第6話 剛霜

 剛霜とウタリの確執は昨年の秋に始まる。

それは剛霜達が、葦原に鹿を追っていた時のことだ。

 たまたま河口付近まで迷い込んで来た大鹿を見つけ、なんとか仕留めようと数人がかりで追い回し、平野から垂直に切り立つ断崖の下にやっとのことで追い込んだのだ。

だが、いざ矢を放つ段になってみると、大鹿は既に弱り切っているようだった。

 取り敢えず倒した後に、不審に思って調べると、首の付け根に矢傷があった。

矢は途中で折れてはいたが、先端は首筋に深く食い込んでいた。

取り出した鏃を見ると、石を打ち割って鋭利な尖端を作り出している。

 この辺りでこんな道具を使う者は、古潭の者以外にはあり得なかった。

「これは‥」言い終わる前に、頭上から声が降った。

「オレの獲物に触るなっ」

見ると崖の上で、褐色の肌をした少年が燃える瞳で剛霜を睨んでいる。

「何を言う。これは俺が仕留めたんだ」剛霜は怒鳴った。

「その手にあるのは何だ」

 少年に指摘されて、剛霜は言葉に詰まった。

鹿の首筋から取り出したばかりの、石の鏃を握っていたのだ。

「これがお前の鏃だと言うのか」

「そうだ」

「だが、傷口が乾いている。これで鹿が死んだ訳ではない。俺たちが追い込んで仕留めたのだ」

「それには毒が塗ってある」

 ここより南の原で、今朝ほど鹿を見つけ矢を射たのだと少年は言った。

後を尾行つけながら、毒の回るのを待っていたのだと主張する。

「それが本当なら、お前だってこの肉は食えまい」

「焼いて食うには害はない」

倒れた鹿を挟んで、言い合いが続いた。

 狩人には暗黙の了解がある。獲物は先に矢を当てた者に大きな権利があるのだ。

異民族とはいえ、山で獲物を追う者にはいつからかそういった共通の認識が育っていた。

 少年が大鹿を先に射たことは明白であった。

だが、剛霜達にも譲れない訳がある。鹿の角や毛皮は、都への大事な貢納品となるのだ。

「では、こうしよう。オレは肉には用がない。角と毛皮が手に入れば良いのだ。後はお前達にくれてやろう」

「いや、それは困る」

少年の提案に剛霜は狼狽した。

 剛霜の主張は、鹿の受けた傷は古傷で、少年の射た矢には権利がないということに終始している。でなければ、とっくに剛霜の負けなのだ。

 彼は、言い合いに業を煮やした少年が挑み掛かって来るのを狙っていた。

襲われたのなら、討ち倒したところで十分に面目が立つし、大手を振って鹿を持ち帰る事が出来るだろう。

だが、少年は先撃ちの権利を掲げながら、全てを主張することなく、敢えて寛大な計らいを見せようとしている。

 狩人にしたら、情けのある筋の通った話だった。

それを無視して、数を頼んでこの場を強引に押し切れば、後々仲間内から批判が出ないとも限らない。

そうなれば、狩頭としての器量を疑われてしまうだろう。

それで剛霜は困ってしまったのだ。

「日も暮れる。このままでは臓物も腐ってしまうぞ」

焦れたのは仲間達の方だった。

 仲間と言っても剛霜達船人とは違って、里人である。

元々は、里人の数が足りずに頼み込まれて剛霜達は手を貸したのだ。

それゆえ、仲間達の間にも不和が有る。

「構わぬ、やってしまえっ」

里人の一人が声を上げると、わっと少年に襲いかかった。

「ま、待てっ」

だが、開かれた戦端は留めようも無かった。

少年を押し包むように、五、六人の男達が襲いかかり拳を振り上げる。

剛霜は叩き伏せられる少年の姿を思い目を瞑った。

 しかし一瞬後、その想像は覆された。

鳳仙花が弾けるように、その中心から男達が仰向けに吹き飛んだのだ。

まるで花弁が開くように、男達が放射状に倒されたのを見た剛霜には、その一瞬に何が起きたのかよく分からなかった。

だが、倒れた男達の中心に事も無げに立って居る少年を見れば、彼が只事でない技量を持った戦士であることは疑いようもない。

「なっ、ま‥」

 言葉に詰まった剛霜に、少年は何事もなかったように瞳を向けた。

「それで‥どうする?」

ウタリはまだ剛霜の手に握られている鏃を指さした。

「オレの話が信じられぬというなら、誰でも良い、その鏃で自らに傷をつけてみよ」

毒の効果が現れたら、ウタリの勝ちという訳だ。

 剛霜達は互いに顔を見合わせた。

誰がそんな危険な真似をするというのか。だが、古傷だと言い切るなら、鏃に毒のないことを証明しなければならない。

先ほどの襲撃を制止出来なかった事もあり、もはや剛霜に勝ち目はなかった。

『馬鹿な奴等だ』里人の短慮に心の内で何度も舌打ちを繰り返す。

それでもこの大鹿を持ち帰らねば、密筑は困った事になるのだ。

「俺たちも角や毛皮が必要なんだ」

まるで駄々をこねるように言った後に、ふと疑問が浮かんだ。

少年は角と毛皮を何に使うのだろう。

都では角は薬として使うし、毛皮は交易に使う。

古潭に製薬が出来るとも思えないし、交易の相手もいないだろう。

「お前、それを何に使うんだ?」

「角は削って針や鏃を作る。毛皮はなめして、寒さの備えに使う」

「ああ、そうか。だったら、俺たちの弓矢と交換せぬか」

どうせ作るなら手間の無い方が良いだろうと、剛霜は持っていた弓矢を差し出した。

「弓は二人張りで少々、かたいがよく飛ぶ。鏃はあかがねを鋭く削ったものだ。振れがなく、勢いを殺がず深く貫く」

 少年は剛霜の顔と弓矢を交互に見つめ考えていたが、しばらくしてようやく首を縦に振った。

 こうして剛霜達は大鹿一頭を弓矢と交換して引き上げたのだが、里に帰ると彼は里長からこっぴどい叱責を受けることになった。

蛮族に武器を渡してなんとする。と、いうのがその理由である。

 剛霜達の住む密筑の里は、海に向かって開かれているが、その後背の山中に位置するのが古潭である。

ために里人は、常に背後を警戒する。

 西からの移住者である密筑の人々は、先住者たる古潭の者達に襲われ土地を奪われはしないかと、彼等の動向に注意を払っているのだ。

そんな警戒すべき敵に、むざむざと武器を渡して来るとは何事か。と、里長は怒りにまかせて剛霜を、竹裂きの鞭でめった打ちにしたのだ。

 船の一族たる剛霜にとって、職分の違う里長に衆人の面前で打ち据えられたことは大変な屈辱であった。

今までは同格に、船のこと里のことと分けて役儀を務めてきたつもりだった彼の矜持は土にまみれたのだ。

忘れられない出来事である。

 里の事を思って為した行動を叱責された鬱憤は、彼の中に深く淀んだままであった。

己の提案したこと故に少年に恨みは無い。

だが、例え石決明の為とはいえ、再び彼とまみえる事になった今、彼の心中は穏やかではいられなかったのだ。

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