第2話 詩的殺人事件

 私は椿と共に猿手目家の大門を前に声を張り上げていた。



「こ、これ以上近付くな変質者! な、何が目的で猿手目家に足を運んだ!」

「お、おお、お嬢様ぁ。け、警察を呼びましょう!」

「ああ、そうだな。牢屋の中で自分を見つめ直させる時間を与えてやることを慈悲と受け取れ!」

「あぁん! ひっどいわねぇ。せっかく、よもっちゃんから連絡を受けて足を運んであげたって言うのに、呼び出したのはそっちなのよぉ? プンプン」



 分厚い唇に真っ赤な紅を塗った角刈り頭の巨漢。しかも全身隆々な筋肉に張り付くラバー製のトップスとパンツ、編み上げブーツを身に付けた大猩々だいしょうじょう。その姿は世間からは変質者やら変態という一言に分類される生物だ。



 その甘ったるい声が余計に見た目との差違に混乱を招く。



「知りたいんでしょう? 詩について」

「ま、まさかお前が四方木の知り合いか?」

「そう言ってるじゃないのん」



 あいつの交友関係にケチを付けるわけでは無いが、もっと付き合う人種は選んだ方が良いと思う。しかし、そんな彼女の広い交友関係のお陰で事件に関係する情報が得られるのだから此方も文句は言えない。目の前のこの大猩々はあくまで情報提供者だ。自分の中でもよく分からないものを無理矢理に納得させて彼を猿手目家の敷居を跨がせた。



 椿はお茶の用意をするために厨房へと入り、廊下を歩いているのは私とこの大猩々の二人だけのはずだが、背後から足音が一切しないのはどういうことか。



「本当に浪漫ちゃんだぁ」



 なんて意味の分からないことを背後で話しているのだから確実に居るのだが。



 昨日、四方木のところから帰宅すると直ぐに電話が鳴り、もちろん相手は四方木からで、明日の昼過ぎに情報提供者が私の家に訪れるから驚かないで、と言っていたがその意味を理解した。深い溜息が漏れるのはどうか許して欲しい。



 書斎に通して対面でソファーに座る。膝を女性のようにピッタリと閉じ、背筋はピント伸ばして座る様からは品性を感じてしまう。



「ああ、そうそう。自己紹介がまだだったわよね。私は妻木つまぎ宗四郎そうしろう。よろしくね、浪漫ちゃん」

「私は猿手目日和だ」

「可愛い名前ね、浪漫ちゃん」



 わざわざ名乗ってやったというのにあくまでその呼び方を徹底するつもりか。指摘してやろうかとも考えたが、こういう輩には指摘しても治らないことがほとんどだと知っている。つまり指摘したところで無駄な労力だが、しかしコイツに浪漫ちゃんなんていう不名誉な呼び方をされるのも癪ではある。



「浪漫ちゃんは香元華然こうもとかぜんの詩について知りたいのよね?」

「そうだ。香元華然の詩に沿って事件が起きている可能性があると四方木は言っていた。その詩を詳しく知っているのだろう?」

「そうねぇ。知っていると言えば知っているわ。ちょっと前に松戸駅のロータリーで開かれた詩展の実行委員をやっていたから」

「ならば、さっさと香元華然の詩について教えろ。私もそこまで暇じゃないんだ」



 急かす私に、「せっかちさぁん」余計な一言を発してから、「実は」その体躯と見た目に相応しい男性声を発するものだから吃驚したが表情には出なかったと思う。



「実行委員とは言っても、彼女の、香元華然さんの詩を選考したのは私じゃないのよね。委員長が妙に惹かれたらしくて」

「使えんな、お前は。じゃあつまりは詩の内容は知らないということだな?」

「酷い言い草ね。でも、その通りよ。応募だけでも千人近く、その中から二百の作品を選ぶんだもの。一つ一つなんて覚えてられないわ」

「よし。帰っていいぞ」

「酷いわ!」



 キーンとするような女声を発して身体をくねらせるコイツを見ていると私の精神衛生上よろしくはない。役に立たないのであれば早々にご退場願いたいものだが、それを頑なに拒否する姿勢の妻木は唇と尖らせて抗議している。



「お前は私に有益な情報を提供できないなら、これ以上は互いに時間の無駄だろう」

「そうでもないわよ。絶対に後悔させないわ。言ったでしょう、私も実行委員の一人だと」



 なるほど。確かにそんなことを言っていたな。コイツのコネを使えば香元華然の作品を選考した実行委員長とやらから話を聞けるというわけか。



「なら、直ぐに連絡を入れろ」

「え、誰に?」

「その実行委員長に決まっているだろうが、馬鹿め!」

「あ、ああ、そうね。でもその前に」



 椿が書斎に入ってきて私と大猩々の妻木の前に茶を置いた。真っ赤に口紅で彩られた唇をすぼめて湯飲みに口を付けて、ズズ、と美味しそうな音を立てる。



「んんぅ、美味」



 また甘ったるい声で上機嫌な至福顔をしてみせるコイツとは相性が悪いことだけは分かった。早く事件について情報を集めなきゃならない私の事情を知らないとはいえ、このマイペースさには苛立つものがある。



 紅茶を飲みきった妻木を椿が電話のある居間まで案内している間に、一日分の疲れを感じた身体を伸ばすと深い溜息が漏れた。



 香元華然の詩に沿った殺害方法を取る必要性はなんだろうか。そもそも香元華然は昨年から行方不明者として扱われ、彼女が何処で何をしているのかなんて誰も知らない。



 先代は華然を見つけ出して欲しいという香元家の依頼を断っている。普段、滅多なことでは依頼を断ることをしない父のあの時の顔は悔しそうに歪んでいたのが印象的だった。



 香元華然は失踪か誘拐によるものか。



 この事件と関係性はあるのだろうか。



 いや、それは考え過ぎか。事件は三ヶ月前から起きていて、彼女が居なくなったのは去年だ。その直後に私の両親と椿の両親が事故で亡くなった。まるで不幸の連鎖だ。今回の事件と去年の事件との関係性を考えるには時間が空きすぎている。だからといって、全くの無関係でないような気がするのは私の直感だ。



 湯気が立つカップを持ち上げる。茶葉の香りが落ち着きをもたらしてくれる。ゆっくりと喉に流し込んで今度はふぅ、と息が漏れた。



 電話を終えた妻木が正面にまた座り、「連絡が取れたわ。急なんだけどぉ、明日の午後でいいわよね? 向こうも予定がいっぱいみたいでぇ」報告をする。



 此方の都合で会ってもらうのだから向こうに会わせるのが筋というものだ。



 とりあえずこれで事件に切り口を入れることができたわけだ。



「よし、妻木。お前はもう帰っていいぞ」

「えー。もうちょっとお話したいわぁ」



 クネクネと身体を揺らして懇願する大猩々に私もついに我慢の限界が訪れ、「こんのぉ!」反射で立ち上がり、テーブル越しのコイツを掴みかかろうと身を乗り出したが、パッツンパッツンのラバー製トップスに掴む余裕も無く、掴み損ねた私はバランスを崩してテーブルの角に膝をぶつけるとその隆々とした胸筋が眼前に迫ってくる。



「あぶない!」



 私は顔面に痛みを感じなかった。おそるおそる目を開けると寸前の所で誰かに支えられていたようで、「もぅ、落ち着きなさいよぉ」力強い握力でわたしの両肩をしっかりと握っていたのは目の前の妻木だった。



「な、なな、女性の身体に気安く触れてくれるな!」



 目の前の胸筋を両手で押し離して体勢を戻し、パニックになった頭に浮かんだ罵詈雑言の嵐を口にしていた。



「別に気安くはないでしょう? 危なかったわよ、もうすぐでその可愛い顔が怪我するところだったんじゃない。ねぇ、バッキー?」



 バッキーとは誰のことか。彼の視線の先には部屋の隅で佇む椿の姿。その彼女も申し訳なさそうに此方を窺うような顔で、「ええと、妻木様の仰るとおりです」なんて言われて私もようやく冷静さを取り戻し、居心地の悪さから袴を整えてソファーにちょこんと座る。



「悪かった……」



 ボソリと呟く私の顔は真っ赤だろう。自分の取り乱し様が恥ずかしいのであって、別にコイツを意識したわけでは断じてない。



「じゃあ、もう少しお話してくれるかしらぁ」



 なんて要望も仕方なく承諾した。


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