第17話 姉からの手紙

 夜が明けるまで調べ物をしていて眠気と疲労が限界を迎え掛かっていた時、「日和お嬢様、おはようございます」日本家屋の寒さに震えながら椿が書斎に顔を覗かせた。



「寒いだろう、入っていいぞ」

「はい、お邪魔します。その……、お姉さん、快晴さんについては」

「ああ。調べれば調べるほど人からかけ離れていくな」



 調べ物をしながら姉、快晴の資料を集めている時にデスクの引き出しから一つのビデオテープが見つかった。ラベルには猿手目快晴とだけ書かれており、その映像を見た私は途中で気分を害して何度か休憩を挟まねばならぬほどの、子共の純粋な残虐の域を超えた非道の数々。



 これを父は映像証拠として残し、きっと例の施設に相談を持ちかけたそうだが、その施設も快晴の行動一つで皆殺しの大事件を引き起こさせた。尋常じゃない知力と行動力に寒さではない何かが私の背筋を震わせた。



 人間の枠組み、人道を平然と踏み外した事件は過去に幾つもあっただろう。だが、幼い子供による大規模な完全犯罪なんてそれこそ創作上でしか見たこともない。



「あの方が、私と日和お嬢様の両親を」

「可能性は高いだろうな。いや、ほぼほぼ間違いなく奴の仕業だ」

「日和お嬢様はどうなさるおつもりですか」

「どうなさる……、か。そうだな、私は私の役目を全うするだけで、どうもしない。裁くのは法であって私じゃない」

「安心しました」

「ん? どうしてだ」

「日和お嬢様にとってどのような悪事を働いたとは言え血の繋がった姉妹ですから。間違ってもそんな相手を手に掛けて欲しくなかったので」

「私は犯罪者になるつもりはない。だが、身内としてその悪事は公にしなければならないだろ。だからこそ、情報を集めて最後の一人を含めた犯人を警察機関に伝えねばならん」

「もう、逃げてしまっているかもしれませんよね?」

「いや。あいつは逃げるなんて真似はしない。あいつは私を……」

「私を、何ですか?」

「気にするな。何を言いたいのか忘れた、それにしても眠いぞ」



 危なかった。眠気と疲労で頭が回らず、危うく私が狙われていることを伝えてしまうところだった。一度、仮眠を取った方が良いかもしれないのだが、この後、また出掛けなくてはならないのだから、情報屋というのも中々に大変だ。



 顔を洗って一度サッパリしてから簡単な朝食を済ませた。



「そろそろ出るか」

「はい」



 施錠はしっかりと確認して正門を出る。周囲の警戒をしてから駅前までやってくると朝早くても出勤の社会人が武蔵野線の改札に飲まれていく。私達は新京成線の改札の中へ。目指すは香元華然が入院している病院の最寄りである馬橋駅。本当は武蔵野線で新松戸から乗り換えた方が早いのだが、あの混雑を一駅でも過ごすのは絶対にご免である。それにまだ時間が早いので、少し遠回りしながら考え事をしたかったというのも理由の一つだ。



 松戸駅で乗り換えて二駅の場所。



 ロータリーには既に吾妻さんが待機していてくれていた。車に寄りかかる姿勢のまま缶コーヒーを飲む姿が様になりすぎていて、運転席には彼女の代わりに萩谷さんがハンドルに顎を乗せて眠そうにしていた。



「足と肩の調子はどうだ?」

「まだ少しは痛むが、歩けないほどではないな。それより」



 目付きを変えた吾妻さんが、「二人目の犯人が分かったというのは本当だな?」その言葉にしっかりと頷いた。



「だからこそ華然に確認を取りたいんだ。まあ、ほぼほぼ間違いはないだろうが、裏取りは大切だ」



 全員車に乗り込み病院へと向かう。



 病室前にはまだ警察官が眠そうに立っており、室内には華然と吉成が他愛ない会話をしているようで、私達の到着に、「いらっしゃい。この足音は、慈雨と直也、うーん、日和ちゃんかなぁ?」足音で人を識別する能力はとても評価するが、「そうだよ。というより、事前に私が来ることは伝えただろうが」返した。



「早速だが、お前に確認したいことがある。お前を誘拐し、連続猟奇事件を引き起こした人物の一人は貝塚浩だな?」

「そうだよ。貝塚先生……、うーん、足音は違ったけど、きっと貝塚先生の意志だね。彼の協力者が私を誘拐したんだと思う」

「もう一人は本郷日暮と名乗っていた作家、そいつが事件の黒幕だな?」



 その名前に吾妻さんがいち早く反応したが、私は手で彼女を制した。まずは彼女から裏取りをしなければならない。



「うーん、黒幕と言うのはどうかな。でも、その三人の内の一人が彼女なのは確かなんだよ」

「裏取りが取れたようだな。説明しろ、猿手目日和。本郷日暮とはこの間に華然の手紙を寄越した女だろ」

「そうだ。だが、本来の本郷日暮は既に亡くなっていた」

「どういうことか説明してもらえるんだろうな、猿手目日和」

「もちろんだ」



 私は全てを話した。本物の本郷日暮が既に殺されていたこと。その事件が公にされていないこと。彼女の正体は私の姉であり、猿手目家が闇に葬ろうとした、猿手目快晴という真っ当に頭のネジがぶっ飛んだ人物であることを。



 衝撃的といえばそうだろう。一同の口を閉ざさせるほど猿手目快晴という人物は常軌を逸脱した存在だったのだから。だが、この中で唯一、「お姉さんだったんだね。でも、どうしてお姉さんが家族を狙うのかな。変だよね」香元華然だけは平然とニコニコとして口を開ける。



「変でもないだろう。快晴は何処かの施設へ収容されている間、家族とぬくぬくと愛情に満ちた生活をしていたんだからな」



 殺害動機としては一番しっくりくる。子供が非行に走ったりするのは親の気を引きたいという欲求が原因だと聞いたことがある。元々、そういった嗜虐性を持ち合せていたが、それが親に振り向いてもらいたいという意思表示だったのだとしたら……、やはり根幹には愛という確固たる感情が潜んでいるのだ。



「どうかな。私が誘拐されていた間の面倒を本郷……、違ったね、快晴ちゃんが見てくれていたけど、一度も日和ちゃんに対して恨み辛みの愚痴一つもこぼさなかったよ。むしろ……、ううん、やっぱなんでもないや」



 恨み辛みの愚痴一つ無くてもしっかりと殺害予告は受け取っているのが証拠だ。



「華然。三人目の実行犯については本当に知らないんだな? 声を聞いたとか、そんなものでも構わない」

「残念だけど、日和ちゃん。私は知らないんだ、ごめんね。話をしていたのは貝塚先生と快晴ちゃん。だけど、確かにもう一人、そこに誰かがいたのは確か。靴音も三人分、二人とは異なる息遣いも感じたもん」

「そうか。沈黙の三人目は誰なんだろうな」



 ぼやく私に、「その快晴とやらを捕まえて口を割ればいいだけだ。簡単なことさ」怒りを露わにしている吾妻さんが早口に言った。



 確かに貝塚亡き今は快晴を捉えたほうが早いだろうが、その快晴は自分の正体は私にバレていると知っているはずだ。そんな状況で姿を容易に見せるはずも無い。一応、久内にも連絡を入れて指名手配なりなんなりをしてもらえるよう言ってみるが、その成果はあまり期待できないだろうな。



 十九歳で完全犯罪をやってのける人物が警察に捕まるようなヘマはしまい。



「今更だが、お前は貝塚に攫って欲しいと文を出したのか?」



 そう。もともと華然が行方を眩ませた理由は、そこにある。もしかしたら快晴に誘導されていたという可能性も否定はできない。ようやく円満になりつつある家族の関係に亀裂を入れてしまうような質問だと分かっていても、聞かずにはいられなかった。それだけ何かしらの進展に繋がる情報が欲しいのだ。



 鍵付きの引き出しに入っていて、あの癖の強い字体は華然本人と見て間違いは、「手紙? 貝塚さんとはやりとりしてないよ、私」ないはずだと確信していたからか、華然の発言に何を言っているのか理解するのに僅かの時間を要した。




「なんて言ったんだ?」

「攫って欲しいなんて手紙出してないよ。どうして、そんな手紙を出すの?」

「いや……、それは、お前が」



 どういうことだ。まったく意味がわからない。華然ではないとするなら誰が、あんな鍵さえ隠してある引き出しに手紙を仕舞えるというのか。



 華然を攫った際に鍵を自力で見つけ出し、手紙を引き出しに入れてまた鍵を元に戻した、なんて馬鹿馬鹿しい。無理だ。不可能だ。香元家の人間が就寝しているとはいえ、そんな怪盗のような仕事をこなせるはずがない。



「本当に知らないんだな!」

「そこまでにしてもらおう」



 詰め寄る私を遮ったのは華然のボディーガードである吾妻慈雨だった。彼女の手が私の肩を少し強めに掴み押し退いた。無言の圧力に屈するところでさらに割って入ったのが椿だった。おかげで椿と吾妻さんが睨み合う形になり、「日和お嬢様に手荒な真似をしましたか?」珍しく怒気を含んだ声だ。



「私の主人に詰め寄ってきたのは其方が先だが?」

「此方は手を出してはいません」

「出していたかもしれないだろ。今の猿手目日和は冷静さを欠いていることくらい一目瞭然だ」



 互いに主人に仕える役目が故に退くことができない状況なのだろう。確かに私はあのまま吾妻さんが割って入らなければ胸ぐらくらいは掴んでいただろう。気性の荒い自分の性格だからこそそこを見抜かれ、彼女は自分の役目を全うしたのだ。



「椿、ありがとう。私が悪かった」



 椿も吾妻さんを前にしてよくやった、と一言添えて私の背後に控えていて貰う。



「吾妻さん、ありがとう。あまりに荒唐無稽な考えばかりが浮かんでくるもので、少々イラついていたんだ」

「わかればいい」



 私をジッと観察するように鋭い目をさらに細めてから、フッとその威圧が和らぎ華然への道を譲るように下がった。



 深呼吸をしてなるべく気持ちを落ち着かせてからゆっくりとベッドへと寄り、「すまなかった、声を荒げたりして」まずは謝罪をすると、「それだけ必死なんだもんね、日和ちゃんは。でも私も嘘はついていないんだ。貝塚さんとは文通はしていないよ」穏やかで慰めるような口調でそう言った華然は本当のことを言っているのだろう。



「今はもう聞くことはなにもないか。帰るぞ、椿」



 私は気持ちを入れ替えて、やるべきことをやろう。この短期間で二人の犯人がわかったのだから、もう一人も直ぐに判明するはずだ。



 情報屋は情報屋の……。



 私は引っかかりを感じていた。確かに猿手目快晴は完全犯罪をこなすほどの知力と行動力を持っている。が、情報集めはどうだろうか。猿手目の姓を持つが当主はまだ父さんだった。当代の座も譲渡されていない娘に高度な情報収集なんて不可能だろう。それに、あくまで仮定ではあるが、快晴は事件を引き起こし、必要な人材を手配したにすぎない。



 猿手目と同等かそれ以上の情報屋が付いているという仮説はまだ生きているだろうか。



 ひとまず香元家の人間に最後挨拶だけをして椿と共に病院を出て帰宅した。



「郵便受けにお手紙が入っていますよ。日和お嬢様宛ですね」

「私宛だと? 誰からだ」

「それが、宛先人も郵便局の証印も入っていないんです。変ですよね。この間も似たような手紙が届いていましたし」



 私は椿から受け取った茶封筒の裏表を確かめたが、猿手目日和様、という文字以外には何も書かれていない。その場で封を切って中身を確かめたかったが、万が一の内容を考慮して、椿に心配はかけるわけにはいかない、と自室に戻ってから丁寧に封を切った。



 私が誰だか分かったようだね。わざわざ私のことを徹夜で調べてくれていたなんて嬉しい限りだよ。さあ、日和、お前の命は私にとっても大切なものだが、猿手目の当主としての価値が無いなら、私は無関心でいよう。早いところ実行犯を猿手目の神託を以て暴いてみせてほしい。生きたいなら、ね。



 という内容に違和感を抱いたのはその文章のある箇所だった。



 お前の命は私にとっても大切なもの。価値が無いなら無関心でいる。これではまるで私を狙っているのは快晴ではないようにも捉えられる。



 となると、私を殺そうとしているのは本当に実行犯で、事件を暴かれる恐れから私を狙っているということか。狙っているのならさっさと殺害するべきではないだろうか。危険因子をいつまでも野放しにしておく必要も無いのだからな。私だったら邪魔者は優先して排除する。そうしない理由が何かあるのだろうが、今の私にはとうてい考えつくようなものでもないはずだ。それはそうだろう。人道を踏み外した連続殺人犯の考えなんて常人には理解できないんだからな。

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