第53話 幸災楽禍




「素晴らしい! なんて日だ!」

 宇宙の何処でもない場所。

 過去でも無く、現在でもなく、未来でもない。


 時間や空間の外側。

 名状しがたい高次元で、ヨグ=ソトースは感動していた。


「諸君、見たかね。ニャメくんは素晴らしい仕事をしてくれた。最愛の伴侶を失い、命を賭けてまで守りたいと信じていた子供を攫われる。今ほどまで自身を筆舌に尽くしがたい拷問にかけていた悪神にだ。さぁさぁ、杏弥君はどんな反応を見せるかな?」

 曰く表現しがたい謎の場所で、姿も見せぬ神々が騒めいている。


 ヨグ=ソトースは上機嫌にその反応を捉える。


「結果を先に覗き見ている粗忽者はいないだろうね。全てを俯瞰し得る環境で、敢えて低次元に情報を絞って干渉する。全てを透徹するが故に得られない未知という甘露。これほどのエンターテイメントは他にはない。永遠に飽いている同朋達よ。敢えて盲目となり、下等生物の営みを見守ろうじゃないか」


 映し出される凍野家の惨状。


 栗花の血と臓物にまみれたキッチン。


 全てが終わった後でやってきた杏弥は、栗花の亡骸の傍らに膝を付き、茫然と、失ってしまった最愛の人を抱き寄せる。


 咆哮。


 半身を引き裂かれたような痛み。

 魂の慟哭。

 天を見上げ、滂沱する。


 その光景を目の当たりにし、神々が震える。

 ヨグ=ソトースもうっとりとその光景に酔いしれていた。


「ああ、良い。素晴らしい。なんという感情の昂ぶり。最早我らが失って久しい快楽。杏弥、貴方は最高だ」


 神々は悠久の中にいて、基本的に刺激が無い。

 不変不滅であり、三次元世界に生きる生物のように生存のためにあくせく動く必要もない。


 つまり、非常に暇である。


 刺激を求めて神々で争っていたこともあるが、そのせいで同朋が減って更に変化が少なくなってしまった。


 そこで、今度は同朋を増やす試みを始めた。

 その過程で、ヨグ=ソトースや幾柱かの神は、敢えて低次元の生命体の視点を共有することで、その主観から世界を観察するという道楽を考案した。


 適当な生命体に化身(アバター)としてのロールを与え、運命律を操作して波乱万丈な生を体感するのだ。


 波乱万丈を演出するが故に、幾度か種が亡びる事となったが、高次元生命体である彼らにはどうでも良い事である。


 ダンジョンという脅威と、舞台演出。ロールという指向性。下等生命の不合理な情理から生じるランダム性。


 神々は殊の外この娯楽を楽しんでいた。


 殺し合いをしていたころに比べれば、巻き込まれて消滅する宇宙が無くなったので、幾分平和になったとも言える。また頭数が増えれば誰かが始める可能性もあるが。


「コロシテヤル」

 殺意に塗り潰された杏弥の呟き。


 神々の興奮は最高潮である。

 生命のやりとりをする時ほど、感情は昂ぶり、化身からのフィードバックで味わうその感情の揺らぎこそが快楽なのだ。


 だから、神々の大半は残忍になる。


 無論、芸術に触れた時の感動を求める神も、恋愛や友情に目的を見出す神々も多い。

 しかし、やはり生死にかかわる時ほど感情が大きく揺らぐことは少なく、必然として最も需要がある。


 ダンジョンによる介入も、滅んでくれた方がより多くの悲劇が演出され、より多くの快楽を得られると考えるものが多い。


 様々な並行宇宙で、幾億回と繰り返している神々の、それが偽らざる本音であった。


 故に、見落としでもあっただろうか。

 それともそれすらも望みの範疇であっただろうか。


 膨大なるトライアンドエラーの果て、絶対的な立場にあるはずの神々を脅かす存在が、今まさに生まれようとしていることに、誰も気が付いていない。


「さぁ、クライマックスだ! 杏弥、本当の神を前に、次は何を見せてくれる?!」

 観衆を煽りながら、何処か底知れない瞳で杏弥を見つめるヨグ=ソトース。


 彼だけは、或いは結末を予測しているのかもしれない。

 いずれにせよ、結論が出るのはまだ遥か先の話である。




 ◇◇◇◆◆◆




 アフリカ大陸の中央。

 サバンナ地帯の中に、巨大な宗教施設があった。


 直径1kmもある円形の建造物。

 上面を周囲の環境に偽装しているため、衛星軌道から見てもそこに建造物があるとは判別することが出来ない。


 ニャクイクスの本拠地であり、ここ一か月ほどニャメが根城にしていた場所だ。


 ニャクイクスの信徒を順番に拷問にかけて殺害する遊びをしていた。

 神に従うことを至上とする教義により、信徒は喜んで死に、最早施設の中に生きた人間はいない。


『ふっふっふぅー、あの人間はどのくらいでやってくるかにゃー。拷問にビビッて当面こないかにゃ。そうなったら暇だにゃ。この小さいので先に遊んで――、でも、目の前で苦しめてやった方がきっと楽しいよにゃあ』


 物騒なことを悩んでいるニャメ。

 血と臓物と腐った肉の臭いにまみれた施設内。


 攫われた李空と桃は戒めを解かれても動くことが出来ないでいた。


 子供ながらに目の前の異質な存在を理解して、何を契機に危害を加えて来るかが分からない。

 そう、理解しているかのようだった。


『まあ二匹いるんだし、一匹くらい遊んじゃっても、いやいや、最大限苦しませるためにはやっぱり二人とも一緒にやった方がいいよにゃあ。ああ、どちらか選ばせるって演出はどうかにゃ? ムム、これは名案では? またヨグ様に褒められちゃうかにゃあ。でへへへ』


 下種なことを考えながら、一人笑っていると、唐突に李空と桃を庇うように白い樹木が生える。


『にゃ?』


 樹木から、にょきりと体を生やすミトラス。

 ニャメはそれを睥睨して、鼻で笑う。


『にゃんだ、引き籠りの亜神じゃにゃいか。神にもなれぬ半端者が、何しに来たにゃ?』

『キョウヤには借りがあるものでな。少しばかり返済しようというだけだ』

『お前がにゃん? ぶふぉ! 笑わせるつもりなら成功にゃ! ぎゃはははは! 同族も部下も家族も何一つ守れなかった分際で、引き籠ってお笑いの勉強でもしてたのかにゃ! げらげらげら』

 腹を抱えて笑うニャメ。


 ミトラスはそれを意に介さず、子供を庇いながら迎撃体勢に入る。


『我の事はなんとでも言うがいい。ただの事実に腹も立たん』

『亜神じゃ神に勝てないってことくらい分からないのかにゃ?』


 ニャメが指を弾くと、不可視の斬撃がミトラスを両断する。

 勢いあまって背後の李空の髪の毛が数本切れ飛ぶ。


『おっと、危うく殺しちゃうところだったにゃん。ほらほら、守るならちゃんと守って欲しいにゃ。これじゃお前が来たせいで、その小さいのが巻き込まれて死ぬことになるにゃん』

 ミトラスは次から次へと再生するが、ニャメの攻撃は防ぎ切れない。


『ほんとに何しに来たにゃ。つまんないにゃ、お前』

『神を倒せるなどと思い上がってはおらん。言ったはずだ、ただ借りを返しに来たと』

『それは返せてるのかにゃ? まさか、それで時間稼ぎ? そもそも稼いだら状況は変わるのかにゃ? 下等な人間の肉体に籠ってる限り、いくらレベルを上げても宝の持ち腐れにゃん。それはお前も分かっているにゃ』


『知っているさ。お前ら神々こそ、本当に知っているのか? いや、嘗ては知っていたはずだ。神の位階に上り詰めた者達だ。定命のものであったころには覚えていたはずだ。悠久の中で全て忘れ果てたか』

『にゃ? なんの話にゃ。神が忘れるとか、あるわけねーのにゃ』


『忘れたのだ。でなければ、驕り高ぶっているのだ。自らを特別と勘違いし、不都合な真実から目を背けているのだ』

『わけがわからんにゃ』


『神の不感症か。気付かないのか、この星を包み込むほどの圧倒的な感情を。悲しみ、絶望、何よりも全てを焼き尽くさんばかりの強大な怒りを』

『はぁ? もういい、失せろにゃ』

 顔を歪めて手を降ると、空間毎ミトラスが断裂する。


 ニャメはそのまま周囲を空間的に隔絶し、ミトラスのこれ以上の侵入を拒んだ。


『やれやれ、にゃ』

 溶けるように消えていくミトラス。


 消失しきるその間際、嘲るような声色を言い残す。


『そら、絶望のお出ましだ』

『にゃん?』


 天井が崩落し、先程までミトラスがいた場所に、杏弥が降り立った。


 そこには何の感情も浮かんでいない。

 行き過ぎたが故にフラットに戻った情動。


 ただ、純然たる殺意だけが、濁った眼に浮かんでいた。


『にゃは』

 ニャメはその感情を喜んで迎えた。



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