第52話 諸行無常
11/11。
その日はこの秋一番の寒さで朝の気温は一桁。その上明日に掛けて寒気が入る関係で、翌日に向けてどんどん気温が下がっていく予報であった。
朝方に雨がパラついたことも重なって、外気は寒々しい。
そんな布団が恋しい気温と、土曜日で仕事が無いという事情も手伝って、私、凍野栗花は遅まきながらAM9:00に起床した。
他の家族は全員起きている。
平日は寝坊する李空も、一人ではまだ起きれない桃も、休日となれば早朝から起き出している。
それより早く起きてご飯の準備をしている杏弥。
自分には出来過ぎた伴侶であると思うと同時に、甘え切っていることに申し訳なくなったりもする。
しかし、家事が嫌いなのだ。
気分が乗らないのだ。
甲斐甲斐しく家事や子供の世話をこなせる杏弥を少しだけ羨ましく思う。
――まあ、そういう人だから結婚したわけだけど。
我儘を受け入れてくれる度量。
感情を制御して理性的に振る舞える大人な態度。
常に冷静で客観的な物腰。
結婚を期に煙草を止めれる精神力。
多少メタボ傾向で毎年健康診断で引っかかる程度に不摂生ではあるが、それほど大きな病気をしたことも無い。多少ふっくらしていた方が、抱きついた時に気持ちいいし。
ビジュアルについても、背が高くて目が大きいのは好みの範疇である。
この人が良いと思ったから、私からアプローチして付き合って、一年程で結婚した。
正直杏弥は相手が誰でも良かったのだと思う。
結婚して子供は欲しいが、自分から積極的に動くほどのモチベーションは無い。出会った頃の杏弥はそんな感じだった。
スペックだけを考えれば、異性に積極的でさえあれば私と会う前に他の誰かと結婚してただろう。
自己愛が強く、利己的な側面があるから、恋愛に積極的では無かった。しかし、一度懐に入ってしまえば、無上の愛を向けてくれる。
本当に売れ残っていてくれて感謝である。
そんな出来た夫を家政婦のように扱き使っている現状に思うところはあるものの、妻の教育には熱心さを見せないせいで甘やかされっぱなしである。
伴侶をダメにするタイプの男だ。
じゃあ厳しくされたいかと言われれば、それはそれで嫌なのだが。
結局ただの我儘である。度々桃と同レベルだとイヤミを言われるのも致し方無い。
四歳児と同じと言われて反論が出来ない。全肯定するしかない。
そんな善き夫の元で、子供たちも今の所順調に育っている。
李空は私に似たのか今の所小柄で、逆に桃は杏弥に似て同世代では抜けて大きい。
男の子は二次性徴で急激に大きくなる場合もあるから、最終的にどうなるかは分からないが、あまり身長が伸びなかったら申し訳ないなと思う。
桃については逆に杏弥が申し訳なさそうにしている。
小さいうちは大きく育ってくれた方が安心は出来るのだが、やはり女の子だとあまり大きくなりすぎると服の問題とかが出てくる。
男でも180を超えて肉付きがいいと、選べる服が制限されると杏弥も嘆いているし。
女の子で色々ファッションを楽しみたいとなれば、高身長になり過ぎると制限がかかってしまうだろう。
それも健康に大人になった上での贅沢な悩みというものだ。
大きな病気や怪我も李空が椅子から飛び降りた時に肘の骨にヒビを入れたことがあるくらいで、入院などは今の所ない。
そのまますくすくと育ってくれればいいな、と思う。
ダンジョンが現れて、世間は兎も角、凍野家の生活環境は大きく変化することとなった。
一人きりでダンジョンに挑み、色々と揉め事に巻き込まれることになりながらも、杏弥は今も家族を守ってくれている。
正直、そんなに頑張らなくてもいいのにと思う。
勿論、杏弥が頑張ってくれたおかげで、今があるのだということに感謝はしている。
しかし、伴侶として、やはり夫の傷つく姿は見たくはないのだ。
結婚を許諾する時に、一つだけお願いしたことがある。
先に死なないで欲しい。
好きな人に先に逝かれてしまったら、甘え切った私はきっと生きていけなくなってしまうから。
杏弥は七つも年上なんだし、平均寿命も男の方が短いんだから、どう考えても自分が先に死ぬだろうと、そのお願いに頷くことはなかった。
嘘でもいいから頷けばいいのに、嘘を吐けない男。
自分では柔軟だと思っている節があるけれど、実は芯の部分は相当に頑固だ。
どうでも良いと思っている範囲が広いので柔軟に見えるだけで、どうでも良くないと思った部分は決して譲らない。
守るべき最後の一線を明確に引いている。
だから、信頼が置けるのだけど、悲壮な決断もあっさりと下すから、見ていて辛くなる。
ああ、私も強くならなきゃなと思わされる。
一方で、甘やかしてくるので中々実行に移せないのだが。
「杏弥、おはよう」
「おそようの間違いだろ? 大丈夫か? 具合でも悪いとか?」
別段そんな事は無いだろうという体で聞いてくる。実際健康だ。
「寝すぎてぼーっとする。朝ごはんは?」
「遅いから冷蔵庫しまっちゃったけど。暖めるか?」
「ん、それくらいは流石に自分でやる」
すすすと間合いを詰めて、ぎゅっと抱きつく。
何やら最近ダンジョンに潜ってるせいか、筋肉質になってきてる気がする。
抱き心地が若干変わってきた。まあ、これはこれで。
「杏弥のこと愛してる」
「俺も愛してるよ」
ぎゅっと抱き返され、その瞬間ふっと目の前から杏弥が消失した。
「っと」
ちょっとだけつんのめって、それからきょろきょろと当たりを見回す。
子供たちはリビングのソファで動画を見ている。
杏弥の姿は無い。
「何かあったかな」
消えること自体はもう慣れてきたので驚きはしないが。
考えても仕方が無いと、冷蔵庫を開けようとした瞬間だった。
『ここが塒? 犬小屋の如き狭さだにゃ』
背後からの声(?)にぞっとしながら振り返る。
銀髪、金色の瞳、黒い肌、赤黒(・・)いスーツ。
先程まではいなかった、少年(?)が背後に立っていた。
見た瞬間にあまりの威圧感に気絶しそうになる。
「……あ、ぅ」
言葉にならない。
何を言っているか良く分からないが、これは良くないものだ。
濃厚な死臭。
よく見れば赤黒いスーツではなく、白地に染みついた返り血だ。全身染まるほどの血を浴びたのだ。
突然現れた闖入者に、李空と桃がぽかんとしてこちらを見ている。
ダメ、逃げて!
思いはすれど、硬直した体は動いてくれない。
『人間はいないのかにゃ? ダンジョンの中かにゃ。まぁ、この場でヤるのも風情が足りないにゃん』
不吉な何かが指を弾くと、金色の帯が宙から現れ李空と桃をぐるぐるに縛り上げる。
『やはり盛り上げるには子供の方が適当かにゃー。所詮、番(つがい)なんて代えがきくからにゃ。まあ、メッセンジャーくらいにはなるにゃ』
何を言っているかは分からない。しかし、何をしようとしているかは分かった。
――ああ、こいつは私を殺す気だ。
殺意ではない。
草を毟るのに一々殺気を放つ人間はいないのと同じで、その程度の気楽さで、命を刈り取るのだ。
人間ではない何か。
人間では抗いようもない絶対的なもの。
「や、子供達を、はな、離して――」
それでも、母親として、杏弥との子供を、このままみすみす連れて行かせるなど、出来るはずも無い。
『おお、ニャメを前に口を利けるとは、さすがあの人間が選んだ番だにゃ。なかなか見上げた根性にゃ』
にゃんにゃん言いながら、また指を弾くとお腹に激痛が走り、崩れるように倒れる。
手を当てようとすると、その手が切れ飛んだ。
視界の端に直立した下半身が見える。
ああ、お腹から真っ二つになっちゃったんだ。
楽し気に、にやにやと笑うナニモノカを見つめながら、次第に薄れゆく意識の中で杏弥を思い出す。
「――ごめんね。先に死んじゃって」
言葉は果たして口から出ただろうか。図らずとも結婚するときに願った通りに先に逝けた。
子供たちの将来が見れないという後悔はあれど、共に過ごせた時間は幸せだったと伝えたい。
伝われば良いなと思いながら、そっと意識が閉じた。
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