第51話 戦々兢々
星道会本部があった場所は、今や跡形も無くなっていた。
山体が崩れ、本部を押し潰してしまったのだ。
当然星道会の根拠地であるダンジョン『シャンバラ』も地中に没した。
歪な山体の上で、優雅にキセルを燻らすものが一柱。
充血した目。針金のような直毛。赤い肌。長い手足。
ニャメの眷属、亜神Sasabonsam(ささぼんさむ)。
星道会もそれなりの抵抗は見せたが、ほぼ無意味であり、その中核を成した八星も本部と共に地中に没していた。
ササボンサムは、一人外部に逃げた女を追っていった同僚のネナウニルを待っていた。
泳がせて希望を与えたところで更に絶望を与える展開を好むネナウニルだけに、何時戻ってくるかも分からなかったが、ササボンサムは気にもしていなかった。
神の時間的尺度は定命の人間とは違う。
例え100年後に戻ったとしても、ササボンサムは気にしなかっただろう。
地中からおばちゃんとモヒカンの男が飛び出し、攻撃を加えてきたことにも特に驚きはしなかった。
坤(くうぇん)と坎(かぁん)。
深手を負いつつも、笑いながらササボンサムに襲い掛かる両者。
二人のロールは狂戦士と戦闘狂。
一度戦闘が始まれば、敵を殲滅しきるまで止まることはない。
格上にも通用する攻撃の倍率が上がるスキルと称号の効果で、多少なりとササボンサムの体が揺らぐが、しかし致命に至ることはない。
隔絶したレベル差と生物としての格の違い。
まだしもダンジョン外だから形になっているが、倒しきるには絶対的に出力が足りなかった。
そも、亜神以上となれば水爆ですら充分な火力では無い。
ササボンサムは殴られ続けながらも、特に抵抗しなかった。
痛痒も感じておらず、反撃するのも面倒だったのだ。
この場に来たのはあくまで星道会のダンジョンを使用不能にするため。
障害になるならば除去もするが、仕事を終えて次の指示が出るまでは、何をするつもりもなかった。
悲惨だったのは、八星の二人だ。
ロールの効果で止まることもできない。
無抵抗の亜神を無駄に殴り続ける。
日が昇り、また沈み、また昇りと十度繰り返した所で、ようやく変化が現れた。
「何やってるの?」
ふよふよと、透明感のある女の子がその場にやってきて目を丸くする。
透明感があるというか、肌がシースルーである。
人間ではありえないその見た目。
彼女もニャメの眷属の一柱、Zin(じん)。
主神の指令を持ってやって来たというのに、同僚は下等生物をじゃれつかせたままぼうっとしている。
呆れるのも無理はないだろう。
「主からの次の指示よ。日本とかいうところのダンジョンを潰すらしいわ。所でネナウニルは?」
「女の尻を追いかけて行った」
「またぁ? 全く、命令無視とはいい度胸じゃない。主にチクっちゃおうっと」
「勝手にしろ。それで、日本とはどっちだ?」
「案内するからついてきてよ。それよりそのゴミどうにかしたら?」
ジンに言われ、ササボンサムは無造作に坤と坎を振り払う。
十日間も動き続け、ボロボロになっていた二人はその無造作な一撃でひき肉に変わった。
「えっとね、方角は東のほうだからぁー」
ジンがどこから手に入れたのか、地図を広げながら方角を調べようとしたその瞬間、すり鉢状に地面が消失し、同時にその分の土砂が二人に降り注ぐ。
「なぁっ!」
叫びと同時に移動しようとした方向に現れるダンジョンの扉。
まんまと誘いこまれたのは、二人にも見覚えのあるゼミオのダンジョン。
「なんだ? これはどういう」
ササボンサムは状況を理解しようとするが、意味が分からない。
「ちょっと、なんなのよー、もう」
ジンもぼやくが、今度は空から雨のようなものが降ってくる。
元々、屋外は雨の降っているダンジョンだったから、二人も気が付くのが遅れた。
雨粒がどんどん密度を増して行き、気が付けば滝のような驟雨になっている。
そして、徐々に、ダメージが入る。
「ちょ、ササボン、ヤバいよこれ!」
「ぐぅう、これは、雨ではなく」
最早手遅れであった。
杏弥が入口に配置したダンジョンのラスボス。
雨に偽装して溶解液を降らせたことで、高レベルの二人は気が付くのが遅れた。
そして、気づいた時にはデビルスライムのレベルはすっかり上がり切っている。
ご丁寧にダンジョンの設定を弄ってデビルスライムに上限突破のスキルを付与する徹底ぶり。
雨が降り始めてほんの一分ほどで、二柱の亜神は溶かされてしまった。
◇◇◇◆◆◆
「ふぅ」
元星道会本部の直上。杏弥は上空2,000mから地上を見下ろしながら、ゼミオのダンジョンを収納する。
兌から位置を聞いて転移してきてみれば、亜神が二柱も雁首を揃えている始末。
これ幸いと処分してしまったが、運が良かったのかどうなのか。
これで残るはニャメ様だけだなと独り言ちていると、唐突に空が割れた。
空が、というか、杏弥の頭上の空間が裂けたといった方がいいか。
裂け目から感じる、名状しがたい気配。
本能的な恐怖を感じ、杏弥は転移で大きく間合いを取った。
「にゃはははは、そうビビるなよ、人間」
転移したはずなのに、空間の裂け目は同じ距離感にまだ存在している。
そして、その裂け目からひょっこりと金色の瞳が杏弥を捉えた。
心胆寒からしめる。
――ミトラス相手でも多少は感じたが、これが神か。
本能が全力で警鐘を鳴らす。
どうしようもない上位存在。
割れ目を跨ぐ形で現れた男。
いや、男と言っていいのだろうか。
黒い肌。金の瞳。銀髪。
白いスーツを着た、少年とも見える姿。
しかしそれは偽りだと杏弥の魂が告げていた。
名前 Nyame(にゃめ)
レベル 24,025
スキル 不定(Lv.9)
不定 …… 実現可能性の中から結果を選択できる。
スキルは一つだけ。
称号も無い。
だが、そんなステータスの表示になんの意味があるというのか。
この圧倒的な存在感の前に今にも押し潰されそう。
「亜神程度じゃ相手にもならないにゃ。流石、ヨグ様のお気に入り。ああ、はじめまして人間。ニャメ様だにゃ?」
なぜか語尾ににゃがついたふざけた口調。だが、目は笑っておらず捕食者そのものの剣呑さが宿っていた。
「ふっふっふ、良い顔だにゃ。格の違いが分かって偉いにゃあ」
ゆっくりと、間合いを詰めて細い指で杏弥の頬を撫でる。
「そう硬くにゃるにゃ。どうせその体も分身にゃんだろ? この場で殺されるわけでもにゃいんだから」
ニャメはクスクスと笑って、一歩間合いを取った。
「にゃにゃ、レベルが見えないということは、今のニャメより高レベルかぁ。よくもまぁ、そんな貧相な肉体で鍛え上げたものですにゃー。ドMなのかにゃ? だとしたらニャメとは相性いいかもしれないにゃ」
ヘビに睨まれたカエル状態の杏弥を嘲るように笑いながら、ニャメは虚空から何かを取り出す。
それは刺青が入った壮年の男性の頭部だった。
苦痛とも恍惚とも取れる表情が張り付いている。
「ちょうど、遊んでいたおもちゃが壊れちゃって、変わりが欲しかったところだったにゃ。ニャメより高レベルなら1万年くらいは楽しめるかにゃ?」
殺気というには些細な害意。
僅かに覗かせた狂気の片鱗。
反射的に転移で逃亡しようとするが、何故か発動しない。
「つれないにゃ。折角の出会いなんだから、もう少しゆっくりすればいいにゃ。因みに転移は空間に干渉できる能力があれば簡単に妨害できるから、神の前で使用するのは無謀だにゃ。スキル頼りのうちは特にどうにもならないにゃ」
酷薄に笑ったニャメは、ゆっくりと掌を杏弥に近付けていく。
「じゃあ、ちょっくらその分身で遊ばせてもらおうかにゃー。終わったら本体……、いや、そう言えば家族がいるんだったかにゃ? それは楽しくなりそうだにゃ」
きゃっきゃと邪悪に笑うニャメ。
しかし、杏弥にこの場で出来ることなど、何ひとつ無いのだった。
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