第5話 小説家、本郷日暮
「ここが、香元華然さんが通っていた喫茶店なんですね?」
朝食を軽く済ませた私と椿は昨日、萩谷さんから聞いた香元華然行きつけの喫茶店へと足を伸ばした。猿手目家からもそう遠くはなく、大通りに面したこじんまりとしてはいるがコテージ然とした店構えの店名は『ノルン』と言うらしい。
さっそく扉を開けて入ると来客を知らせる小さなベルが鳴る。
カウンターの中で何やら作業をしていた若い女性が顔を上げ、「いらっしゃいませ。二名様ですね」と好きな席に座るよう言った。
まだ開店間もない時間帯。平日ということもあってか他に客の姿は無い。言われた通り椿を従えるように歩くのは、彼女が一歩引いた位置を心掛けて歩くからである。
着席すると、「綺麗な置物ですね。まるで大正ロマンを感じます」メニュー表を持ってきた先程の女性店員がニコニコとしながら私を観察する。
「ええ。好きなんです、着物が」
「初めてのご来店ですよね。着物姿の子は初めて見るもの」
「とても雰囲気のいいお店ですね」
感じたままの感想を笑顔に乗せて彼女へ送り、「あの」ここで私は確認の為に彼女へ問う。
「このお店に目の不自由な少女が頻繁に訪れませんでしたか?」
この質問に彼女は直ぐに思い当たったのか大きく頷き、「いらっしゃっていたわ。背の高い女性の方を連れて」吾妻さんのことだろう。
「その子がどうかしたの? あっ、お友達だった? でも、ここ一年近く見てないなぁ」
知り合いなんです、と無難な返答で合わせておく。
「このお店でいつも何をされていたか覚えていたらで構いません。教えて頂けませんか?」
「そうね、いつも端の席でケーキを食べて……、若い女性の方がやってくると、付き添いの方と入れ替わりでその方と楽しそうに談笑されていましたね」
そいつが例の小説家だろう。
「その女性の方はいつも来店されるのですか?」
「まるで刑事さんや探偵さんみたいね」
「いえ、友達の事を聞いているだけですよ」
ニッコリと笑顔で躱してもう一度聞く。
「今日もいらっしゃると思うわ。週六で顔を見ますから」
「もう一つだけよろしいですか?」
「満足するまでか他のお客さんが来るまでなら質問に付き合いましょう」
「二人がどのような会話をされていたかは」
「うーん、ごめんなさい。そこまでは分からないわね。でも、貴女のお友達が紙の束をその女性に見せているのは何度か見たわね」
香元華然の詩で間違いはないようだ。となるとやはり投函したのはその作家という線が濃くなって来たわけだが、あくまで推測に過ぎず、白黒させるには本人から直接聞くしかあるまい。
「どうもありがとうございます。椿は何を注文しますか?」
いきなり話題を打ち切り、話を振られた椿はてんてこ舞いに変な声を上げてメニュー表へ視線を落とし、凝視するように眉間に皺を寄せている。
「私はイチゴタルトとアップルティーをお願いします。椿はまだ決まらないの?」
愛おしい子供の様な難しい顔でまだメニュー表を眺めていた椿は申し訳なさそうに顔を上げ、「同じので」私に急かされて渋々そうしたようだ。
ちょっと可哀想な意地悪だったかもしれない、と反省しつつ、これ以上店員から得られる情報も無いのだ。たまにはこうしてゆっくりとお茶をしながら椿と日常的な談話をするのもいいだろう。
店員が下がったのを確認して小さく溜息を吐く。
猫を被った愛想の良いご令嬢を演じるのは非常に疲れる。しかし幸運な事にここは喫茶店だ。甘い物はいくらだってある。ふいに小さく口角があがったのを感覚したのと椿が私を見て微笑んだのは同時。
「なんだ?」
「いいえ。ただ、久しぶりに年相応な表情が見れて嬉しくて、つい、ふふ、ごめんなさい」
「そう……、だったか? いや、そうかもな。私とお前の両親が亡くなってから、ずっと気を張っていたからな。私もいま自分が自然に笑えて驚いている」
「やっぱり甘い物は強いですね」
「意味が分からんな。椿は将来やりたい事とかないのか?」
何を話そうか悩んだ結果、彼女の将来のことが気になって聞いてみた。
「私は常々仰っていますが、日和お嬢様の世話をするのが私の使命、私が産まれた理由だと思っています。これからも先、お世話をさせてください。それとも……、私は迷惑ですか?」
「馬鹿を言うな。誰が有能なお前を邪魔者扱いするか。お前は私の大切な家族だ。だが、私は猿手目家がお前を押し殺しているのではないか、と時々不安になるんだ」
柄本家として生まれたせいで人生を猿手目家に費やさなければならない宿命。それは呪いといってもいい。普段から文句の一つも吐かない椿は自分を押し殺して柄本椿として生きているだけではないのか。本当はもっとやりたいことがあるのに彼女の性格からそれを言えないだけではないのか、と。
「私は猿手目家しか世間を知りません。幼い頃から猿手目家の為だけに時間を費やしてきましたが、私はそのことを僅かばかりも苦痛に感じたことはございません。それは猿手目家が私にとって居心地の良い場所であり、日和お嬢様のお世話をすることに生き甲斐を感じているからに他なりません」
「そうか。そこまで言われると、私も大きな心配事が一つ無くなった」
肩の力を抜いて窓の外を眺めると来客を報せるベルが鳴った。
私はチラリとその来客を確認するとスラリと背の高い女性だった。カウンター越しに紅茶を淹れている女性店員と眼を合わせると彼女は小さく頷いて、来客の対応に回った。
「あいつか……」
「日和お嬢様?」
「すまない。少し席を離れる」
椿に断って席を立ち、来客の座った席まで歩くと、彼女もまた近付いてくる私へ視線を向けた。
「初めまして。猿手目日和と申します。少し貴女とお話がしたいのですけど、よろしいですか、
「私はそこまで名前はまだ売れていないんだけどね。大正時代からタイムスリップしてきたような可愛いお嬢さん。あんた何者だい?」
値踏みするような眼差しを一身に受けるがお構いなく、「よろしいですか?」彼女の対面の椅子を手で示す。
「いいよ。んで、どんな話がしたいって? ええと、日和さん」
本郷は上着のポケットから取り出したタバコに火を付けた。私と本郷の間には一本の揺らめく煙が介在している。私はタバコの臭いが大の苦手だ。なるべく口から呼吸を心掛けて、「香元華然さんについてです」煙を軽く吹くように話した。
「話しづらいだろう?」
「ええ。とても」
「素でいいよ」
「何の事ですか?」
「着飾るなって言ってるのさ。私は
「ご慧眼恐れ入る」
さっそく息苦しい装飾の姿勢をかなぐり捨てて挑発的な視線と口調で対峙する。どうやら向こうもそれをお望みのようだ。実際、この姿勢を見せたら本郷はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべて私の方へと盛大に副流煙を吐きつけてきやがった。
「苦手だと言っているだろうが。お前は人様のやられて嫌なことを率先してやる不良優等生かよ」
「ああ、悪い悪い。つい、だ。可愛い子は苛めたくなる性分でね。日和さん、兄姉は?」
「つい、で人にガン発病率の高い副流煙を吹き掛けるな。それと、私は一人っ子だ。この質問に意味はあるのか?」
「ふぅん……、一人っ子ねぇ。いや、特に」
喉を鳴らして笑う本郷はだいぶ性格がねじれているようだ。
「香元華然について、だったね。彼女の何が聞きたいのか具体的に」
「お前が彼女に詩を勧めたのか?」
「なるほど……、その件か。そうだよ。私が香元華然に詩を勧め、少女趣味なものを作ってきたあの子に渇を入れてやったのさ。お前の本性をじっくり見つめて書き直せってね」
「どうしてそんなことを言った」
「どうして? あたしは作家だよ。魂の籠もってない作品なんて見せられて黙ってられるかっての。綺麗に着飾っただけの作品なんて反吐が出る。人間の内に秘めたオドロオドロしい醜悪な自分、高貴に
「小説家のお前がどうして詩を勧めたんだ?」
「どうして? しいて言えば、なんとなくかなぁ。その道の方が彼女に相応しいという直感だね」
なんなんだこの女は。
こっちは真剣に話しているというのに、神経を逆撫でる軽薄な態度は全てが他人事であり、テレビの娯楽に興じる視聴者に徹底しているかのような、現実を見ていない目を合わせるのが不快感だ。まるで私という人間を吟味しているようではないか。
香元華然もコイツの眼を見ていたら全身を呈して嫌悪感に駆られていたことだろう。
「他に聞きたいことは?」
「あ、ああ。松戸市の詩展に華然の作品を応募したのはお前だな?」
「それは違う。私は香元華然に詩を勧めただけだね。自分の本質を見つめるように助言しただけで、彼女の作品を応募はしていない」
「じゃあ、誰がそんなことを出来ると言うんだ」
「さあね。警察でも探偵でもない、ただの小説家にできることなんて、たかが知れているだろう?」
本郷日暮の言っていることをそのまま鵜呑みに信じていいのだろうか。その判断を決めあぐねていると、店員が用意した紅茶とケーキが私の前に置かれる。
「ああ、
「はい。かしこまりました」
オーダーを取った綾子という店員はまたカウンターへと引っ込む。
「私からも一つ質問いいかな」
「なんだ」
「警戒しなくたっていいよ。お嬢ちゃんの都合で私は時間を割いてやったというのに失礼じゃないか」
「まだ、未熟な子共なんでな。許せ」
「子共が探偵や警察の真似事?」
「事情があるんだ。そこは深く聞くな。お前からの質問は今のでいいんだな?」
「そう」
私はカップとケーキの皿を手に持って席を立つ。もうこいつから得られるものもないだろう。であればこんな奴からは即時距離を置くことが精神安定の為だ。
「ああ、そうそう。香元華然、彼女は怖い子よ」
「なんのことだ?」
「どういう環境で育てばあんな体面を着飾った
「虚ろ?」
虚ろとはどういう意味か。虚無。何も無い。そんなニュアンスとして取って良いのか。確かに香元華然は趣味も無い少女だと聞いている。しかし、その内面は愛に飢えた子共を虚ろと評する本郷の妄言と聞き流すべきか。
「私からはもう話す事はないわね、今のところは」
「含みのある言い方だな」
「そう? なら、そう捉えていてもいいんじゃない?」
私は溜息をつきながら椿の席へと戻った。
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