第11話 誤解(中編)

「剛霜」と呼び止められて、彼は不審気な眼差しを相手に送った。

貢倉を出て浜の干し小屋へ急ぐ途中のことだった。

呼び止めたのは密筑の里長の息子、外浦朱比古とうらのあけひこという若者だ。 

 密筑の民は、ここより南の流海ながれうみと呼ばれる海と繋がった大浦から連れてこられた一族であることから、元々外浦の民と呼ばれ、里長の名が外浦別比古とうらのわけひこ

つまり大浦から別れた民の男子という程の名であったが、東征軍の長から授けられた名であった為、里長の一族だけがその名を名乗った。

 朱比古は、すらりと背が高く、赤茶けた長い髪をみずらにすることもなく肩先に垂らし、贅沢にもゆったりとした長い寛衣を身にまとっている。

いつもは里奥の舘に数人の女達と暮らし、滅多に人前に姿を現すことはなかった。

剛霜も儀式の折りに遠目に二、三度見かけただけで、噂では人嫌いとも日の光に弱いのだとも聞いたが、見ればなるほど男とは思えぬ肌の白さ細さは尋常ではなかった。

その目も髪の色も、まるで色がけかかっているように淡く薄い。

風体も怪しげなら、生活そのものも剛霜の目には不可解に映る。

有り体に言って気味の悪い人間だ。

その人物が、白昼それも奥館を離れた場所で剛霜に声を掛けて来たのだ。

不審と言うよりも、棘立つような警戒感が先に立つ。

 朱比古は切れ長の目を細め、酷薄そうな薄い唇を曲げて剛霜に近づいた。

うぬ、鮑に食われかけて蝦夷えみしの童に助けられたそうだの」

いきなりの嫌みに思わず面に朱が差すのを感じたが、剛霜はそっぽを向いて返事をしなかった。

「ふっ、まあ良い」

薄い笑いを浮かべたまま、朱比古は剛霜の顔を探るように見つめた。

「其奴を静織しどりの媛がいたくお気に入りとか」

そういうことか‥と剛霜は得心した。

 つい先日、里長が葉祥を息子にと劉孔に願ったのだ。

昨年までは幼気いたいけな童女であったが、一年の時は少女を変える。

美しく育った娘を、嫁にと願うのは息子の為ばかりではあるまい。

里長の外浦氏と違って、劉氏の一族は諸番の長だからだ。

劉孔からの諾否はまだないと聞いている。

「蝦夷は土地を荒らすと怒っていたのは、お前ではなかったかな。そのお前が不甲斐なくも敵に助けられ、ために其奴を媛に近づけたのだとしたら随分と情けない話だの」

「ちっ」

剛霜は苦虫を潰した。

 それは確かに先日までの彼の弁であった。

風聞を信じ異端を嫌い、闇雲に古潭を蔑視するのは里人の常である。

それは自分たちの背後にある脅威に対する、裏返しの感情に他ならない。

 毒の一件もそうだった。

ウタリと話してみるまで、古潭では毒による大量捕獲を行っているものとばかり思い込んでいた。

だから獲物が減り、自分たちは苦しむことになるのだと。

だが、どうやらそれは誤解らしかった。

ウタリによれば、古潭の人々は必要以上に獲物を狩ることをしないらしい。

冬備えの為に確保する獲物の大半は、秋口に大量に遡上する鮭だけで、あとは数頭の熊と鹿の肉を燻製にするという。

しかも、狩猟の時期を決めていると聞いて驚いた。

彼らは、繁殖期の獲物を捕らないのだ。子育てを終えて十分に成熟した獲物だけを狩る。

若鹿の袋角が良いの、子猪の肉が柔らかいのと、のべつまくなしに狩っていたのは自分たちの方ではなかったのか。

 危難を救われたのをきっかけにして、剛霜はウタリを素直に見るようにしている。

考えてみれば、出会ったときから彼は嘘をつかなかったし、狭量でもなかったからだ。

ウタリは決して蛮夷ではなかった。

気力も体力も抜きんでているし、自然や獲物に対する知識も豊富に持っている。

それでいて少しも奢ったところがなかった。

ほんの数日を共に過ごしただけでも、剛霜には少年の力量が明らかに里人を凌駕しているのが感じられた。

「…誤解があった」

言いかけると、「そんなものはない」と朱比古は冷たく言い放った。

「我等と蛮族の間に誤解などありはしない。あるのは征夷のはただけであろうが」

寛衣をふわりと翻し踵を返すと振り向きもせずに告げた。

「恥を知るのだな。蛮夷と馴れ合えば身の置き場を失うぞ」

その姿を剛霜ははらわたの煮える思いで見送った。

「空威張りが‥何も出来ぬくせに」

 里の奥で女共と遊び耽って、世間を見ぬような奴に何が分かるかと思う。

実際、あの海中での死闘を経験しなければ、剛霜とてにわかにウタリとよしみを通じたりはしなかった。

あの後、仲間から聞いた話ではウタリは一人で石決明を引き剥がし、剛霜を船に引き上げると心臓の止まった彼の胸に手を当て、強い気を放ったという。

それで彼は助かったらしい。

懸命に手を尽くしてくれながら、恩にもきせず彼の様子を見守ってくれたウタリに、それでも敵意を抱くほど愚かでいたくはなかった。

 だが、全てのわだかまりが解けた訳ではない。

仲間達もウタリに感謝を示したが、里に招いてまで礼をしようとはしなかった。

ウタリの人柄を知ってさえ、里の防備を彼に知られるのが不安なのだ。

それだけ古潭と里の間には隔たりがある。

そんな里人の気持ちを気遣って、劉孔は大井おおいから離れた掘割のほとりでウタリに会ったのだろうと思う。

 外門を出て浜へ降りる途中の崖上でウタリと出会った。

相変わらず葉祥が一緒だ。

『やれやれ‥』と剛霜は胸の内で独りごちた。

屈託のない少女は、既にその身に小さな渦をまとわせているのだ。

「ウタリ、劉孔様の出立が決まったぞ」そう呼びかけると少年は目を輝かせた。

「そうか、やっとオクれるんだな」

「ん?ああ‥」

妙な言い回しだなと思いながら、剛霜は葉祥が顔を曇らせたのを見た。

「出立はいつ?」

「明後日でございます」

「そう‥随分急なのですね」

「例年より遅れております。潮が変わらぬ内に出ねばなりません。幸い石決明も大方干し上がりましたので」

「剛霜殿も行かれるのですか?」

「はい。及ばずながら船長ふなおさたすけをいたします」

「父を…お願いしますね」

そう言った葉祥の顔には、急ぎ船出をせねばならない父を想う不安の影が見て取れた。

「お任せ下さい」

そんな心配を払拭するように力強く笑んでから、改めて主君の娘を見れば去年より余程背丈も伸び物腰も嫋やかで、今や人目を引く女性へと成長する途中の危うい美しささえ感じられる。

なるほど古潭の少年に盗られるかも知れないと、朱比古が苛つくのも分からぬでもない。

しかも、生まれから齎されるある種の威厳とも言うべき物まで感じられて、剛霜はまるで主に対するように深々と一礼して去った。

 坂下の浜から松林を縫って吹き上がる、爽やかな風が頬を撫でる。

その風の行方を追って、剛霜はまだ崖上に居る二人を見やった。

そこには黒髪を靡かせて微笑む少女と、古潭の少年が寄り添っている。

少年もまた昨年出会った頃よりも、さらにしっかりとした体つきになって、褐色の身体に漲る気がまるで輝くように見える。

「ふっ…朱比古なんぞより余程絵になる」

だが、笑みを含んだ視線を戻しながら彼はふと思った。

去り際の一礼‥自分は確かに葉祥だけを見ていたのだろうか。

媛の隣に端然と立つ若者の姿を、己の目は追ってはいなかったろうか。

自分は、いつの間にか少年に心惹かれていたのだろうか。

「なにを馬鹿な‥」

剛霜は首を振って、船の準備に入江へと向かった。

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