第17話 讒訴

 こうして剛霜達は大鹿一頭を弓矢と交換して引き上げたのだが、里の門前で一悶着が発生した。

「里長への報告は吾等がする故、しばしこの場で待ってもらいたい」

そう言って、先ほど少年に返り討ちにされた男達が、剛霜達を門の外に待たせたまま、勝手に大鹿を担いで里の中へと入ってしまったのだ。

 剛霜達は里の門衛に止められたまま、待機を余儀なくされることになった。

助力を要請しておきながら、余所者扱いをする気かと憤る仲間達を宥めながら待つこと暫し、ようやく開いた門内からは武装した男達が現れ、突如剛霜達に槍を向けた。

「仲間内に槍を向けるとは何事かっ」

「剛霜に裏切りの疑いがあると、里長が仰せだ」

「なんだとっ」

「それが助力した吾等に対する物言いかっ」

門前は忽ち殺気に満ち、両者に緊張が走る。

「剛霜のみ通す故、里長へ申し開きをするがよい」

「いかん、剛霜、これは罠だ」

「行けば殺されるやも知れん」

傲岸な里人と対峙する仲間達の激高と危惧の声に、却って剛霜は冷静になっていった。

「先に入った里人共の讒言であろう。同じ主を持つ身、殺されはせんよ。道理を話せば分かるだろう。案ずるな」

 剛霜は一人門内へ進み、櫓の弓兵に見下ろされながら中央広場へ向かった。

門から先は急な上り坂になっており、途中には侵入者を迎え撃つための土塁が築かれている。

そこを曲がると幾分なだらかになった道が弧を描くように奥に続き、両側に作られた幅の狭い堀には水が流れている。

さらに進むと道幅が広がって、左右には高床にした倉庫が並んでいる。

内にはこの里で収穫された籾や栗、茸や諸々の薬草、干した獣肉や鞣した皮などが納められているはずだ。

これに主の住まう里から持ち込まれる生糸、麻布を加え、秋の終わりに貢納品として船に積み込まれる。

風が変われば主はこれらの品を積んで、剛霜達が操る船で都を目指すことになる。

『やれやれ、そうなればこの陰鬱で狭苦しい里とも暫く縁が切れるわ』

少なくとも半年、春になって南の風に変わるまでは陽気な都の内で暮らすことが出来る。

間もなく主も里を発つだろう。

今年、静織しどりの里ではどれほどの生糸が採れ、何疋の麻布が織られたのだろうか。

桑の畑も広がったろうし、茎太の新しい麻も播くと聞いている。

丈夫で太い麻糸で織られた帆布があれば、強い風に乗った船は瞬く間に都へ着くことが出来るだろう。

あおに輝く生糸の束を都の織女達は、さぞや待ちわびているに違いない。

そんなことを思いながらようやく平坦になった道を歩き続け、剛霜はこの里が作られた元になる泉へと辿り着いた。

 夏でも冷たく澄んだ水が滾々と湧き出る泉は、水の悪い南から下ってきた船団にとっては、まさに僥倖に恵まれたと言って良い発見であった。

断崖に囲まれた入江の砂浜から、わずか一里ほどの森に湧き出る泉の側に、山獣を排し堅固な補給の里が出来たのは必然であった。

後に定住させられた者達によって農耕と狩猟が開始され、その成果を都へ貢納する故に、此処をみつきの里と呼んだのだ。

 黒々とした水面は篝火を受けて時折ギラリと、追われた獣達の恨みの眼光のように鋭い光を放っている。

篝火は泉の縁から広場の中央にかけてぽつぽつと焚かれ、その回りには茅葺きの住居が並び、奥には一際大きな里長の館が鎮座している。

その前に居並ぶ主立った者達の中央で、剛霜を睨め付けている小男が貢の里長である。

「剛霜っ」

既に激昂して顔面が紅潮している里長は、暗がりから剛霜の姿が現れると声高く呼ばわった。

「何か」

「何かではないわっ、この裏切者めっ。蛮族に武器を与えて何とするかっ」

「大鹿を見たであろう。あれとの交換だ」

「馬鹿者っ、聞けば元々こちらで追い込んだ獲物だそうではないか。それをたかが小童に脅されおって」

「聞いておらんのか。あれは古潭の者が四日ほど前に射て、弱るまで追っていたものだそうだ」

「そんなもの、嘘に決まっておる」

「首に矢傷があった」

「そんな古傷で言いくるめられよって、この阿呆がっ。小童など打ちのめして、分捕って来れば良いではないか」

「それをして叩きのめされた者達がそこに居るが」

剛霜は里長の傍に居並ぶ者達を指し示した。

「なっ…おいっ、本当か」

里長の視線の先で、先ほど大鹿を担いで先に入った者達が目を泳がせた。

どうやら都合の悪いことは伏せて報告したようだ。

「た、偶々足場が悪く…その」

「なかなか、すばしこい奴で…」

「ほう、五人で取り囲んで殴りかかったところを、一瞬で返り討ちにあったように見えたがな」

「う、汝が助力すれば、勝てたではないか」

「そうだ。吾等ばかりに戦わせおって」

「勝手に殴りかかっただけだろう。たった一人の小童に五人もの大人が返り討ちに遭った恥を俺に雪げと言うか」

剛霜の正論に、さすがに厚顔な男達も面を伏せた。

「そんなことはどうでも良いっ。今は蛮族に武器を渡した裏切りを責めておるのだ」

里長が苛立った声を上げた。

「交換だと言っただろう。大鹿と弓矢一式、とても釣り合う話ではないが、相手が納得したのでな。当初、古潭の者は吾等の事情を察して『困った者に先に与えられる』と獲物を譲ると言ったのだ」

「それが蛮族の強がりよ。吾等の武威に恐れを為して、その場を上手く納めたいが、小童め、勢いが付いたために獲物を手放すと言い出せなかったのよ。それで、そのような屁理屈を並べたのだ。それを真面に受け取りおって」

「あれは、そのような弱腰の理屈ではなかったぞ。現にその者達が打ちのめされているだろうが」

「ふんっ、偶々隙を突かれただけだろうよ。此奴等も多勢という奢りがあったからな」

里長は男達をじろりと睨んで続けた。

「ゆえに交換などと馬鹿な事をせずに受け取れば良かったのだ。蛮族の貢納品としてな」

「馬鹿な…里長の言葉とも思えぬ。困った者に先に与えられるという古潭の流儀で獲物を譲られれば、それを吾等は認めたことになる。つまり奴らが困ったといえば、今後はこちらも譲歩しなければならなくなるのだぞ。だから俺は交換としたのだ」

「そんなもの、口約束に過ぎんではないか。律儀に守る必要など無い」

「それでは諍いになるぞ」

「結構ではないか。蛮族ごときに何ほどのことがある。吾等の力を見せてくれようぞ」

「それは主の意向に逆らうことになるのではないか」

「自衛を禁じられてはおらぬ」

「きっかけを作ったのが里側でもか」

「この里は大きくならねばならぬ。いずれ蛮族を打ち払う時期が早まるに過ぎぬわ。その為にも奴らに武具を渡してはならぬのだ。故に剛霜、汝のしたことは吾等への裏切りだ」

「勝手な理屈を。里を大きくして何とする。此処は貢の集積地に過ぎぬのに」

「いつまでも倉代わりの里に甘んじてはおられぬわ。儂は静織を越える里を作るのじゃ」

「それが主の御心に適うとでも」

「都への貢納品が増えるに越したことはあるまい」

「さて、俺は主の胸の内を推し量ることは出来ぬが、里長の分を弁えぬ言葉は確かに聞いた。そのような者に裏切者呼ばわりされる謂れは無いな」

「弁えぬのは汝の方じゃ、先ほどからの儂への態度は目に余る。その性根叩き直してくれるわ」

「笑止、まつろい者が分を語るか」

まつろい者とは、都からの東征軍に新たに服従した民を云う。

この里の者も、南にある大きく潮の入り込んだ流海ながれうみと呼ばれる大湖の周辺の邑々から、数家族ずつ移されてきた者達である。

里長も最初に服従した邑から選ばれた民だと聞いている。

主の施政によって、元々の従者と新参者の身分的な区別をしないよう厳命されていたが、剛霜も既に冷静さを欠いていたために、思わず侮蔑の言葉が口を突いて出ていた。

「おのれえっ。者共、此奴を打擲して身の程を分からせよっ」

「おうっ」

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