第41話 龍虎相搏
ラファエルは黒のスーツの下に閉じ込められた鋼の肉体をいつでも稼働できるように静かに躍動させながら、同じく黒スーツに身を包んだ男に対峙する。
対する相手は肉感こそ無いものの、武道の心得があるものならばその立ち姿の隙の無さに感銘を受けたであろう。明らかに素人の所作ではないが、それが目立たぬように隠してもいた。
星道会の乾(ちえん)。
東アジア圏で活動する際に、ミトラ教が最も警戒する男だ。
星道会の中でも、特に外部で積極的に活動する幹部。八星と呼ばれる者の一人であり、その長である。
襲名制であり、数十年で代替わりするため、乾と言っても一人の人間を指すわけではないが、二つの組織の衝突の歴史を紐解けば、最大限警戒すべき相手であることは明白であった。
「おや、これはラファエルさんではないですか。妙なところで会いしますね」
五十絡みに見える男。傍目には日本人にしか見えないし、日本語も完璧である。
ここに先日の会議に出席した大臣や警察庁長官などがいれば、この男が司会をしていた人物だと分かっただろう。
洗脳と催眠のスキルを活用し、日本国政府の判断に介入していたのだ。
国を乗っ取るつもりは無いが、必要とあればいつでもその程度は出来る。それだけの危険性を秘めていた。
「乾。ここに何の用だ? 貴様らが立ち入って良い場所ではないぞ」
殺意の籠った言葉。
子供なら泣き叫ぶし、気の弱い者なら失禁しかねない迫力だが、乾はどこ吹く風で肩を竦めるだけだ。
「そういきり立たないで頂きたい。私はただ星道会を代表して精神誠意謝罪に参った次第です。今更凍野氏と敵対などという愚を犯すつもりはないですよ」
「信用出来るとでも? 既にお前らはキョウヤと敵対したのだ。アポイントメントも無しに訪ねてきて、はいそうですかと納得するわけもあるまい。ましてやそちらの女性を人質にとるような真似を」
「ん、ああ。これは失礼。別にそう言った意図は無かったのですが、お宅に近付くにはどうしても許可が必要だったもので。しかし、少しはこちらの気持ちも汲んで下さると有り難いのですが」
「お前らの気持ちなど知るか、とキョウヤは言うだろうな」
「仰られることは分かりますが、凍野氏が我らが極東支部に開けてくれた大穴、あのデモンストレーションのお陰で、私は兎も角、同朋は震えあがって夜も眠れない始末なのですよ。正式に謝罪して、必要であればお詫びをして、関係をフラットな状態に持っていかなければ、怯え過ぎた誰かが暴発しないとも限りません。現に先程もうちの者が失礼したようですし」
艮のことはラファエルも見ていた。あの程度の輩であれば心配することは無いが、目の前の男は油断ならない。ミトラ教徒も幾人も犠牲になってきた過去がある。
「それはお前らの都合だろう。被害者たるキョウヤの知った事ではない」
「それはそうです。しかし私にも立場と責任があるもので。それに、協力することで話が丸く収まるなら、お互いその方がいいでしょう?」
「結果として、誰かが暴発した場合、星道会はこの世から消滅することになるだろうな」
ラファエルは確信を込めて断言する。
杏弥は今、ギリギリの所で最後の一線を超えまいと踏みとどまっている。
何かのきっかけがあれば、あっさりと超えるだろう。
『仕方が無かったって奴だ』
そう、辛そうに呟いて、自分を押し殺して、踏み越えるに決まっているのだ。
結果的に、守りたかった日常が壊れるとしても。
もう二度と、愛する家族と心から笑えあえなくなると分かっていても。
それでも、家族を守ることを優先して、例え世界を敵に回してでも戦うだろう。
短い間の会話だったが、ラファエルは杏弥をそう評価していた。
「まあまあ、ラファエルさん。落ち着いてください。一昨日きやがれという事であれば、別に私も無理を通すつもりはありません。顔も見たくないという事であれば二度と近付かないことをお約束しましょう。しかし、その交渉をするのは貴方ではありません。あり得ません。分かるでしょう?
そもそもメンツの問題でこのような事態になったのですよ? ミトラ教の貴方に門前で言われたから帰りました、なんて出来るわけがないでしょう。逆の立場で考えて下さいよ」
その理屈自体はラファエルも理解できる。
だからと言って、杏弥と会わせるのは友人として認め難かった。
乾は取り付く島もないラファエルを見てやれやれと肩を竦める。
「この場で実行排除するのは更に心象を悪くするでしょうし、困りましたね」
どうしたものかと乾がため息を吐いていると、上の方から声が掛かる。
「俺からお前らと話をすることは無い。帰ってくれ」
「おお、よかった。ご当人にお話できるのが一番です」
二階の窓から杏弥が顔を出して声を掛けると、乾はあからさまに喜色を見せた。
「はじめまして、星道会の乾と申します。この度は凍野様に大変なご迷惑とご苦労とご心労をお掛けしましたこと、組織を代表して謝罪させていただきます。どうか、平に、平にご容赦のほどを!」
その場でジャンピング土下座を決める乾。その姿は華麗ですらあり、思わず感心したくなるほど見事なものであった。
「……いや、謝罪するのは勝手だが、許すつもりはそもそもないぞ。別に謝罪も詫びも求めてないしな。二度と絡んでくるな。こちらから言いたいのはそれだけだ。後、兌とさっき来た艮とか言う奴引き取ってくれ」
そう言って、竜の髭でふん縛った二人を二階の窓から突き落とす。
「そんなぁ、ご主人様」
「くそ、なんだこれ、全然ほどけねぇ」
二階から突き落とされても特にどこも痛めた様子もない二人。
乾は素早く二人を縛った髭を掴むと、ずるずると引きずって家から離れる。
「お怒りはご尤もでございます。今後星道会から凍野様への干渉は厳に慎ませて頂きます。詫びのつもりではありませんが、先の都内での騒動の件に関してはこちらで揉み消させて頂きましたので。国籍復帰に付きましても必要であればご用命頂ければ、如何様にもさせて頂きます」
国政への介入など造作もないと言い放つ。
「要らんと言っただろう」
「承知はしておりますが、人生いつ何時どのようなことがあるか分かりません。極東支部にご連絡して頂ければ、即座に対応致します。そんな手段を持っているということを覚えて頂ければと」
「わかったわかった。だからさっさと帰れ。ああ、一つだけ。俺はお前らの謝罪を信じるだけの広い器は持っていないし、今後お前らが人類全てを救うような善行を詰んだところで、やったことを許すことは無い。覆水盆に返らず、だ。そして、次何か些細な事でもあれば――」
「ははーっ! しかと、しかと心に刻み込み、星道会一同に徹底させます。それでは失礼しました!」
人二人を引きずりながら、走り去っていく乾。
それをやれやれと見送った後、ラファエルに向き直る。
「悪いな。手間を掛けた」
「好きでやったことだ。気にしなくていい」
「飯食ってくか?」
「いや、気を使わなくていい。ダンジョン攻略頑張ってくれ」
「ああ、そういや、会ったら聞こうと思ってたんだが……」
五層の状態と、似たようなダンジョンの攻略法について心当たりが無いか訪ねる。
ラファエルは星道会にミトラ教の内情が伝わっていたことに少し驚いていたが、海中ダンジョンの話は知っていた。
「お伽噺レベルの内容だから、真偽については知らないが……」
ラファエルの回答に杏弥は感謝を伝え、喜び勇んでダンジョンへと戻っていったのだった。
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