第8話 香元華然の秘密

 情報収集は芳しくなく、香元寄江殺害から五日が経過した。



「そうですか。ありがとうございます。引き続き宜しくお願いします」



 受話器を置いて直ぐさま口からは深く、長い陰鬱とした溜息が出た。



 新たな被害者を出さぬ為にも方々で手を尽くしているというのに、情報屋も警察も犯人に繋がる手掛かりを入手出来ずにいる。随分と舐められたものだ、と舌打ちをして書斎の時計へ目をやると既に深夜の三時を回ろうとしていた。



 机に並べた被害者たちについて記載された報告書を片っ端から集めて今日はもう寝ようと背を伸ばす。寝室のベッドにゴロンと寝転がって瞼を閉じてみたが、どうも私の意識は眠りに落ちてはくれないようで、仕方なくそのままの体勢でボーッとすることに務めたが、どうしてか思考が勝手に働いて憑かれたように頭の中は凄惨な事件を追っていた。



 私は事件を香元華然の周囲の人間もしくは彼女の詩に魅せられた信者が犯人であるという大前提で小粒の情報を繋げ合わせている。もし……、もし仮にただ詩の内容を面白がってそれを事件に使っているとしたら……、いいや、そんな偶然あるものか。たまたま人を殺したい人間が、たまたま詩展を訪れ、たまたま華然の詩を見つけ、たまたま殺害演出として選んだ。実に馬鹿馬鹿しいな。そんな偶然が重なり合うはずもない。



「もう少し調べてみるか」



 そのまま夜が開けてから香元家へ一本の電話を入れた。



 対応したのは香元吉成だったがずいぶんと憔悴した印象がその口ぶりから伝わってきた。この後少し話を伺いたいという願いも、「わかった。待っている」とすんなりと受け入れられてしまえるくらいに吉成は我を失っている。



 朝食を済ませてから私は前回同様に一人で香元家へと出向き、給仕の萩谷さんに案内され談話室へ通された。直ぐに吉成が現れたが弱々しい口調に見合ったその姿がちょっと哀れに思えてしまい、それが引っかかりとなって言葉を逃してしまう。



「吾妻さんはいないのか?」

「彼女は急用とかで出ている。それで、聞きたいこととは何かね」

「あ、ああ。香元華然についてだ。まずは彼女の部屋を見せてもらえないか?」

「華然の? てっきり、寄江についての話を聞きに来たものだと思ったが」

「寄江さんは警察に任せてある。私は私が調べられることを調べるだけだ」

「神託というのも大変だな」



 鼻で笑った吉成は萩谷さんに私を華然の部屋へと案内するように告げた。



 目の見えない彼女の部屋は当然であるが一階にあるらしく、どの扉にも点字を打ったプレートが付けられている。これは華然に配慮したのだろう。



「ここです」

「ありがとうございます。もう少しお付き合い願えますか、萩谷さん」

「わかりました」



 華然の部屋は整頓されていて、必要最低限の家具だけが並んでいる。ここが香元華然の世界。目が見えぬから本は無いしテレビも無い。ラジオと電話機が横並びでベッドのサイドテーブルに置かれている。電話線は躓かないようにベッドの下をわざわざ潜ってからプラグに接続されていた。



 窓際のデスクにはペンとノートが一冊。



「これは?」

「お嬢様が行方不明になる一週間前にねだられて自分が買ってきたノートです。結局……、使ってもらえませんでしたが」

「どうしてノートを?」

「自分の字で詩を書いてみたいと仰ったので」



 そのノートを手に取って開いてみると白紙の頁が続いている。しかしペラペラと捲って行くと一頁だけ破られた箇所があった。この箇所について聞いてみたが、「申し訳ありません。わかりません」彼もその頁を不思議そうに眺めている。



「華然さんは字は書けるのですか?」

「平仮名ならなんとか……、という程度です」

「このノート少し預からせて貰ってもいいですか?」

「ええ、大丈夫だと思います」



 机の引き出しを開けてみるとそこには丁寧に畳まれた紙が大量に入っていて、「ああ。これは慈雨さんや自分が代筆したお嬢様の詩ですね」その全てを机に並べて読んでみると、少女趣味な可愛らしい詩ばかりだった。夢見がちなお年頃の作品から一転してどうしてあんなオドロオドロしい作品が書けるのか。本当に自分自身を見つめた結果生み出してしまったというのか。



 この詩からは何の手掛かりも得られないと判断して元に戻そうとした所で違和感に気付いた。この引き出しの底面だけ少し色合いが違うような気がしたのだ。触れてみてもがたつきはないからそういうものなのかとも思ったが、「そういえば……」萩谷さんが、一瞬その言葉を失言だったというように気まずそうに目を泳がせ、私はそんな彼の態度に食らいついた。



「そういえば、なんですか?」

「ああ、いえ、その……、この引き出しなんですが、お嬢様の特注なんです。ほら、ここ見て下さい」



 引き出し内部の底面の角を指さす先を見て、「ああ、やっぱりそういう仕組みなんですね」僅かに意図的に開けられた特徴的な小さな穴を見つけた。



 この穴には適した鍵が必要となるはずだが、「此方の鍵はどちらに?」私の問いに、「お嬢様が管理していましたので……」申し訳なさそうに首を振った。



 管理しているとはいっても常に持ち歩いているわけでもあるまい。私の予想ではこの部屋もしくはこの家の何処かに隠してあるのではないだろうか。



 ひとまず部屋を探し回ってみたが鍵のようなものは見つからず、よく華然が利用する部屋や場所を聞きながら屋敷中を探し回ってみても見つけることは出来なかった。途中、吉成の訝しむ視線が向けられていたが此方のやることに口を出す気はないようで、それはそれでやりやすいのだが、妙な感じがして気持ちが悪い。



 結局、無駄に疲れただけで、居間で休息をしていると吾妻さんが帰ってきたようだ。彼女の後ろ姿を廊下で一瞬だけ目にした。彼女はどうやら吉成の部屋に入っていったようだった。



「一応、慈雨さんにも聞いてみましょうか?」



 吾妻さんは華然のボディーガードでもあったのだから彼女と共にする時間が一番長いはず。是非、とお願いした。



 居間を出て行った萩谷さんは数分して吾妻さんを連れて戻ってきた。彼女は相変わらずの無表情だがソファーに腰を下ろすとゆっくりと長い息を吐いた。



「華然の机のことで私に話があると聞いたが?」

「ええ。華然さんの机の引き出し、あのカラクリを解く鍵を探しています。ご存じ在りませんか?」

「その鍵なら知らない。華然が隠しているからな」



 目が見えないのだからナンバーロック式の南京錠に仕舞ってあるわけでもあるまい。どこかの引き出しという可能性が高いか。もしくは衣服のポケットなんかも考えられる。



「そういえば、よくあの部屋に入っていたな」

「あの部屋というのは?」



 吾妻さんが思い出したように、しかし、顔を渋めてあまり話したがらないのはどうしてか。



「二階の部屋なんだがな」



 萩谷さんと一階の部屋はひとどおり見て回った。それは華然があえて階段を使うはずがないと決めつけていたから。事実、萩谷さんは華然は普段は滅多に二階へは上がらないと言っていた。



「案内して頂けますか」

「あの部屋は吉成の許可が無ければ、私個人の一存で他人を入れるわけにはいかない。そういう部屋なんだ」

「わかりました。ではお伺いを立てにまいりましょう」

「その必要はない」



 背後から弱々しい男性の諦観染みた声が降りかかり、ゾッと背筋を伸ばして振り返ると、これから探そうと思っていた吉成と視線が合った。



「構わん。好きに調べるといい」

「あ、ああ。それは助かる」



 たじろぐ私に口の端から息を漏らした吉成は、「お節介だろうが忠告しておいてやる。年長者を相手に少しは口の利き方を覚えろ。相手が気に食わなくても、な」本当に余計なお節介だ。



「それはどうも。私からも一つ忠告してやるよ。猿手目家を詐欺呼ばわりするな。神罰が下るぞ」



 私がコイツに敬意を払わないのはコイツが猿手目家を詐欺呼ばわりしたことが発端だ。確かに私の父は華然捜索の神託を断ったのが両家の確執の始まりだろう。しかし、私個人の問題としてそんなのは関係が無い。家を侮辱されれば誰だって心穏やかな気分ではいられないものだ。



「わかった。これまでの非礼を詫びる。だからどうか……、娘の行方と妻を殺した犯人についての神託を授けてくれないか」

「元よりそのつもりだ。私も約束する。吉成さんの前で犯人を暴くと」



 ほんの少しだけ吉成の顔色に変化が見て取れた。



 当主からの許可も得たことで私は吾妻さんと華然が時折出入りしていたという部屋へ向かったのだが、なるほど、確かにこれは使用人の一存で入室させるわけにはいかない場所だということが見て分かった。



 一言で言い表すならば宝物庫といった所だろう。



 だが、生憎とそういった目を持ち合せていない私はこれらがどの程度の値打ちがするのかは想像も出来ない。素人目に見てなんとなく高価だと思わせてくれるくらいの威厳はある。



 室内中央には天井に届くほどの棚が三つ並び、壁際には箱やら戸棚などが整列している。金銀輝く収納されているそれらを一瞥しながらも華然の引き出しの鍵を探し始める。吾妻さんも慎重に品々をずらしてみたり、壷の中を覗いてみたりしている。



「普段、ここにあるものは移動をされたりは?」

「さあな。普段は誰も入らない……、いや、華然がたまに入っているか。それ以外は吉成が手入れや鑑賞しに来るくらいだ」

「目の不自由な華然さんが鍵を隠していたと考えるに、ここにあるものは移動させないでしょう」



 ひとどおり探し回ったがどうしてか見つからない。吾妻さんも顎に手を当てて難しい顔をしている。



外の日射しが差す出窓には写真を収めた写真立てが。この場に相応しくないモノがどうしてこんな場所にあるのか。香元家の写真は廊下に飾られている。普段、あまり人の出入りが無い場所に飾ったところで誰が見るというのか。



 なんとなくそれを手に取って裏返すと小さなアンティーク形の鍵がセロハンで貼り付けられていた。なるほど……。扉から真っ直ぐ歩んだ先の位置にある出窓ならば目の不自由な華然は迷い無く鍵を取り出すことができるというわけか。



「見つけたか」

「ええ。この写真立ての裏に貼り付けてありました。ですが、一つ疑問を抱いたことがあります。この写真、華然さんだけが写っていません。どうしてわざわざ自分が写っていない写真を使うのでしょう」

「これは華然がカメラを使ってみたいと言った時のものだな。この写真を写真立てに飾って欲しいと華然にせがまれてな」

「目が見えないのに? それにしてはしっかりと被写体が写真に収まっていますね」

「三脚で固定していたからだ。華然はシャッターを切っただけだが、自分が初めて我々使用人を含めた家族の記念を撮影できたと、とても喜んでいた」

「そうですか。では早速華然さんの部屋に戻って確かめましょう」



 華然の机の引き出しの底面の穴に鍵をねじ込むと、ガタリ、と細工が作動して僅かに浮いた。固定された鍵を引き上げると釣られた底面も一緒になって持ち上がる。



 底面の下に隠されていたモノを見て、「なんだこれは?」吾妻さんと声を揃えて首を傾げた。



 中には下手な字で大きく、「わたしはうまれなおしたかった」と書かれた紙と一緒に小さな木製の猿が収められていた。



 これが、こんなものを隠しておきたかった香元華然の思考や情緒が理解できない。



 一つ分かったのは彼女が人生に満足していないということ。



「おい、その紙の下にもう一枚あるぞ」



 吾妻さんに言われて気付き、二枚纏めて手に取る。ズラして見ると今度は達筆な字体で、「大丈夫。いつかキミはもう一度生まれ直せるから。私がそれを叶えよう」と書かれた、私達を一層に困惑させ混乱させる一枚。



「誰がこんなものを?」

「華然ではないな。あいつは平仮名しか書けない。それになぜ華然を相手に文字で記した? そこが不可解だ」



 私も同じ疑問に躓いていた。



 普段が家に籠もり、外出時は付き人を伴う華然がこんな手紙のやりとりが出来る相手を私の頭に一人浮かんでいた。



 本郷日暮。香元華然と喫茶店で唯一の二人っきりで過ごせる時間を有していたミステリー作家。そもそもあの女が華然に詩を勧め、彼女の内面の奥深い場所の感情を引き上げさせた張本人。



 もう一度、彼女と会ってこれについて聞いてみるか。



 香元家での用は済んだところでお暇しようとしたら、「送っていこう」吾妻さんが車の鍵を握って共に玄関を出た。



 庭先に停められている車の助手席に乗り込み、そういえば車に乗るのは久しぶりだな、なんて一瞬考えたが、「何か心当たりがあるんだろ」ハンドルを手繰る吾妻さんが急に革新的な口調で聞いてきた。



「なんのこと?」

「華然の部屋から出てきた誰かの直筆の手紙だ。当ててやろうか。お前はノルンで華然が会っていた小説家の女と関係していると考えている」

「貴女も同じ考え?」

「私は推理なんてものはしない。私はただの護衛だ」

「正解だ。香元華然はノルンで本郷日暮に自作の詩を見せていたな? その中に手紙を紛れこませた」

「なぜ手紙で返事をする必要がある?」

「それは……。たぶん、言葉だけでは駄目だった。助けを求める少女は欲したんだ、信じられる希望を手元に」

「なるほど。手元に残る、そこが重要というわけか。その猿の像も?」

「実際、華然は何度も宝物庫に入っていたわけだし、これは目に見えずとも、しっかりと約束の証が手元にあって安心できていたんじゃないか? 猿の像については知らんが」

「かも、しれないな。結局の所、私達では彼女の孤独を埋めることが出来なかったってわけだ」

「それは違うと思うぞ。本人じゃないから真偽の程は分からないが、彼女が求めていたのは親子の愛だろ。詩もそういった内容のものだったわけだしな」



 横目で吾妻さんの顔を確認すると、なんとも言えない寂しさのものを感じ取った。



 荻谷さんや吾妻さんの存在は香元華然の支えになっていただろう。私にとって椿がそうであるように。

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