第7話 神格化に伴って不要な者

 昨夜、眠れなかったのは考えることが多すぎて気付けば空は白み始めていた。



 電話帳やらノートやらを広げて各方面に情報提供の依頼と交渉をして回り、流石に疲労困憊が隠せず大の字に足と手を投げ出して寝転ぶと、ウトウトと混濁し始める思考と重くなる瞼に抗おうという気概も沸き起こらず、袴や着物が皺になることも厭わずにただ微睡みに落ちていく感覚の心地よさに満足して……、誰かに揺すられながらも名前を呼ばれ続けて目を開けると、「日和お嬢様! 起きて下さい。大変です」椿が必死な顔つきで私の上体を起こした。



「なんだ……。私はまだ眠いんだ」

「テレビを見て下さい!」



 私はまだ覚醒していない頭と意識しなければ落ちてしまいそうな瞼を擦りながら、ぼんやりとテレビへ視線を向けた。



 新たな被害者を報せるニュース番組のようだ。流石に眠気も吹き飛び、リモコンの音量を上げて食い入るようにテレビへ意識を向ける。



 香元寄江が自宅玄関の前で遺棄されていたのを住み込みの使用人である萩谷公也が発見したことで事件は明るみになった。被害者の状態からもここ最近起きている松戸市連続猟奇事件と同じ手口であることは明らかであり、現在、警察は香元家の人間と近隣住民への聞き込みを行っているとのこと。



 香元寄江は華然の母親が何故、殺されるのか。被害者は一貫して若い女性ばかり。詳しい年齢は知らないが寄江は見た目の判断をすれば四十代前半から半ば。



 事態が複雑に絡み合っていく感覚に頭を悩ませていると、テレビ脇に引いてある電話が鳴った。相手は久内からだ。私はニュースよりも事細かな現場を久内から聞き、この後、昼前に合間を見て猿手目家へ訪れると告げると電話を切った。



 寝起きの頭というのはどうしてここまで働いてくれないのか。一度スッキリするために散歩へ出ると椿に伝えると、「わ、私もお供します」と言ってくれたが、「大丈夫だ。日中から人攫いなんてしないだろう。それに今は一人で考えたい」一時間ほどで戻るから朝食の準備をしておくようにと告げて開放的な外へ出た。



 住宅街に秋を感じられるモノなど無いが、私は秋の空気を私の中に取り込むことに幸せを感じられた。空は快晴だ。今日はいい夕焼け空が拝めそうだ、それだけが張り詰めた緊張の中の救いだ。



 駅方面へと向かって歩くが何処を歩こうとかは考えていなかった。考える余裕なんて無い。次第に鮮明になってきた頭は今回の香元寄江殺害について、どの方面から情報を収集するかについて。



 駅前の喧噪さえ耳に届かぬくらいに集中していたのだろう。私の名を呼ばれたことも認識できず、視線をブーツの先に落としながら歩いていると、「無視は酷いんじゃない?」肩を掴まれた。



「私は今……、なんだ、四方木か。どうしてお前が此処にいるんだよ」

「どうしてって隣り駅でしょうが。早朝の散歩。猿姫こそ何を難しい顔してるのよ」

「考え事だよ。事件がややこしくなってきた」

「ああ、香元華然の母親が殺された件、ね。猿姫は例外な被害者にどう感じてる?」

「どうもこうも全く意味が分からん。犯人はたぶん香元華然のファンか作品にインスピレーションを受けた奴の犯行だ。前者なら香元華然を神格視していてもおかしくはない。そんな奴が神の母を殺害するとも思えない。後者だった場合でも納得できないがな。そもそも被害者は一貫して若い女性だったはずだ。それなのにどうして熟年の女性を殺害した理由さえ想像もつかん」

「ふぅん」



 ニンマリと笑む四方木の態度が癪に障り、「なんだよ」冷ややかな口調で返すと、「十五歳の高校中退したお嬢様がインスピレーションなんて難しい言葉知ってるんだぁ」コイツは私を馬鹿にしているのか。いいや、している。ムッとなったのは年相応な反応だろうが、「私をそこいらの馬鹿と一緒にするな。勉強なんて独学でどうとでもなる」もっと可愛い反応をすればコイツは眼を剥いただろうか。



「そうね。ちょっと、時間ある?」



 そう誘われてモーニングができるカフェに半ば無理矢理連れて行かれた。椿が朝食を作って待っているので紅茶だけを注文し、伝票は四方木に押しつけた。



「私が仕入れた情報。今回は無料で提供してあげてもいいんだけど、欲しい?」

「随分ともったいぶってくれるな。そんな耳寄りの情報なのか?」

「さてね、どうかしら。これは、情報提供者の意向で、無償で貴女に、って」

「私に? 誰が」

「さあ」



 ニヤニヤとした目付きで珈琲を啜る四方木の意図が掴めないが、「話せ」貰えるというのだから貰って損はないだろう。



「松戸東警察署の署長っているじゃない? いま失踪しちゃってる。彼ね、失踪する日の昼間に香元寄江と食事をしていたのよ」

「なんだと!? それは裏が取れているんだろうな!」



 思わず声を上げてしまい、四方木はやれやれといった表情で人差し指を唇に当てた。



「す、すまない。それで、どうなんだ。何を話していた?」

「会話の内容までは知らない。でも、信用できる人物が警察の動向を探っていたら、自家用車で警察署を出た署長さんを見つけてね。追跡したらなんと、松戸新田駅近くのスーパー駐車場で香元婦人を拾ったってわけ。それで近くのファミレスに二人で」

「なるほど。だが、理由は何だ」

「二人には共通点があるわよね」

「事件に巻き込まれた」

「イエス、そうなのよ。三十分ほど食事をしたら香元家近くまで婦人をお送りしてバイバイ。一人は行方不明で一人は殺害された。ねぇ、これってなんか臭わない?」

「確かにこれを無関係で片付けるには不自然だな」



 一人は行方不明。一人は殺害。



 そこ関する情報も近辺の人からそれとなく聞き出さなければならないのか……。やることが多い、と溜息をつきそうになるのを押さえて紅茶を一口。ほどよい茶葉の香りが私を落ち着けてくれる。



「情報提供感謝してやる。それと、お前に一つ返礼として助言をしてやる。付き合う奴は選んだ方がいいぞ」

「妻木宗四郎君のことね。別に誰が誰とつるもうが勝手じゃない。彼ね、とても優秀な人なんだから」

「そうかぁ?」

「ええ」



 四方木は妻木に信を置いているようだが、あの変態が優秀とはとても思えない。貝塚さんと繋いでくれた事には感謝するが、それだけだ。



「引き続き事件に関して何か分かれば情報提供を頼む」

「別に良いけど、次からは此方も対価を求めるからね。これは情報ではなくて忠告になるけど、この業界は敵を作りやすいわ。なるべく慎重に動きなさい」

「わかっているつもりだ」

「わかっていないから忠告してあげているんだけど? いい、神託なんて格好付けているけど、やっていることは情報による他人の破滅がほとんど。過去の意趣返しに猿姫を狙うなんてこともあるんだから。猿手目家がどれくらい裏社会で名を通していたか、今一度じっくりと考えなさい」



 妙に圧の強い剣幕で睨まれた私は反射的に頷いてしまう。どうしてこいつにそんなことまで言われなければならないのかちょっと癪だが、心配してもらっているというのなら素直に受けるべきだろう。だからといって、私のやるべきことにはなんら影響を受けない。神託を求めるならそいつに授ける。それがどんなに危ない事でも。きっと私はまだまだ未熟な子共なのだ。世間を知らない。怖い目に会ったことも無いから実感の一つも沸かない。私の頭にあるのは今回の事件を解決に導くことで猿手目家の信頼を回復させること。



 ファミレスに四方木だけを残した私は屋敷へと帰る。



 昼過ぎに狐男くないが厳しい顔つきで猿手目家へ訪れたので書斎へ通し、今回の被害者の状態や久内が感じた些細な事までひとどおり話を聞いた。



 四方木から入手した署長と寄江の関係は黙っていることにし、「私の方はまだお告げはない」とだけ答えた。



「例外的な被害者がなぜ出たと考えている、猿手目日和。俺は少なくとも、これは例外ではないのかもしれない、とも考えている」

「狐のその理由を問う前に、私の考えを述べてやる。これはあくまで私個人の考えであって神託ではないから鵜呑みにするなよ」



 ひとまず頭の中でゴチャゴチャとしていた情報を整理したばかりではあるが、私なりに考えた一つの答え。



「この事件は香元華然の詩になぞらえて人が死んでいる。詩は全四作だが、最後の一作品の内容が判明していない。香元寄江殺害は四作目の詩が関係しているのではないだろうか、とな。お前の方はどうなんだ、久内」

「なるほど。最後の詩、か。私の考えはこうだ。今までがただ若い女性というだけで、今回の被害者も例に漏れず犯人の標的であったというものだ。詩の内容に若い女性とは一言も書かれていなかった。まあ、キミの報告に過ちがなければだがな」

「光差す外界を望むこともない私に何故かと問う相手もいない。私はもう一度産まれたい。これは胎児の夢。外光を求めて母の孕を割き、その光の温かさと眩しさに包まれ産声を上げる私を夢見て」



 目を閉じて脳裏に第一の詩を思い出して口にした。



「確かにこれで間違いはないし、お前の言った通り若い女性やそれに類似の言葉もない」



 私は一つ、その詩を読んで疑問が浮かんだ。



「私はもう一度産まれたい、というのは香元華然が母から生まれ直したいという意味として捉えるなら、どうして寄江を殺したんだ」

「母の腹を割き、というのは母体があって為し得る、か」



 二人でウンウンと唸りあってもなんら進展なんてあるはずもない。行き詰まった二人を察したようなタイミングで椿が茶と菓子を用意してくれた。



「ありがとう、椿」

「今は何を悩んでおられるのですか」



 私はこの違和感というべきか、矛盾というべきか分からない箇所を椿に話すと、どうしてか椿はピンときたように目を丸くして、「もしかして」と私と久内の視線を集めた。



「え、ええと。その、間違っているかもしれませんので」

「構わん」



 私が話せと合図すると意を決したように意気込み人差し指を立てた。



「たとえば、日和お嬢様の仰ったように、犯人が華然さんを神格化させているとした場合です。神とは不浄の存在。絶対的な存在でなければなりません。言い方は悪くなりますが、香元家は悪い噂を耳にします。盲信している神の家族の汚点、つまり、汚れが許せなかったのではないでしょうか。神の母は同等の聖性を宿していなければならない。寄江さんを殺害することで否定したかった、と……、その、申し訳ありません。素人の推理で」



 ペコペコと頭を下げる椿に、「いや。あながち間違っていないかも知れないな」久内が顎に手を当てて眉根を寄せた。



「汚れた母からは神は生まれない。狂信的な発想だが、宗教家はそういった思想を根強く持つ」

「久内。私も椿の推理が一番的を射ていると思うが、どうだ?」

「その線でも調べる価値はありそうだ。私はそろそろ現場に戻る。柄本さん、素晴らしい情報提供感謝します」



 軽く会釈をして久内は席を立った。



「椿はどうしてそうだと思ったんだ?」

「私がそうですから」

「そ、そうか」



 椿の猿手目家に対する姿勢は身も心も捧げているといっても過言ではない。私はそのことに深く聞かずに久内を見送った。

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