゆっくりと教えてあげよう」いつの間にかタバコを加えてさっさと付いてこい、というジェスチャーをした。
書斎のある廊下の通りに異質な黒々とした鉄扉。普段から南京錠で厳重に施錠してあるはずだが、その南京錠が今は解錠されていた。聖域内から蝋燭の心許ない明かりが漏れ出ていて、黒い影がいくつも揺れている。
「お前等……」
そこには椿を初め、香元家や情報屋達が勢揃いしていた。それでもまだ余裕のある空間を私は黙して歩き、犯人はしっかりと吾妻さんが連れ、久内は快晴が肩を貸していた。
「猿手目家当主、猿手目日和の神託を各々に告げる」
久内を適当な場所へ座らせた快晴が作った声音で全員を威圧した。
全員の視線を浴びながら祭壇の前へ立ち、「これより、猿神様のご神託を頂戴します」気持ちを切り替えて深く一礼をしてから、祭壇へ向かい最敬礼をする。
緊張が勝って整理した頭の中がグチャグチャになりそうだ。そもそも、まだ情報構築が済んでいない。どうしうようか……。この予想外な展開に不安も募っていく。
「松戸市で起きた連続殺人事件。警察に一切の尻尾も掴ませなかった犯人の行動を含め、ここに神託を開示します」
第一の事件は女性が常盤平駅近くのしょうぶ公園に遺棄された。
あの場所は深夜ともなれば人の通りもなく、遺体を運び込むのに敵している場所と言えよう。公園外周も草木で生い茂っているので偶然夜道を歩いていた人物の目にも留まらない。だが、問題は園内を運悪く誰かが歩いていた場合だ。
犯人は目の前にいる黒づくめ、猿手目快晴、貝塚浩であった。
主犯はその三人で間違いはないが、快晴はどうかは知らないが、この黒づくめと貝塚浩には協力者が居た。
公園を完全な隔離空間に作り上げたのは、貝塚浩と彼が懇意にしていたイタリアマフィア達だ。彼等が公園の近くで見張ってでも居たのだろう。そんな目立つ人物達が公園周囲に居ては足が付きやすいので、あくまでも監視と遺棄する間に誰かがよらない程度の時間を入口周囲で一人二人が談笑していればいい。
第二第三の事件も同様の手口を使ったのだ。
第三の事件が起きて警察は私へ情報収集を依頼した。直ぐに殺しの手口がある少女の書いた詩になぞらえているという情報を得た私は四方木と妻木を介して貝塚浩へ辿り着いた。
香元華然。
一年前に行方を眩ませた香元家のご令嬢。彼女の詩に心を打たれた貝塚浩は彼女の詩になぞらえた殺人劇を思案していたのだ。
第一から第三までの殺害を済ませた彼等はきっと狂に浸っていたのでしょう。
松戸連続猟奇事件とは別に幾つかの複雑な事件が起きたが其方は既に解決はしている。警察署長殺しだ。
事件を追っているうちに香元華然の救出が成された。
香元華然の誘拐もまたこの主犯三人によって決行されていたのだ。この誘拐を発案したのは彼女の詩に取り憑かれてしまった貝塚浩。実行犯は身軽に動ける猿手目快晴。そして目の前に居る黒幕は情報収集といった所だろう。
香元華然の命は快晴と貝塚によって保証されていたようだが、彼女を生かしていたことによってコイツに繋がる情報を聞かれていたのだ。
吾妻さんの証言には犯人はミルクの香る女性だということ。
このことで犯人はミルクの香水を身に付け、長身の女性であるという的を絞って情報収集に乗り出した。
私は香元華然へ眼を向け、「香元華然さん。貴女が誘拐されている時に聞いた足音と先程部屋に入ってきた足音の中に同じ音はしましたか?」その問いに、「正確には二人だけどね」華然の証言も取れたので犯人本人で間違いは無い裏付けだ。
ずっとおかしいと思っていたんだ。松戸市で一番の情報網を持つ猿手目家が探しても尻尾を掴ませないのは何故か。此方の動きが相手に読まれているかのように情報から逃れていた。
それは犯人が
私達は犯人だとは知らずに情報を共有していた。まさか、身内が犯人だなんてありえない、という心理が働いていたせいで中々その目を内側へむけることができなかったのだ。
さて、説明はこれくらいでいいだろうか。
まあ、後は犯人の口から色々聞けるだろうから。
依然として不気味な雰囲気を醸し出す犯人を吾妻さんは気を抜くことなく拘束している。なんだ、ここまで説明されてのこの姿勢は。一切の動揺も諦めも感じない。面の下では薄ら笑っているような、嫌な感じだ。
しかし、それも直ぐに割らせてやる。
そろそろ犯人の名を告げてもいいだろう。
「私がその仮面を神託で剥がしてもいいでしょうか?」
私の問いにまだ答えずか。
「では」
私はある人物の顔をしっかりと思い込めてその名を告げる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます