第19話 ミルクの香り
声を掛けた松戸市を拠点とする情報屋、十五名を猿手目家へ招集させたのは、いちいち電話でやりとりをするのが面倒半分、ここにいる全員を信頼しての情報共有をしてもっと効率性を高める為。
誰も私を唯の子共として見ていないのは、彼等の意志ある目付きを見れば明らかだ。私はこれを確証として全員に信を改めて置いた。
「皆様には今回の事件に関して、大変な苦労をされたことでしょう。ですが、もう少し。この事件と私にお付き合い下さいますよう、どうか宜しくお願いいたします」
頭部を深々と下げる私に各々方は、「顔をお上げ下さい。我々は猿手目家のお陰でお仕事を頂いているのですから」強縮した早口調で言った彼等に、「ありがとうございます。では、皆様には私が現時点で得ている情報の全てを開示します。これは私達、情報の輩と犯人の情報戦です」
全ての開示とは言ったが、百までを話したわけではない。
オマケの情報も付け加えてから一同を見回す。それぞれが自分の専門的な情報網を話し合っている。全員が一つへ集中させるのではなく、一人一人が遠回りをさせることで網をより大きく広げて
これを思いついたのは、昨夜見た夢の……、過去に父が言っていた言葉から。
釣りをする際に一本の竿で目的の獲物を釣るより、網を使ってしまったほうが確立は上がる、という言葉。どうやらこういうやり方で父は情報を収集していたようだ。その時は不必要な情報でも何時かは価値が上がる可能性、という点からも網漁は無駄にはならないということだろう。
全員を見送って一息ついていると、誰かの来訪を報せるベルが屋敷中に響いた。私は動かずソファーでくつろいでいると対応に出た椿の足音がいつもより急ぎ足で近付いてくる。
「日和お嬢様、香元華然様がいらっしゃっていますが」
「華然が?」
これは予想外だ。てっきりまだ入院中かと思っていたが退院したのか。話があって訪れたとすれば、誘拐時の事で何か思い出したのかもしれんな。面倒だが会ってやるか。椿に居間へ招くよう伝えてから、私も居間へと向かう。
「もういいのか? 退院の一報も頂いていないのでな、祝いの品なんか用意してはいないが、おめでとう、とささやかな言葉を贈ってやる」
「ありがとう! 今日は日和ちゃんにね、お話が会って来たんだ。ね、慈雨?」
黙して茶を啜る華然の隣に背筋を伸ばして座る吾妻慈雨が小さく頷くが、それっきり華然も揃って口を閉ざすので、「なんだ、話があるんだろう。どっちでもいいからさっさと話せ」吾妻慈雨は主人の許可無く喋るつもりは無い、という感じで黙している。
「じゃあ、話しちゃおっかな。この間ね、日和ちゃんがお見舞いに来てくれた後に、ある人が私の病室に訪れたの。誰だと思う?」
まるでクイズを楽しむような口調の華然に、もう面倒臭い、という溜息が私の口からこぼれると、彼女の隣の吾妻さんが鋭い目付きで私を睨み付けてきた。これに付き合え、という無言の、華然に悟られない脅迫だ。
「知らんね。お前の友人関係なんて。あー、あいつか? 死んだ貝塚浩とか」
「ぶっぶー。真剣に考えてよ、面白くなーい」
まあ、警察関係者が無難だろうが、香元華然の救出に関わっている警察といえば久内くらいだが、そんな奴が訪れたくらいでそれをクイズにするのも違和感がある。
黙している私へ顔を向ける華然はニッコニコと上機嫌だ。
「お手上げだ」
「ヒント、あげよっか。日和ちゃんの知っている人です。かなり身近な人だよ」
私の知っている人物であり身近な人間。香元華然と共通の人間と言えば、「快晴か」この人物しかいない。
「大正解! 凄いね、日和ちゃん。神託の巫女様は何でもお見通しかな」
「馬鹿にしているだろ」
「んーん、全然」
「正解者への景品はなんなんだ」
もちろん快晴とのやりとりであるのは承知している。
「快晴ちゃんはね、私にごめんね、って言いに来たの。それと日和ちゃんは友達が少ないから仲良くして欲しいって」
「は……、それだけか?」
「まさか。この事件の黒幕の過去を知ることが、特定する近道だって伝言を仰せつかったから、こうしてお伝えしに来たんだよ」
「犯人の過去なんて、犯人が知れなければ詮索のしようもないだろうに」
「普通の人はね。でも、日和ちゃんは猿手目家の血を引く人間。神託の巫女様。それがどういう意味かわかっているでしょう?」
いつからか、その閉じた眼は開かれていて、綺麗な虹彩の異様で歪な光を宿した視線が私をしっかりと捉えている。まるで憑かれたように口調も淡々としたもので温かさの一切もない。これがあの香元華然なのかと我が眼と現実を疑ったが、彼女の無なる表情は、「犯人を救う神託をするべき、私はそう思うし、救ってあげて欲しい」その言葉を最後に香元華然の頬は少し紅潮し、継ぎ接ぎしたフィルム映像のような変わり身の早さでニコニコとした年相応の顔に戻った。
「慈雨からは何か言いたいことある?」
隣の少女に一瞬だけ微笑む吾妻さんは私へは鉄面皮の無を向け、「この前の廃ビルで出くわした犯人と思しき人物についてだが」不機嫌そうな口ぶりで、「女だ」一言。
「顔は見てはいないが、あいつが逃げる一瞬、女性ものの香水の香りがした」
「ドアも開いていたわけだし、外の匂いが流れてきた、という可能性は?」
「それはないな。あのビルの周囲は排気ガスの臭いしかしない。確かにお前のご友人のオカマも香水は付けていたようだが、それとは異なる上質なミルクのような匂いだ」
妻木をご友人扱いされた事に訂正を入れたいところではある。が、そんなことは今はどうでもいいこと。上質なミルクの香りを振りまく女性ともなれば、漠然と犯人を捜すよりかは見つけやすい……、が、私は香水なんて興味も無いから知らんが、日や気分によって付ける香水を変えているかもしれん。そうなると有力な情報として捉えていいのは、犯人が女、という一点だけ。
「気をつけろよ。あの女の射撃能力は尋常じゃない。なによりあの身のこなしだ、相当な戦闘慣れをしている。まったく……、私としたことが油断したよ」
「わかっている。お前達とは今後も有益な関係でありたい」
その言葉に不満を抱いた華然は頬を膨らませてから、「そんなビジネスな関係は嫌。友好なお友達でいようね、日和ちゃん」訂正を入れられた。
もう話は済んだ、と判断した所で、「牛乳」華然がぽつりと言葉を発したが、「なんだ、お前は牛乳が飲みたいのか? 残念だが、この家で牛乳を好んで飲む奴はいないから、在庫がない。次来るときには用意しといてやるから」とまで言うと、首を横に振った華然が、「違うってば。快晴ちゃんが犯人と話していたのを思い出した。ナイスだよ、慈雨!」嬉しそうに彼女へ親指を立てた。
「快晴ちゃんが犯人と思しき人にね、珈琲に牛乳を入れるのか? って言っていたんだ。でも犯人は黙っていて、そしたら快晴ちゃんが、お前の身長は牛乳のお陰だな、って笑ってた」
珈琲牛乳という奴か。吾妻さんが言っていた牛乳の香水というのは案外ただの口臭ではなかろうか。だとしたら笑える話だ。いや……、冷静に考えて牛乳を飲んだだけでそこまで強い口臭なんてしないだろ。となれば犯人は牛乳が好きで香水も誓いミルクの香りのものを使っているはずだ。
一瞬。
また、ノイズの痛みが脳裏を奔った。
思い出せ、と言っていた。ノイズ混じりの声。今回は聞きやすい声だった、一回で聞き取れたのが幸いして頭痛は直ぐに治まってくれた。
ああ、まさか……、な。
ソイツに的を絞るか悩んだ末、私の記憶がその可能性を肯定するに足る確証として信じることにした。
その様子をズッと見ていた華然の開かれた黒い瞳が見えていないのを知っていても、彼女の功績は大きいと頷く。
「慈雨。日和ちゃん、どんな顔してる?」
「満足気だな。もう、私達の役目は終わりということらしいぞ。帰るか」
「うん! あっ、久しぶりにあのお店に行きたい」
「そうだな。ゆっくりして行くのもいいだろう」
二人を大門前まで見送ってから電話機へ早速手を伸ばす。
「ああ、私だ。お前に頼みたいことがある」
一人一人。あの場の情報屋達に至急の情報収集を頼む。しかしそれは直接的なものではなく、遠回りした情報収集依頼。回りくどいが犯人に察知されない為。
お前に会うのを楽しみにしているぞ。
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