第39話 国外動静
アメリカ合衆国、ニューヨーク。
住人の憩いの場でもあるセントラルパークは、米軍によるダンジョン攻略の作戦があるということで、一部が通行規制されていた。
遠巻きに眺める者達もいるが、暫く見るとあまり動きも無いので飽きて去って行ってしまう。
外にいるのは監視員と、ダンジョンから伸びた管をバキュームカーに接続する作業者だけだ。
暫くするとバキュームカーが発進し、別のバキュームカーが位置につく。永遠それを繰り返しているだけだ。
遠巻きに作戦を眺めているミシェル。
日本に残っていたラファエルから生きていた杏弥と接触したという報告があったのが一週間ほど前。この攻略不可能なダンジョンの話をすると、水を抜けばいいとアドバイスされたらしい。
単純な発想ではあったが、抜くと言ってもとてつもない量の水である。
隣にあるタートル池に抜けば手っ取り早いが、ダンジョン内の水がまともな水であるかもよくわからない。その気になればそう遠い距離でもない海まで流すことも可能ではあったが、生態系への影響も分からないことから、抜いた水をどこかで隔離する方針を取った。
それらの準備が整って、漸く実施に漕ぎ着けたところである。
正直手詰まりであったため、何でもいいからやってみるかという精神ではあった。
まずは水位が下がるのかという問題があった。
常時数十台のバキュームカーが吸引を行っており、ダンジョンの入口はホースで半分ほど埋まっている。時間当たりの排水量から計算すると完全に抜ききろうと思えば二週間前後はかかる見込みだが、2、3日も様子を見れば効果があるかは分かるだろう。
その間に誰かがもっと効率のいい排水方法を考えるかもしれない。
ダンジョン探索以外はからっきしのミシェルはただ見ているしかないし、これが攻略? というもやっとした思いもある。
杏弥からは注意点として、常時通路内に人を置くように言われている。ミシェルも承知していることだが、全ての人員が引き上げてしまうと、内部がリセットされてしまうからだ。折角抜いた分がやり直しになってしまう。
「……これからの時代のスタンダードになるのかしら」
ダンジョン自体が世界的にオープンになってしまった以上、ミトラ教もこれまで通りとはいかない。封印して回ることよりも、むしろ利用して人類のダンジョンへの適応を支援するべきだという方針に転換している。
ダンジョン乱立の兆候が見られ出した辺りから、少しずつ情報を開示して欧米の各国と関係を築いてきた。どこかの国が偏って力を付け過ぎないように。パワーバランスを取りながら微妙な舵取りを続けてきたのだ。
しかしそれも、このダンジョン攻略が上手くいかなければ水泡に帰す。
米国が壊滅的な被害を受けた場合、その影響がどこまで広がるかは想定できない。ただ、色々なバランスが壊滅的に崩れ、世界中がカオスの只中に陥ることだけは確かだろう。
そもそも氾濫で出てくる敵性体の規模によっては人類が滅びる可能性もある。
「辛気臭い顔をしとるの、若いもんが」
声の方に視線を向けると、長いピンクの髪をツインテールにした少女、いやさ幼女が棒付きのキャンディを舐めていた。外見から若いのはどう見てもピンク髪の幼女の方であるが、ミシェルはそれにはツッコまない。むしろ……
「貴女に比べて若くない人は世界中何処を探してもいないじゃないですか。私ももう、若いと言われるような歳ではありませんよ、ジブリール」
「たかが数百歳など、卵の殻も取れないひよっこじゃよ」
にべもない幼女にミシェルは肩を竦める。
「それで、何かありましたか?」
「何もないから暇なんじゃ。あんな管だらけになった場所にずっとおるなど発狂するわ」
「敵性体に動きは?」
「無いな。水位は減っているようじゃが、動く様子はない。預言者殿のいう通りになりそうじゃ」
まだ目に見えて水位がどうなったかは分からないはずだが、ジブリールはそれを把握しているらしい。
「類似の事例が無かったと言えばそれまでですが、こんな攻略法があったとは」
「あまり褒められたやり方ではないがのぅ。ダンジョンを何だと思っとるのやら」
「彼にとってはただの厄介事というだけでしょう。今は、私達にとっても」
「困難であればあるほど、研鑽には向くのじゃが、世界が滅んではそれも出来んからな。背に腹は変えられんか」
「或いは、遥か昔からこの状況を予想出来ていたはずなのに、上手く対処の出来ない我々の研鑽不足でしょうか」
「それについては否定のしようもないの。だが、顕在化していない脅威に備えるのは難しい。人とは難儀なものよ」
「後悔先に立たず、ですね」
今更言い訳したところでどうなるものでもない。その時その時で一生懸命ではあったはずだ。しかし、結果としてそれでは足りなかったというだけの話で。
何百年と生きようと、ままならぬものだ。
ミシェルは忸怩たる思いで、ただ作業を見守るのだった。
◇◇◇◆◆◆
ヒマラヤ山脈の北方。
チベット自治区と呼ばれる地域に星道会の本部は存在している。
誰も人が寄り付かないような山間部の洞穴の奥。
歴史から隠れて有史以前から連綿と続いてきた秘密結社の本拠地。
内部は山体がくり抜かれた巨大な空間が広がっており、小さな街のようになっていた。外界との交流を行わず、ダンジョン産の資源によって完全な自給自足が成立していた。
星道会の設立の動機となった、ダンジョン。シャンバラと名付けられたその高難易度ダンジョンは、十層までは比較的に敵も弱く、また様々な物資が調達できる。
衣食住に関わるものは元より、稀少ながら万病を治す薬や寿命を延ばす秘薬までもが産出され、古くは桃源郷とも呼ばれた場所である。
この環境を利用して、星道会は世俗から独立して修練に励み、また一部の力があるものは新たな修行場所を確保するために外征し、勢力を拡大してきた。
その街の中心にある十二階層の一際大きな建築物こそが、星道会の本拠地である。
最高幹部しか入れない最上階の円卓の間。
中には4名の姿があった。
「兌がやられたらしいな」
見た目三十代前半くらいに見える、黒の長髪の男が口を開く。
「極東支部も襲撃されたそうね。支部長から泣きつかれたわ」
五十代のおばちゃんといった感じの女がやだやだと手を振る。
「艮(げん)が勝手に飛び出してったけど?」
露出の多い恰好をしていた二十代前半くらいの女が、爪の手入れをしながら心底どうでも良さそうに呟く。
「兌に惚れてっからなー。震(じぇん)、止めなくてよかったのか?」
同じく二十代前半くらいに見える、真っ赤なモヒカンヘアに顔のあちこちにピアスをした男が、長髪の男に問いかける。
「艮如きじゃどうにも出来まい。大体兌にどうにか出来ない相手を、艮でどうにか出来るわけがない。死なれるのは少々痛手ではあるが、止めようとしてこちらに被害が出る方が困る。既に乾(ちえん)が日本入りしてるんだから、止めるなりなんなりやってくれるだろうさ」
他人任せにな言動をしながら、円卓の中央に映し出された映像を見ている。
極東支部の横に開けられた巨大な孔を空撮したものだ。
「坤(くうぇん)。あんたなら同じこと出来るか?」
震がおばちゃんに向けていうが、坤と呼ばれたおばちゃんは首を振る。
「冗談をお言いで無いよ。人の所業ではないわ」
「初代の坤は一晩で、ここの洞穴を掘りぬいたらしいじゃないか?」
「昔の話は知らないわよ。号は継承しても記憶を継いでるわけじゃないのは、皆一緒でしょ? そもそも、レベルが200を超えていたっていう超越者と一緒にされちゃ困るわね」
呆れたように言われて、それもそうかと頷く震。
「乾の判断は当面敵対はしないという事のようだけど、彼は許してくれるかな?」
「俺なら許さない自信がある」
誰にともなく口にした言葉に、モヒカンの男が半笑いで答えた。
「極東支部で死者は出ていないそうだ。彼の善性に期待することにしよう。ところで、巽(しゅいん)の行方を誰か知らないか」
星道会の本部は今の所平穏である。
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