第4話 香元家へ

 八柱駅から二駅先にある松戸新田駅から歩いて十分という道程を経て辿り着いた香元家。



その外観を一瞥してからインターフォンを鳴らすと、直ぐにまだ年若い男性が屋敷から走ってくるのを門の鉄柵越しに眺めつつ、もう一度この家主の性格が表れる豪奢な邸宅を呆れながら、これからその傲慢な家主と顔を合わせなければならない鬱屈とした気持ちを溜息一つで押さえ込み、笑顔を作った。



「本日、香元吉成こうもとよしなり氏と面会の予約を入れている猿手目日和です」



 男性は緊張したような面持ちで、「ようこそいらっしゃいました」門を開けると私を敷地内に招いた。



 彼の後ろを歩きながらなんとなく視界に入れた、手入れのされただだっ広い庭の仕上がりには感心した。



「腕の良い庭師がいらっしゃるのですか?」

「い、いえ。僕なんてまだまだですよ」

「あら。貴方が仕上げたのですね。謙遜なさらなくてもいいのに」



 まだ彼は緊張しているようで、邸宅の扉を開けると吹き抜けのエントランスが出迎え、天井からはシャンデリアなんて見ていて恐ろしいモノをぶら下げている。あんなものの下敷きに……、なんて想像が全身を震わす。



 私はその真下を歩くのを避けて正面の階段を上り右手通路を歩く。艶やかな廊下からは軋む音の一つも立たず、二人分の足音だけが静かに鳴る。



 壁面には家族写真だろうか。



 その中に香元華然と思しき少女も映っていた。



 眼を閉じた茶髪の少女が笑窪を作っている可愛らしい写真。



 飾られているほとんどの写真が香元華然のもののようで、娘を愛しているという点ではしっかりとした親なのだろうが、愛しすぎるが故に管理してしまっていたのだろう。その窮屈さを華然は心の内で少しずつ肥大させ、詩という形で自己表現をした。



 応接室のような場所に通されてソファーに腰掛けて待っていると、口元に整えられた髭が特徴の男性と、彼に付き添うように彼同様に気丈な目付きをした女性が姿を見せた。



 香元吉成とその妻、香元寄江こうもとよりえだ。



 私は立ち上がって二人に、「本日はお忙しい中、お時間を割いて頂きありがとうございます」わざわざ頭を下げてやったというのに、「猿手目の娘が何のようだ」まるで疫病神を前にしたような否定的な一言。予想も覚悟もしていたが随分と腹が立つ物言いじゃないか。しかし、こんな所でぼろを出すわけにもいかない、と生唾と一緒に飲み干す。



「香元華然さん失踪の際には何のお役にも立てずに申し訳ありませんでした。亡き先代に代わりここに謝罪します」

「ああ、死んだんだったなお前の両親は。あんな詐欺紛いの商売をしていれば恨む者も多かろう」



 努めて笑顔を崩さずにこの二人を相手している私自身を褒めてあげたかった。小娘相手に大人気ない吉成の態度に、「貝塚さんから猿手目日和さんが何やらお話があると伺っています。手短に済ませていただけますか」寄江がそのキツい目付きで私を見て言った。



「香元華然さんが詩を書かれていたのはご存じかと思います。華然さんが失踪する約一月前に松戸駅で詩展が開かれたのですが、そちらはご存じですか?」

「ああ。知っている。貝塚さんが選考したそうだな」

「華然さんが応募した詩の内容はどうでしょうか。読まれましたか?」

「読んではいない。私も驚いているよ。娘が詩展に応募していたことは貝塚さんから後日聞いて初めて知ったんだ」

「なるほど。では、華然さんの詩を一体誰が応募したのでしょうか」

「私でも妻でもない。給仕にも聞いたが知らないそうだ」

「不審に思いませんでしたか? 目の不自由な華然さんではポストに投函なんてできないでしょう。身内ではないとすると、見知らぬ誰か、ということになりますよね?」



 ここで吉成の傲岸不遜で威圧的な顔色がわずかに変化した。



 この男は言われるまでそんな簡単な事にも辿り着けなかったのか。嘆かわしい。上手く頭を使えぬ男が名家の当主として威張り腐っているなんて実に笑えてしまう。が、私は真面目な顔色を崩さずに、「華然さんが外部の人間とやりとりできる時間はいつですか」此方としてもさっさと情報を聞き出して退散したいのだ。



「娘は基本家に籠もっていたが……、二日に一度は散歩に行きたいと言って慈雨じうを連れて出掛けていたな」

「なるほど。では、その慈雨という方にもお話を伺いたいのですが」

「いいだろう。おい」



 吉成が寄江を見て顎を上げる動作をすると、彼女は席を立って部屋を出て行った。



 さて、この男はどうしてまだ椅子にふんぞり返っているのだろうか。この男が居ては給仕の人も話しづらいことがあるかもしれないというのに。



「吉成様もご退席していただいて結構ですよ」

「そうはいかん。何を話すか私も聞く権利がある」



 余計な事を喋らせまいと監視するつもりだということくらい容易に察せられる。



「お前がいると邪魔なんだよなぁ……」

「何か言ったか?」

「邪魔だと言ったんだ。お前がいたら話し辛いこともあるだろうが」

「それは私に聞かれては不味い何かがあるとも取れるが?」

「分かりやすく言葉通りに受け取ってもらえるように言ったつもりだが、香元家の当主はどうすれば分かってもらえるんだ?」



 みるみると顔色を歪めて怒りの形相に代わり、私は臆することもなく、それどころかこの男が滑稽に思えて、やがては愛おしいと思えるまでに当初の威厳はかなぐり捨てられた。



「なんだと! 小娘が図に乗るなよ、詐欺師一族の血縁風情がちょっと協力すればこれだ」

「あー、はいはい。それでご当主様はご退席願えるのでしょうか?」



 このタイミングで扉がノックされ寄江とこの部屋まで案内してくれた青年。そして最後には背の高い女性が姿を見せた。寄江と給仕の青年は吉成の怒声に驚いている様子だが、もう一人は澄ました顔で、その鋭い人を殺すことに躊躇いも無さそうな目を私へ向け続けている。彼女の視線は私を竦ませ、妙な緊張感が逆に冷静さを取り戻させた。



「ほら、これから話をゆっくりと聞くんだ。お前はさっさとどこかへ行っていろ」



 手をヒラヒラしてあしらってやると、意外にもこれ以上は噛みついて来ることはなく、寄江と共に部屋を出て行った。



 袴を整えて座り直し、「さあ、どうぞ」努めて表向きの声で唖然と二人の出て行った扉を眺めている青年と表情一つ変えない女性へ声を掛けた。



 案内された時もそうだが、こんなヒョロい優男が香元家の重々しい家庭環境に耐えて仕えていることに驚きだ。そんなことはさておき、「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」善意の笑顔を見せてまずは相手の緊張を少しでも解こうと試みた。



「そういえばまだ名乗っていませんでしたね。失礼しました。僕は萩谷はぎや公也こうやといいます。香元家では料理と庭の手入れを任されています」



 萩谷さんは深く一礼した。



吾妻あづま慈雨じうだ。華然のボディーガード兼付き人をしていた」



 冷たい印象を与えるその声音からは何も読み取ることができなかった。華然のボディーガードをしていたということは一番彼女について詳しく話が聞けるはずだ。



「萩谷さんと吾妻さんですね。早速ですが、華然さんの散歩の付き添いをしていらっしゃったとお聞きしています。華然さんが外で誰かと交流されていたなんてことはありませんか」



 萩谷さんの視線がそっと慈雨へ向いたが、吾妻さんは短く息を吐いて一瞬だけ目を閉じ、「ああ」溜息とも返事とも取れない音のような声。



「毎回だ。お気に入りの喫茶店に行きたいとせがまれてはそこで休憩をしていた。その際に店主と作家を名乗る女と親しくなったみたいだ」



「店作と作家……、ですか」



 私の気が引かれたのは作家を名乗る人物だ。



「作家と申されても他種ございます。何を作られている方でしょうか?」

「小説家。華然と茶をしていると突然、そいつから話しかけてきて、そこで意気投合したらしくてな。それ以降、店を訪れると必ず彼女が居て、華然はそいつと話しこむようになった」

「どのような話を?」

「さあな。私は邪魔にならないよう少し離れた席で待機していたから詳しくは知らんが、詩について、だと華然は話していたな」

「そうですか。それともう一つ吾妻さんにお聞きしたいことがあるのですが、まだお時間よろしいですか?」

「問題ない。私の今の役目はこの家の警備だ。私が話せることであれば協力しよう」



 口調にも表情にも変化は無いが、協力的な姿勢には感謝しかない。初めの印象ではこの女性は吉成同様に非協力的だと思い込んでいたからだ。



「目の不自由な華然さんの詩の代筆は吾妻さんが?」

「いえ、僕が代筆をしていました。華然お嬢様が詩を書くと仰った時は驚きましたよ。これまで趣味というものを持ち合せていなかったお嬢様が、熱心に詩という娯楽へ傾倒していく様は、なんだかとても嬉しい気持ちになりましたから」



 これまで趣味が無かった華然が急に詩を初めた。その切っ掛けはどこだろうか。しかしその疑念も、「全てはあの作家さんのお陰です」という萩谷さんの言葉で融解したが、「どうして萩谷さんがその作家の方をご存じなのですか?」私は直ぐに聞く。



「一度、香元家へ招いたからだ。華然がどうしても、と言うからな」

「よく吉成さんがお許しになりましたね。彼、得体の知れない人を招くことを嫌いそうなのに」



 そこで初めて吾妻さんは小さく笑い、「内密にな。吉成と寄江が不在の日を狙って招いたんだ」やれやれと無機質な声音にも感情が滲み出した。



「その作家の方とはお二人はどのような話を?」

「ええと、小説のことについてお嬢様が熱心に質問をされていた気がします」

「そうだな。その後に華然が自作の詩を見せて楽しげに話していたか。二時間くらい話し込んでから帰ったが、終始、胡散臭い雰囲気の女だよ」



 そこから香元華然という人物について話を聞き、失踪当時の状況なんかも聞いてみたが後者についてはあまり有力な手掛かりは得られなかった。



 行方を眩ませたのは深夜に寝静まった時間。翌日に彼女の部屋を訪れたらもぬけの殻だったという。



「色々とお話をお伺いできて助かりました。吾妻さん、最後にその喫茶店の場所とその作家の名前を教えて頂けませんか」



 吾妻さんは紙に綺麗な字で記していく。



 萩谷さんと吾妻さん話し方や表情の変化を機微に観察していたが、彼はとても純粋な性格のようだということが分かったが、それはどうでもいい情報だ。彼女に至っては何の情報も得られない。



 手渡されたメモ用紙を袖口に仕舞い込んでから席を立つと、「あの……、猿手目様」懇願するように上目遣いで萩谷さんが私を見る。



「はい。なんでしょうか」

「華然お嬢様は見つかりますか?」



 その問いに私は答えられなかった。しかし、彼は私の言葉を求めている。不安なのだろう。彼は香元華然に対し特別な感情を抱いているような気がしてならない。華然が失踪してから喪失感を伴って生きているのだろうと、同じ境遇の身からして……、いいや、私の場合は亡くなっていると判明しているから不安定な期待を抱くことはなかったか。



 猿手目の情報網は松戸市という限定的な範囲で見れば盤石と言って良い。だというのにその松戸市で忽然と行方を眩ませた一人の少女の捜索を断った父は不可解である。考えられる理由は猿手目家でも触れてはならない何かが関与しているか、考えたくはないが猿手目家が関与しているか。どちらも現実的でない子共の妄想の域を出ない。



 余計な想像を振り払うべく小さく頭を振って、「私は見つけてあげたいと思っています」彼の不安を払拭するには弱すぎるも、嘘偽りのない私の想いをそっと告げた。



「どうか、よろしくお願いします」



 見送りに出てきた吾妻さんと萩谷さんにもう一度礼を述べた。屋敷の二階から香元夫妻の視線を感じ其方へ一瞥するとサッと身を引いた。



「猿手目日和。何かわかったら私にも報せて欲しい」



 吾妻さんはジッと私を見る。身長の高い彼女に見つめられると普通の大人とは違う威圧感で萎縮してしまいそうになる。



 彼女もまた独自のルートとやらで今でも香元華然の行方を追っているそうだが、半ば諦めているようでもあった。猿手目家の神託の程を知っているからこそ彼女はこうして私に頭を下げたのだ。



「わかりました。何か分かればお報せします」

「この番号に掛けてくれ。私の部屋に引いてある電話に繋がる」


 電話番号のメモも袖口に仕舞い、もう一度二人に頭を下げて別れた。

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