第13話 香元華然の不自然な手紙
な、なんだ……、この手紙として読んでいいのか、暗号として解読すればいいのか、どちらにせよコレを読み解くには時間を有することだけが、紙面の汚い字を目にしてわかった。
次に私はこの手紙を寄越した作家の本郷日暮を哀れみを込めた視線を投げた。
「ああ、違うよ。これはね、そう……、香元華然からの手紙だよ」
「なんだって!?」
私より先に発した驚きの一声は吾妻さんであった。当然だろう。行方を眩ませている香元華然からの手紙となれば、それは家族同然であった彼女が反射的に反応してしまうのは。
となれば、私はこの手紙を吾妻慈雨という華然を案ずる身内へと渡すのが一番だと判断した。手渡された紙面は小刻みに震えている。それは彼女の指から伝わったものであることくらい一目瞭然といっていい。
ジッと私は吾妻さんの様子を伺っていると、みるみるその彼女の表情から緊張が吹き飛び、安堵と困惑と恐怖をない交ぜにしたようななんとも説明に窮する表情で紙切れをテーブルに落とした。
「私には解読が出来ない。香元華然の身内なら容易ではないか?」
「ああ、そっか。この人、ああ、うん。華然のボディーガードの人だったね。いま思い出した」
どうするべきか決めあぐねている様子だが、意を決したのか、「結論から言って華然は生きているようだ。しかし……」言葉が詰まってしまったように渋い顔をして、「今回の事件、華然も関わっている」吾妻さんの眼に色濃く浮き出た悲しみの情が紙面に落ちる。
「どう関わっているんだ」
「自分の詩を主張することで、自由を得るそうだ」
詩を主張……、自由……。待て待て、それはどういうことだ。何故、詩を世間に知らしめたら自由が手に入ると言うのか。香元華然の思考が全くといって読めない。それこそ自由な発想が過ぎるではないか。
私は香元華然という存在を本当に同じ人間であるのか疑わしく思えてきていた。いいや……、そもそも、あんな渇望を胸に秘めていた時点で……。
「すまない、用事を思い出した。私は先に失礼するが、猿手目日和、駅までなら一緒に行ってやれるが?」
「椿もいるから大丈夫だ。私はこの作家ともう少し話さなければならなくてね」
その鋭い視線を本郷日暮へ向けた吾妻さんは、「どうしてお前が……」とだけ呟くと背中を見せて店を出て行った。
「これが届けられたのはいつだ」
指先で摘まんだ紙切れを、まるで証拠品を見せつけるように詰める。
「昨夜だね。私の記憶が正しければ、だけど」
いちいち苛立たせるような言い方をするこの女に、「若年性記憶障害だったら早期の通院を勧めてやる」私は子共なので反抗して苛立ちを沈めた。
「ちょっとしたジョークじゃないか。華然ならニコニコとして笑ってくれたんだがね」
「生憎と私は真面目な場面で巫山戯られるのが好きではないし、子共なのでまだ感情の自制なんて高等技術は身に付けていないんだよ」
「十五歳と言えば高校一年くらいか」
「それが何だと言うんだ。まさか、学校にも通わない馬鹿なら適当にあしらえるとでも思ってはいまいな」
「それこそ、まさか、だね。猿手目家をあしらう高等技術なんて持ち合せてはいないし、そんな度量も一介の作家には持ち合せていないな。私が言いたかったのは、ご立派だな、ということさ。普通の高校生は家を継がないし、使用人を養う為に働きもしない。ましてや殺人事件の解決の為に情報収集に時間を割かないだろう」
「そんなおだてで私は気をよくしないぞ」
「そんなつもりは毛頭無いんだけどねぇ。まあ、いいさ。ああ、その手紙は昨夜ポストに投函されていた。封筒にも入っていない裸の状態で。つまり、どういうことかは分かるね、猿手目日和さん」
「郵便局も通さずに、わざわざ赴いて直接ポストに入れたんだろ」
「正解だ。だけどここで問題が二つ発生することになる」
「誰が投函したか。なぜ、お前宛てだったのか」
「そうだ。香元華然が最も信を置き、懐いていたのは、先程の女性のはず。吾妻……、慈雨さんと言ったかな。なぜ、香元家でもなく彼女でもなくただの作家の私なのか」
単純に考えるならこうだろう、という答えが一つ思い浮かんだ。
「詩を勧めたのはお前だろう。この手紙には詩を主張……、つまり事件を通じて公表という意味だと私は考えている。そうすることで得られる自由の切っ掛けをくれたお前に華然なりの礼儀だったんじゃないか」
「なるほど。そうとも考えられるね」
そうとも……、だと。ならばこいつは他の意を汲んでいるということか。それにコイツの反応はまるで私が見当違いな回答をした生徒をフォローするような言い方だ。気に食わないが、そうまでの反応を見せたコイツの回答を是非ともお聞かせ願おうか。
「吾妻慈雨の語った訳は嘘だと私は思っているんだ。キミは彼女をジッと見ていて何も不信感を抱かなかったのかい」
「嘘? 何のために吾妻さんが私達に嘘をつく必要があるんだ。そもそも、こんな解読困難な字をそもそも読めるかも怪しいお前に送るのが、まずそもそも何かありそうだが?」
「華然ちゃんはもしかしたら、私と吾妻慈雨が接触するのを込みで、私にこの手紙を寄越したのかもしれないね」
読めない難解な文字。
「神託の巫女様は一つのことに専念してしまうタイプのようだね」
「それのどこが悪い」
「悪くなんてない。全然いいことだと思うよ。ただ……、キミはどうしてこの手紙が私を仲介させたか、に縛られているのだろう。私のもう一つの疑念を置き去りにして」
もう一つ。ああ、そうか。吾妻さんが嘘をついたという点か。
「それは私が悪かった。すまない」
人が折角素直に謝ったというのに、目の前のコイツは面白いものが見れたというような目をしていやがる。
「謝ることはない。それは良いこと、なんだからね。まあ、いいか。彼女の反応は不審だ。よく小説や創作物の中で、今まで一緒にいてこれから何かをしようという場面で、一人が急にだよ、これからやらねばならないことがある、なんて言ってその場から退場するよね? どうして前もってそういった予定を伝えておかないのだろうとは思わない?」
「お前の言いたいことは理解した。その場面の型通りに進んだ、だから怪しんでいる。そういうことだろう」
「そういうこと。それにもう一つ、席を立って私を見て呟いた一言を覚えているかな?」
「どうしてお前が、か?」
「正解。しかしあの場でその言葉は不適切だと思うわけだよ。この手紙が私に送られた事に対してなら、どうしてお前に、がしっくりくる。が、彼女はそこで、どうしてお前が、と言ったんだ。これってもしかしたら私に言った言葉じゃなくて、手紙の送り主である華然ちゃんに言ったんじゃないか、と私は予想しているんだよね」
なんだこの女は。まるで小説の中に出てくる探偵みたいじゃないか。些細な言動や反応を逃さずに想像を膨らませて仮説を立てる頭は、まさにそのものだ。
「私にはお前のように頭は働かないようだ」
「頑張りたまえ若者よ」
「うるっさいぞ! もういい。お前の案が正解に近いんだ。じゃあ次に、本当はこの文字のなり損ないはなんて書いてあるかだ。吾妻さんが嘘をついたのなら、私達に知られたくはない内容であることは容易に想像できるが、彼女が口を閉ざすなら私達にこれを解読する術はないだろう」
「さて、本当に彼女だけが華然ちゃんの文字を解読できる存在かな?」
「ああ、もう! 私が悪かった。そうだな、今のは考え無しの思考放棄だった。簡単だ、香元家の人間なら解読できるかもしれない、と言いたいんだろう」
「そう。香元家のご当主様は読めないだろうけど、彼女に字を教えていた庭師の使用人。彼はまだ働いているのかな」
「萩谷さんか」
萩谷直也。確かに彼が香元華然に字を教えたと言っていた。それにまだ彼は香元家にいる。もしかしたら今日もまだ居るかもしれない。そもそも住み込みなのだから家を離れる機会の方が少ないはず。もしかしたら買い物に出ている可能性もあるが、そう長時間を空けることはないはずだ。
思い立った瞬間に私は席を立ち、袴を手で払ってからカウンター上に乗っかっている電話機へと歩を進め、百円玉を店員に手渡して香元家の番号を押した。
コール音は直ぐに途切れ、「香元です」柔らかい男性の声。
ビンゴ。この声は萩谷さんの声だ。受話器を握る手に力も籠もってしまうが、心は冷静に、「猿手目です。萩谷さんですか?」跳ねる、跳ねる心臓の興奮を押さえて、努めて冷静に発声する。
「猿手目さんですか。どうなさいましたか、旦那様におつなぎしますか? それとも吾妻さんでしたらまだ帰られていませんが」
「いいえ。私がお話したい……、いいえ、お会いしたいのは萩谷さんなのですが、これからお時間を頂けませんか。これは香元華然さんの行方に繋がる大事なのです」
「えぇ!? 華然お嬢様の行方ですか。わかりました! ぼ、僕で協力できることは何でもしますよ。ええと、そうですね。今なら空いています。待ち合わせはどうしましょうか」
「其方に不都合がなければこれからお邪魔させていただきうたいのですが、どうでしょう」
「わかりました。お待ちしております。このことを旦那様にお報せしても構いませんね?」
香元吉成は面倒臭い奴だが、妻も失って消沈している彼を同席させていいものだろうかと悩む。もし、この手紙が余計に彼の心を潰すような内容だった場合、あまりに不憫ではないか。しかし、お邪魔する以上は吉成も私に感心を寄越すはずだ。彼には香元華然を見つけると約束した手前、その情報が如何なるものであれど、聞く権利を有しているのだから。それに、少なくとも娘が生きていると分かれば少しは慰めにもなるだろうと判断した。
約束を取り決めた私はまた席に戻って手紙を袖口に仕舞う。
「お前は行かないのか?」
「んぁ、私は遠慮する。言ってしまえば彼女を香元の教育から道を踏み外させた張本人だからね」
「そうか。手紙のこと感謝する。椿、行くぞ」
財布から千円札を二枚置いて椿と一緒に店を出た。
「日和お嬢様、本当に申し訳ありません」
「もう謝るな。お前のお陰で事件と香元華然に繋がる情報を得られたんだからな、お手柄だぞ、椿」
「はい!」
松戸新田駅方面へと戻ってから運動公園のある住宅地を入ってしばらく、香元家の豪邸が嫌みったらしく迎えた。
鉄柵の門の前には萩谷さんがソワソワとした様子で待っていたが、私達を見つけるとパァッと表情が咲いて、「よくぞいらっしゃいました。旦那様もお待ちしております。最高のお茶と菓子もありますので」そう言って門の鍵を開けてだだっ広い庭を歩いて屋敷内の居間へと通された。
本当にこの男はあの厚顔不遜であり、猿手目家を心底毛嫌いしていた香元家の主であったのが信じられないくらい覇気もなく、しかし、その目に宿す光は私の得た香元華然に繋がる期待に燃えていた。
「よく来たな。猿手目日和さん。さっそくで悪いが、華然に繋がる情報を得た、とのことだが?」
全員で着席して顔を合わせる。
「ええ。しかし、これは私だけでは解読ができる代物ではありません」
そう言ってから袖口に仕舞った紙切れをテーブルの真ん中で置く。二人が覗き込むように身を乗り出してその紙面を覗くと、「あっ!」先に声を上げたのはやはり萩谷さんだった。吉成は眉を寄せるだけの反応に留まっている。
「これは日和お嬢様の字です。間違いありません。この独特な癖はお嬢様の鉛筆の握り方と変な癖によって書くことの出来る字体なんです」
「華然は……、娘はこんなに字が汚かったのか」
引き攣った表情の吉成はしかし、萩谷さんの言葉に顔色が数段明るくなったような気がした。
「解読できますね、萩谷さん」
「ええ。これを解読できるのは僕と吾妻さんくらいでしょう」
やっぱりそうだったか。
「萩谷君。さっそく華然の手紙を読んでくれ」
「はい、旦那様」
緊張の面持ちで手紙を手に持った萩谷さんの眼は一度、その文字列を整理するように視線が紙面の文字を何往復かした。
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