第3話 香元華然の詩

 妻木から八柱駅に到着したと連絡を受け、椿と大門の前で待っていると、住宅の角を曲がってきた悪目立ちするその大男と並んで歩く、小柄な老人だと遠目にも分かる男性が此方へ向かってきた。



「お待ちしておりました、貝塚かいづか様。遠路はるばるようこそいらっしゃいました」



 私は姿勢を一度正して深く頭を下げた。



「本日は私の我儘でお時間を頂戴してしまって申し訳ありません」

「いやいや、ご立派なお嬢さんですね。猿手目家にはワシも興味があったんですよ。今日はよろしく」



 優しげな深い目元の皺をより深くしてニコニコと対応する姿勢は自然に身に付いた気品を感じてしまう。



 貝塚浩かいづかひろし。松戸市在住の全国詩人協会なる組織に所属する人物で、詩人として活躍していたのは彼が二十五~四十八の期間。以降は審査員として度々テレビやラジオで彼はその界隈で活躍している。



 昨夜にザッと彼の素性を調べ上げた結果だ。



 隣りに並ぶ妻木は釈然としないジトッとした視線を向けてくるが、「妻木様の紹介が今後の事件解決に繋がることを約束いたします」着物の下では鳥肌が立つくらい、表向きの顔で接する。



「浪漫ちゃん、全然昨日とは違うじゃない!」

「あら、昨日と違うと仰られても何の事か私には」



 ニッコリと笑顔を向けてやる。



 大事な提供者を書斎へ通し、「香元華然さんの詩について聞きたいそうだね?」貝塚さんが口を開く。



「知っての通り彼女は、香元華然さんは生まれながらの全盲です。何をするにも他人という存在が必要な生活を送り、この先もずっとそれが続くことを嘆いておられました。その時、たまたま香元家に招待された私は初めて華然さんにお会いしました。ええ、とても快活で……、影のあるお嬢さんでしたよ」

「その時から華然さんは詩を?」

「いいえ。特に趣味はない、と仰っていました」



 となると、何かが切っ掛けで香元華然は詩を作るようになり、彼女の作品をたまたま見つけた貝塚さんが縁を感じて選考した、と考えられる。それは他の応募者に対して不公平ではないか。しかし、そんな私情なんてどうでもいい。今は彼から引き出せるだけの香元華然とその詩についての情報を喋って貰わねばならない。



「詩展の数ヶ月前、何度か香元家を訪れました。その時には趣味なんて無い、と仰っていたのに詩を書かれていたのです。いえ、正確には香元家の方が代筆をして、ええ……、とても楽しそうに自分自身の内を見つめて、詩を唄われていましたよ」

「それは今回の事件になぞらえたようなオドロオドロしいものですか?」

「とんでもない、年頃の少女的な微笑ましいものばかりでした」

「では、いつからそのような詩を書き、わざわざ大衆の目につく詩展に応募したのでしょう」

「それはわかりません。香元家に出向いた用事のついでに華然さんの詩を聞いていたのですが、ワシの知らぬうちに彼女は自分の奥底にある想いを見つけてしまったのかもしれませんね。ワシが詩を書く彼女に会ったのは三週間ばかりでしたから」

「その後の華然さんの詩についてですが」

「選考時にたまたま香元華然さんの名前を見つけ、その内容に驚きました。本当にこれがあの華然さんの、未熟な少女が書いた詩なのか、と驚愕したものです。ですが、同時に惹かれもしました。彼女の詩の根幹にあるのは確かな愛という情なのですから」



 その三週間で香元華然は自身を見つめ続け、想いを詩という形で表現することを覚えた。見つめ続けた先に恐ろしい一面を直視し、それをわざわざ詩展に応募した。なんだかフワフワとした流れだ。



 香元家は厳格の一言で済ませられる家柄で有名だ。両親が家名を貶めるような作品の応募を許すはずがない。使用人の誰かを使って密かに投函してもらった、というのも考えにくい。そうだろう、万が一その件で香元家が話題に上がれば、責任の所在なんて直ぐにハッキリする。自分の将来を天秤に掛けるほどのことでもないのは明らかだ。



 さて、ここからが本題だ。



「応募された詩の内容を教えていただけますね?」

「もちろんです」



 鷹揚に頷いた貝塚さんは記憶を呼び起こすように瞼を閉じて静かに呼吸を繰り返す。



「四作で一つの作品となる珍しいものでした」

「四作で一つ?」



 眉根に力が籠もってしまう。



「一作目から順に」



 咳払いを一つした貝塚さんが目を開き、ジッと私を見つめる。



「光差す外界を望むこともない私に何故かと問う相手もいない。私はもう一度産まれたい。これは胎児の夢。外光を求めて母の孕を割き、その光の温かさと眩しさに包まれ産声を上げる私を夢見て」



 なんともオドロオドロしい。そして今起きている事件の被害者の酷似している。臓物を取り除いた腹の裂け目を押し広げるように四肢を、そして頭部を押し込む遺体装飾。



 世間では母胎回帰などと騒がれているが、香元華然からすれば生まれ変わり。輪廻転生か悪夢を見る胎児といったところだろう。一作目を聞いただけで食欲が失せそうな内容だ。



「大丈夫ですか、日和さん。ご気分が優れないようでしたら休憩でも」

「いいえ、私は大丈夫です。お気遣いありがとうございます。それよりも続きを」

「はい、次の詩は」



 大きく深呼吸をして落ち着きを取り戻し挑むように軽く前傾姿勢を取る。



「囲いの外を知らぬ胎児へ憐憫の眼差し向ける猫。その牙でそっと優しく咥えて外界へ連れ出すも、一滴の命も残らず、乾き淀んだ瞳を空へ向け」



 自身を見つめて書かれた詩。その胎児というのは香元華然自身として間違いはない。残りの作品を聞いてから考えを纏めるべく、次を促す。



「猫は苦悩した。自分を追い詰めるばかりで、その牙を以て自身の首を掻っ捌ければと切望する度に、空を眺め、己の全うする託された願いを成就させるべく、牙を研ぐ」



 なるほど。段々分かってきた。



 が、しかし。



「次が最後なのですが……、すみません。歳のせいか思い出せません」



 申し訳なさそうに首を振るう貝塚さんは何とか思い出そう試みているようだが、その様子では思い出せないだろう。できれば全容を知りたかったが無理に思い出させようとしても焦りが勝ってそれを阻むだろう。



「ありがとうございました。最後の一作は思い出したらで構いませんので、あまりご無理はなさらないでください」

「申し訳ありませんね。最近は物忘れも多くなってきていて」



 次の私がどう動くかは決めていた。



「もう一つだけお願いをしてもよろしいでしょうか」

「ええ、なんでも仰って下さい。ワシにできることであれば協力は惜しみません。華然さんの作品を貶める事件を解決したいのはワシも一緒ですから」



 香元家と猿手目家は犬猿の仲だ。



 というのも香元華然が失踪してから一度、香元家から直々に娘の捜索依頼をしてきたのだが、どうしてか当時当主であった父はそれを丁重に断ったのだ。そんな父に向かって詐欺師だ何だと散々な罵詈雑言を浴びせて帰って行った香元家当主の顔は記憶に新しい。



 私が直接香元家を訪れても門前払いを食らうのは必至。ならば交流のあった貝塚さんを間に挟むことで、向こうも彼の面目を潰そうとは思わないはずだ。家に上がり込んでしまえば後は此方の口八丁でなんとでもすればいいだけのこと。



 私は香元家との事情を包み隠さず貝塚さんに話した上で面通りできないか相談を持ちかけたが、彼の反応は二つ返事で了承だった。



「日和さん。お電話をお借りしても良いかな。こういうのは早いほうがいいでしょう」



 椿が貝塚さんを連れて書斎を出て行くと、ずっと黙っていた大猩々の妻木と視線が合った。まだ何かを言いたげな顔をしているので、「言いたいことがあるなら言ったらどうだ」これまでのご令嬢の調子をかなぐり捨ててぶっきらぼうに言ってやると、「貝塚先生の話した詩に出てきた猫って、つまり」神妙な男性的口調で話した。



 胎児が香元華然であるならば、猫は華然を攫い、詩の流れから殺害した人物と考えていい。だが不可解な点もあり、それをこの妻木は気にしているのだろう。



「まるで、香元華然は自分が攫われて殺されるのを知っていたような詩だな」

「そうなのよね。ねぇねぇ、浪漫ちゃん。これってこういう風に考えられない? 華然ちゃんは家に居たくなかった。だから詩を通して誰かにメッセージを送った」

「誰にだ? そして仮にそれがメッセージだったとして、どういうやりとりを通して誘拐の詳細を決める?」

「それは……、そうよねぇ」

「納得ができないのは、攫われた後にどうして殺されなきゃならない」

「わからないわん」



 黙り込んだ妻木にようやく考え事に集中できる、と安堵の息を吐きかけたところで貝塚さんと椿が戻ってきた。



「会ってくれるそうだよ。いつでもいいらしいから、日和さんの都合が良いときに出向けばいいでしょう」

「ありがとうございます。私が連絡していたらきっと断られていましたから」



 さて、これで次の段階へと進む道が開けたわけだが、あの家名ばかりを大事にする香元の人間をどう喋らせようか。貝塚さんたっての願いを断るわけにはいかないから了承したのだろうが、彼の顔は既に立てたのだからその後の対応は猿手目家への恨み一辺倒な態度を取られてしまう可能性もある。私はそれまでに準備と覚悟をしておかねばなるまい。



 しかし、どうして本当に父は香元華然の捜索に神託を授けなかったのだろうか。今思い返せば玄関で罵声を浴びせる香元家の当主に父は何一つ反論せずに、「申し訳ない。私には探すことができない」と言っていたのが気がかりだ。



 その時の父の目はどこか窮屈そうではなかっただろうか。



 過去の曖昧な記憶だ。そう見えていて欲しいと心の何処かで思っていたから、そう記憶に定着したのかもしれない。



 何はともあれ私は進むしかない。この事件を解決して私の周囲の平穏を取り戻すだけだ。その為にはありとあらゆる手段を用いて事に当たらねばなるまい。



「さて、そろそろお暇しましょうか」



 貝塚さんが可笑しそうな口調で立ち上がると、隣に座っていた妻木も肩を竦め、なんとも言えない苦笑を浮かべながら、「頑張ってね、浪漫ちゃん」私はそこで難しい顔をしていたことを自覚した。



「お客様を前に失礼しました」



 私も慌てて立ち上がって頭を下げた。



「気になさらないで下さい。また何かお聞きになりたいことがあれば連絡を。私の電話番号は柄本さんに渡してありますので」



 二人を門まで見送ってから、「お嬢様、くれぐれも深みにはまらないで下さい」なんて心配気に聞くもんだから、「安心しろ。椿を困らせるつもりなんてない。それに私を守るのはお前の役目でもあるんだ。常に傍に居てくれ」気恥ずかしくなり、ぷいっと顔を逸らして一人先に屋敷へと歩き始めた。

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