猿手目日和の神託
幸田跳丸
第1話 神託の巫女、猿手目日和
不遜な狐顔の細い眼が私を見下ろし、ソイツとの間に介在する机の上に資料を並べた。
「是非、
この狐のような男、名を
松戸東警察署に勤務する刑事課の刑事だそうで、いま松戸市で起きている連続殺人事件に手を拱いている彼等が、ここ、神託を授ける猿手目家へと足を運び、猿手目家当主である私に頭を下げに来たというわけだ。
着物の袖を片手で押さえながら並べられた資料の一枚を手に取り、椅子にふんぞり返る姿勢で眺めると、そこにはテレビで報じられている遺体の状態が書かれており、被害者の年齢やら名前といった詳細までも書かれている。
「お前たち警察は恥ずかしくもないのか。十五の小娘に捜査を手伝わせて」
「返す言葉もありません。しかし、我々の意義は事件を早期解決すること。使えるモノは何でも使う」
一瞬だけこの男の本性を垣間見えた気がした。
「それで、神託はいつくらいに授けて貰えるものなのでしょうか」
丁寧に喋るこの久内という男も本気で神託なんてものを信じているとは思っていない。彼と話してその雰囲気からも
私が先代、つまり父を亡くして一年が経った。神託というのは名ばかりの情報屋という情報収集を本職としている猿手目家の歴史は古く、遡ること明治の時代から神託を授ける一族として栄え、平成という時代まで順風満帆に依頼者から日々依頼を受けていた。平成五年に父と母を交通事故で亡くしてからというもの私が代を継ぐと客は減り、ついには警察のつまらない相手だ。
「そうだな。私の
「此方に」
懐から分厚い封筒を取り出して机の上に置き、此方へそのまま押しやった。
「中を改めさせてもらう」
八十万が入っている。
「これは前金だそうです。有力情報から犯人を特定、逮捕した場合には追加で同額を支払うと署長は言っていました」
「そうか。では一週間を待て。この事件は厄介そうだ。なにせ異常な猟奇性。真っ当に頭のネジが吹っ飛んだ犯人だというのに、警察に尻尾さえ掴ませない相手だからな。全てを手繰り寄せる猿神様も時間を要する」
久内は鼻を鳴らし、「わかりました」と素直に頷いた。
「それと久内。お前、素で話せ。大人にペコペコされるのは気分が良い。だがな、お前の場合だと此方が掌で踊らされているようで気に食わないんだよ」
「いいだろう。猿手目日和、神託とやら期待している。噂に聞く先代に劣らぬよう励め」
挑発的な言葉を私に浴びせると部屋の隅でずっと控えていた女性、彼女は猿手目家に代々使えてくれる
「客人のお帰りだ。門まで見送ってやれ」
「はい。日和お嬢様」
久内を連れて椿が私の書斎を出て行った。
ふぅ、と息を吐いて袴を整えてから椅子を座り直し、事件の概要を久内の置き土産の数枚の書類から纏め作業に入る。
平成六年の七月初めから起きた事件。
一月に一人の間隔で既に三人を殺害している。被害者に共通しているのは若い女性ということのみ。彼女たちに交友関係は無く、共通の知り合いもいない。三人は四肢と頭部を切断され、裂かれた腹からは取り除かれた臓器類の代わりに、四肢と頭部が押し込められて遺棄される猟奇事件。ただ押し込めただけではなく、腹の裂け目を内側から押し広げるように両手が突き出し、そして外界を腹の中から覗く被害者の顔。まるでこれから産まれる演出をしているよう……。自分から自分が生まれるという表現の方が正確かもしれない。
まったく……、十五の小娘には刺激が強すぎるぞ。
父が存命だったら引き受けていただろうか……。
私は首を振ってそんな考えを打ち消す。父は父。私は私だ。今は私が当主で在り、神託を授かる巫女なのだ。
被害者の情報と遺棄現場を含めて全て頭に叩き入れると、久内を見送った椿が部屋に入ってきた。
「日和お嬢様。大丈夫ですか?」
「問題ない。久内の発言で乱れるほど未熟では無い」
「いいえ、違います。事件のことです。日和お嬢様が関わることで、犯人がお嬢様を標的にしてしまうのではないかと心配で、心配で」
「なんだその事か。案ずるな、私にはお前が付いている。それに情報屋は敵が多い。その分備えというものを欠かさない、と父は言っていた」
私は引き出しを少し開けてわずかに覗いた、二十センチ程度の黒光りする重々しい
「少し散歩に行こう。椿、お前も付いてきてくれるか?」
「どちらまで足を伸ばすのですか?」
「近くだ」
椿を引き連れて書斎を出る。長い廊下を右へ進む途中で銀行の金庫のような厳重な鉄扉がある。ここは猿手目家の守り神である猿神を祀る場所にして神託を授ける聖域。聖域と直線上に続く通路を曲がった先に玄関が在る。居間や厨房などもこの通りに在り、玄関でブーツを履いて庭を進んで門を出る。
振り返ると大門には異様な手の長さをした猿が飛びかかる格好で彫られている。これが猿手目家の象徴であり権威の猿神様。
住宅街に建つ武家屋敷はちょっとした名所として有名だ。
住宅街を抜けて最寄り駅の八柱駅を使い、隣りの常盤平駅で下車する。改札を抜けて階段を下ると人の多さに目眩さえ感じてしまう。彼等の視線が必ず一度は私へと向けられる。着物に袴姿。明治大正のような装いで現代では成人式くらいでしかお目に掛からない格好だからだ。しかしこれが私の普段着なのだから致し方ない。駅ロータリーにある雑居ビルの前で足を止め、三階の表札には四方木情報屋と手書きで書かれている。
「日和お嬢様、ここは一体なんでしょうか?」
「同業者だよ。流石に神託なんてしないが、ただの情報屋だ」
そう言って階段を上り、ノックするのも抵抗がある塗装の剥げた扉が出迎え、私がブーツの先で二度扉を蹴ると、ボロボロとその箇所の塗装が剥がれ落ちた。
「はいはい。なんで扉の下からノックされるのかしら。もしかして赤ちゃんが……、って猿姫じゃない。どうしたの、珍しい」
スーツ姿の二十代半ば程の長身女性が化粧の濃い整った顔を出した。
「お前に聞きたいことがある」
「ふぅん。いいわ、入って」
そこはありきたりな事務所のような内装。しかし床には机から雪崩れたであろう書類の絨毯が敷き詰められている。私と椿はなんとかそれを踏まないように足の置き場を探しながら応接ソファーの前まで何とかやって来たというのに、四方木はズカズカとそれらを当然のように踏みしめてキッチンに引っ込み、「猿姫は珈琲飲めなかったよね。付き添いの人と猿姫は牛乳と紅茶どっちがいい?」なんて聞いてくるので、「客人に牛乳なんて出すな、紅茶だ馬鹿者!」声を荒げて返してやった。
ティーパックの安い紅茶を私と椿の前に置くと対面に
「お前、深夜の散歩が趣味だったよな。松戸市で起きている事件の被害者がこの近くで遺棄されていた。知っているな? その件について何か見聞きしたことがあるなら話してほしい」
「なぁるほどね。ねぇ、私も情報屋なの。流石に懇意にしている猿手目家のお願いでもタダというわけにはいかないでしょ」
「幾らだ」
「そうね、二十万かな。その価値はあると思うけど」
先程の手渡された封筒を懐から取り出して二十万を抜いて四方木に手渡すと、満面の笑みを浮かべながら長財布に仕舞って、盛大に煙を吐き出した。
タバコの煙が苦手な私は着物に匂いが移らないように、床に落ちている資料の束を掴んで仰ぐ。
「生憎とその日は腹痛で散歩をしていないし、事件に関する情報も集めていないの」
「はぁ!? なら、いまの二十万を返せ!」
「落ち着きなさいって。話は最後まで聞く。その代わり、この事件がある詩になぞらえられている可能性があるのよ」
「詩、だと?」
「そう。私は詳しくは知らないけど、知人に詩が好きな人が居てね。その人なら詳しく話を聞けると思うんだけど、紹介してあげよっか?」
詩になぞらえた殺人ともなれば、真っ先に疑うべきはその作者だが、熱狂的なファンの可能性も強い。そうなると不特定多数の人間の犯行が可能だ。犯人を絞るのは難しいかも知れない。しかし見つけた細い糸口だ。これを逃してやる気はない。
「その人に連絡してみるから、詳しい日時は追って知らせるから」
もう話は終わりだという笑顔。
紅茶を飲み干して席を立ち、帰りは遠慮無く書類を踏んづけて玄関まで向かった。
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