第56話 破天荒解




 ダンジョン内に入ったニャメは混乱していた。

 ニャクイクスの根拠地ダンジョンである蟻塚の入口を潜った筈だった。

 しかし、中はゼミオのダンジョン。


 ここはまずい。

 他のダンジョンであれば探索者扱いで、例え死亡しても入口にリスポーンされるし、フレンドリーファイアできるスキルかロールを所持してなければ、そもそも向こうからは攻撃できない。

 ダンジョンの奥深く進んでからワザと殺されるか自殺して、リスポーンを利用して杏弥を振り切ろうと考えていたのに……。


 受肉したダンジョンでは、敵性体と同一視される。

 氾濫状態であれば再びボス部屋に戻るが、既に攻略されている以上、恐らく死ねばそれまでだ。

 ダンジョンの設定に囚われ、実質的に封印扱いになる。


 不死不滅の神は、肉体を滅ぼされたからといって死ぬことは無いが、封印されてしまえば実質的に同じことになってしまう。


「くそ。あの人間、ハメやがったにゃ」

 追い詰めればダンジョンに逃げることを見越して、蟻塚のダンジョンと事前にすり替えたのだろう。空間を操るニャメを物理的にダンジョンに放り込むのは困難と見て、罠を張ったのだ。


 思えば、ミトラスの無謀な戦闘はこの工作からニャメの気を逸らすためだったのか。

 気付いたが、しかしもう遅い。


 まもなく杏弥がやってくるだろう。

 ダンジョン内ではレベルが全てだ。どこまで上がっているかは分からないが、少なくともニャメより高い事は確定している。


 戦闘になればほぼ必敗だろう。


「いや、まだにゃ。まだ、こっちには人質が」

 子供二人。平静を装ってはいたが、そんなわけはない。

 無論、子孫を顧みない生命体は数多くいるし、人間の中にも同様の思想をもつものが一定数いることはニャメも知っている。しかし、杏弥が凡そそれらのクズと呼ばれるような親とは対極に位置していることは分かる。


 家族を守るために神にまで至る奴である。

 決して見捨てるようなことは出来ないだろう。例えリスポーンすると分かっていても、傷つけられた精神が回復するわけではない。消えない心の傷を負わせるリスクを考えれば、交渉に乗る可能性は充分に……。


「そろそろ手を離してよ」

 脇に抱える子供から掛けられた声。下等生物の幼生にぞんざいな口を聞かれ、苛立ちから瞬間的に放り投げる。


「口の利き方に気を付けるにゃ。ニャメは、お前らに悲鳴と命乞い以外の発言を許すつもりはないにゃ」

「余裕が無いね」

 何事も無かったかのように起き上がる李空。折れた腕も気にした様子はない。


「――ニャメは気が短いにゃ。何度も丁寧に注意してやるほど温厚じゃ」

「邪魔」

 傍らから幼女の声。同時に腹部で何かが弾け、暗い森の木々を薙ぎ倒しながら吹き飛ばされる。


「にゃ、何(にゃに)が」

 混乱。抵抗はおろか、声を上げることすら出来ないはずの幼女が、神を吹き飛ばすなど。


「ありえないにゃ!」

 少なくないダメージを負っている。

 ダンジョン内は魂魄の削りあい。レベル24,025のニャメにこれほどのダメージを与えるには、同じ神の領域に達したものでなければ無理だ。


 経験値を振ってレベルを上げた?

 しかし、経験値共有では上限突破のスキルは得られないし、スキル共有も出来ない。


 神へ至る路は自力獲得が絶対条件。他者に与えられるなどあってはならない。

 経験値をいくら分け与えたところで、それは借り物に過ぎない。


 ならば、この小さい者達が自力で神の領域へ至る修練を積んだと?


「そんなわけ――」

「煩い」

「口臭い」

 李空の蹴りと、桃の魔法。


 波状攻撃を受けて、一瞬でニャメはボロ雑巾のようにされる。


「はぁ、はぁ、な、なんなのにゃ。こんな理不尽、あっていいことじゃないにゃ」

 涙目のニャメ。


 そこにのんびりと、杏弥が現れる。


「あらら、俺の殴る分残しとけよちゃんと」

「一発くらいは殴れるよ」

「手加減するの面倒」

 李空と桃がぶっきらぼうに答える。


 おかしい。

 何かがおかしい。

 ニャメにもそれは分かるが、何がおかしいかが分からない。


 人の生き死に、過度な喜怒哀楽の感情やそれに至るための道程にしか興味のない神では、何がおかしいかが分からない。


 栗花がこの場にいたならば、一瞬で看破できただろう。

 家族の事だから当たり前だ。


 悲劇や惨劇にしか興味が無いから、人間の細やかな違いに気付きもせず、仕掛けた罠にまんまと嵌ったのだ。


「いつばれるかと冷や冷やしたが、ちゃんと人間に興味が無い奴で助かったよ」

 皮肉を口にする杏弥。


「何を言ってるにゃ」

 困惑の坩堝にいるニャメ。ただ、何かとてつもない見落としをしていたのだと悟る。


「もういいぞ、いい加減気持ち悪いから戻れ」

 杏弥の言葉で、李空と桃の姿が変化する。


「……そんな、馬鹿にゃ」

 ニャメは愕然として、膝を付いた。


 目の前に、杏弥が三人いる。


「残念だったな。初めから二人は俺だったってわけだ。星道会のところで分身は見破られたようだったから、今回もバレるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ。分身した上で擬態してたから大丈夫だったのかな。それとも、神だとふんぞり返って人間様を舐めていたからかな?」


 心の底から馬鹿にしたような顔で、ニャメを貶す。


「このダンジョンを放っておいたのも悪手だったな。適当なニャクイクスの連中に攻略させて、自分の手の内に置いておけば、この状況は無かった。人間を軽んじて放置した挙句、俺に攻略されて私物化される。おまけに今回使った擬態もこのダンジョンの攻略報酬で得たものだ。初手から盛大にミスってくれて本当にありがとう。お前、人間以上にアホで馬鹿で、栗花以上に迂闊だな」

 ぷーくすくすとワザとらしく笑う。


 擬態 …… 任意のものに姿を変えられる。


 杏弥が仕掛けた保険。子供たちをダンジョン内に避難させ、自宅にはダミーで分身に擬態を使わせていたのだ。正確に言うならばそれらは全て創世のアビリティで既に得ていたスキルを再現したものだが


「ちょっと待つにゃ。おかしいにゃ。確か人間は2体までしか分身できなかったはずにゃ。分身を殺した直後にこいつらを攫ったのに、なんですり変われるにゃ! そんな暇なかったはずにゃ!」


「人間様を舐めるなよ、クソ神如きが。何時までも同じところで足踏みしてるわけねーだろ。タダでさえお前みたいな物騒な奴がいるのは分かってたんだ」

 不快気に吐き捨てる。


「分身のLvはそう簡単にあがるはずないにゃ! 使い続けたとしても数十年は掛かるはずだにゃ」

「チュートリアルダンジョンをクリアした時の報酬が如何様(いかさま)ってスキルでな。これ以上説明いるか?」

「そんにゃ、でも……」


 如何様 …… 不均衡な取引をできる。Lvに応じて取引できる項目が増える。


「適当な情報収集で知った気になって、低次元の下等生物と侮るからそうなる。何億年生きてるか知らんが、お前も嘗てはその下等生物の一人だったんだろ? そこに到達し得ると自分自身が体現しているにも関わらず、自分以上が現れることなど無いと信じた傲慢。不死不滅の存在故の無頓着。お前の敗因を上げるならそんなところだな。さぁ、これで終わりにしよう」


「にゃにゃ、待ってくれにゃ! お願いにゃ! 心を入れ替えるし、精神誠意謝るから、もう逆らわないし、なんでもご奉仕するから許してくれにゃ! 終わりのない封印生活なんてごめんだにゃ」


「ダメだ」

「な、なんでにゃ! こんなにお願いしてるのに! 他の人間を沢山殺したからかにゃ! そんなのニャメが殺さなくても勝手に殺しあって結局死んでたにゃ! そもそも人間に関係無い奴らにゃ!」

「そうだな。別に、ニャクイクスや星道会のクソ共が何人死のうがどうでもいい」

「じゃあ、なんでにゃ」


「初めに言っただろ。お前は、俺の女に手を出した。あまつさえ悪口を言いまくり、貶める行為を行った。罪状は以上だ」

「そ、そんにゃ! 悪口でいうなら人間も大概だったにゃ! 黙っててやるから見逃して欲しいにゃ! それにどうせあの女も人間の分身だったんじゃにゃいのかにゃ!?」


「栗花は本人だよ。俺に擬態されるのが気色悪いからって却下された。判決、無期懲役」

「嘘にゃ! そんなリスク、人間が許容するはずないにゃ! も、もしかして、告げ口が怖くて口封じかにゃ! にゃー、人間も大概横暴だにゃ!」


 所がどっこい、これに関しては本当である。

 気色悪いとかなんとか言ってるが、そんな私情で動くなと諭してみるのだが、聞き入れる様子もない。


 折衷案で、分身をスキル共有した上で、本体は子供たちと一緒にダンジョン一階層に避難して貰っていた。それで最悪の状況は防げたのだが。


 それでも、死を体験してしまった。

 必要もないのに死ぬことは無い。絶対に病む。そう説得はしたのだが、聞いてくれなかったのだ。


『私も守られてるばっかりじゃなくて、杏弥の痛みの一部でも知りたい。馬鹿にしないでよ。これでも子供二人産んでるのよ! 女の方が痛みに強いんだから!』

 なんて一般論で反論してきた。


 こういうことを言われると男は弱い。何せ体験したことはないから。死ぬこともある出産が痛いというのはわかる。だが、少なくともショック死するほどの痛みではないことも確かだ。故に、実際に死ぬ時の方が痛いとは思うのだが。


 多分、暫く使い物にならなくなるだろう。やれやれである。


 そんな事情を懇切丁寧に説明してやる義理も無く、さっさと終わらせようと杏弥はニャメの嘆きに答えもせず、本気で殴り抜けた。


「ぎにゃああああ!」

 断末魔を上げ、消えていくニャメ。


 分身を消して、ため息を一つ吐く。


「あのくらいの悪口で壊れる関係性で夫婦なんてできるかよ」

 勝者のくせに、捨て台詞のようなものを残して、戦いは決着したのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る