第37話 南国気分




 燦々と降り注ぐ陽の光。

 白い砂浜。

 そよぐ風。

 揺れるヤシっぽい木。

 潮の香り。

 打ち寄せる波。

 見渡す限りの水平線。


 南国ツアーのチラシに掲載されてそうな、テンプレ的な光景が目の前にある。


 別にダンジョンを放置して南国旅行に来たわけではない。

 全部終わったら慰労のためにそういうのも良いが、俺も栗花もアウトドア派ではないので、どうなんだろう。

 まあ、終わった後に考えるか。


「ふふ、こんなもんどうしろと」

 背後には階層間通路。


 四層のボスを瞬殺して降りてきた先に広がっていたのがこの光景である。

 ダンジョンの中でさえなかったら、気分転換にはよさそうだが、踏破すべき対象としては最悪に近い。


 陸地と言えるのは、外周百メートルも無いこの場所だけ。

 単純に階層間の出入口を設置するためだけの島だろう。


 五層の本質は右も左も無い、果てしなく広がるこの大海原である。


「……どこに向かえばいいかの検討もつかないぞ。広さも果てしなさそうだし」

 あの太陽はどこの星系の恒星なのだろう。

 それともダンジョンという空間内のギミックの一つに過ぎないのか。


 時折遠くで尋常じゃないサイズの生物が飛び跳ねている。

 この階層の敵性体だろうか。


 それにしても、海の中かぁ。泳者のスキルがあるから水中行動自体は出来なくはないが、多少泳ぎが上手くなった程度で海棲生物とやりあえるだろうか? いや無理だろ。


「わお。これは、ご主人様とハネムーン?」

 気絶から目覚めたのか、兌が入ってきた。


「兌、一応聞くが、こういうダンジョンって知ってるか?」

「伝説に残ってるくらい。ミトラ教の本拠のダンジョンの80階層以降にあったとか、なかったとか」

「なんで敵対組織のダンジョンの情報があるんだ?」


「八星会の前身はミトラ教の四大使徒の一人の裏切者。任務で攻略したダンジョンを閉鎖せずに私物化して、新たな組織を立ち上げたのが最初。だから、ミトラ教の内情もある程度伝わってる」

「……まあ、長い歴史ならそう言う事もあるか」

 ラファエルからは聞いてないが、知らなかったのか言いたく無かったのか。


「ご主人様という存在が出現した以上、既存の組織に未来はない。オワコン。世界の中心はご主人様になる」

「やめろ。小市民が世界を背負えるか」


「別に背負わなくてもいい。ご主人様は自由。ただ、勝手に状況がそうなっていくだけ」

 まるで予言者のような言動を見せる兌。俺としては出来るだけ責任とか、面倒事は他人に押し付けて、世界の隅っこで平穏を享受したいんだが。


「はぁ。その話は終わりだ。それで、ミトラ教の本拠ダンジョンっていうんだから、誰か攻略し終わってるんだろ? どうやって攻略したか伝わってないのか?」


「攻略は太陽神ミトラスが果たした。正確には攻略したから太陽神になった? 正確な年代も分からないほど遥か昔のことで、攻略法は星道会までは伝わってないし、有史以降では誰も攻略者がいないはず。八星会の祖となった四大使徒の一人が確認できる最大深度到達者で32階層までだったと言われているけど」


「情報は無しか」

 ラファエルに聞いたら何か情報があるだろうか。結局は別のダンジョンなので、役に立つかも分からないが。


 ま、取り敢えずは地道に調査するしかないな。




 ◇◇◇◆◆◆




 10/24。

 ダンジョン内では本体が五層攻略に取り掛かっている。聞いている分には大分手間取りそうだ。

 残り31日。五行になぞらえたダンジョン構成から考えれば、最後の階層でもおかしくはないが、その保証があるわけでもない。出来るだけ早く取っ掛かりが掴めればいいのだが。


 それはそれとして、ダンジョン外でも少しばかり面倒がある。

 原因は自分にある気もするので、自業自得と言えばそうなのだが。


 朝からアポも無しに樋口さんが殴りこんできた。

 実際は殴りこんだというわけではないのだが、そんな勢いであった。


 どうどうとお茶を出して落ち着かせながら話を聞く。

 要約すれば、何勝手に動いてるんですか、という事だ。


「誘拐事件の方は警察が捜査を勧めてましたし、情報を流した議員についても天沢議員の方から働きかけをしている最中だったのに、あんな大事件を起こされては庇いきれません!」

 いつも冷静な側面しか見てなかったので、食ってかかられるのも新鮮な感じだ。


「暴力団事務所に殴り込みとか一体何を考えてるんですか。まだ警察は凍野さんの存在にまでは気付いてないでしょうが、脅しをかけた議員の方は公安や公調にまで話を回して大事にしようとしてます。事が事だけに内調まで出張ってきそうという話もありますし、自衛隊ではそのあたりには介入できないんですよ」

 言いたいことは分かる。


 一般人には基本的に被害を及ばないようにはしたし、殺しをしたわけでもない。証拠は一切残していないし、直接的に俺の犯行と結びつけるのは今の法律では不可能だ。それでも、危険性を認知させるには十分な事だったろう。


「凍野さん。危険人物として国家に認定されてしまえば、元々考えていたシナリオが使えなくなります。国家に敵対する可能性がある人物と先に広まってしまえば、国籍を復帰した後でも取引は行えなくなるでしょう。どうして、こんな早まった真似を」


 樋口さんは善良な人間だと思う。

 怒っているのも、自分が苦労したことを水の泡にされるという思いだけでなく、こちらの心配もあるのだろう。


「樋口さんのお怒りはご尤もです。ですが、状況が変わりました。私の目的は終始、自分の家庭を守ることです。妻と子供との日常を守る、その一点のみです。ダンジョンによる災害を食い止めたいというのも、日常を継続するためには、この家のダンジョンだけでなく、国家や社会が平穏でなければならないと考えていたからです。


しかし、先日家族に累が及ぶ事態になってしまい、その夜には直接刺客が送られてくるという顛末になりました。樋口さん方自衛隊の皆さんを糾弾したいわけではありませんが、事実として、貴方がたは私の家族を守れなかった。私の事だけであれば、織り込み済みだったので良かったのですが、家族に危害が加えられた以上、私には現状を継続するという選択肢はありません。


自衛隊として市街地で武力を行使できるわけではないという事情は分かっていますし、出来る範囲でご協力頂いていたという事に関しては感謝しています。しかし、現実に家族を守れないのであれば意味がありません。そして、ご相談したところで打開策があるとも思えませんでした」


 辛辣とも言える返答に、樋口さんも言葉に詰まる。縦割りの組織の中で可能な範囲で、出来るだけの事をしてくれているとは思う。だが、それでは足りなかった。良い悪いではなく、体制の限界だ。


「桃を救ってくれたのは米国の使者でした。樋口さんはご存じでしたか? ダンジョンは古来から存在しており、それを管理する組織が歴史の裏側に存在しているそうですよ。彼はその組織の人間で、現在は米国に協力しているとのことです」

「……いえ、初耳です」


「話の真偽は兎も角、自力でレベル100台まで上げられる組織が存在しているのは事実なようです。ダンジョンに関する知識や経験は相当なものでしょう。そして、私や家族を狙っていたのは、その米国に協力している組織とは別の、ダンジョンに関わる組織のようです。


まあ、どこまで信じたものかは分かりませんが、所謂秘密結社とか、そんな感じの国家という枠組みの外にいるようなアウトローな連中です。存在を認知しているかも怪しい日本国政府の後ろ盾を得たところで、抑止力にはなり得ない状況だったんです」


 国に庇ってほしくとも、国では制御できない相手。没交渉、なんなら逆に国を動かす影響力すら有している。


「申し訳ないですがそういう事情で頼るわけにも行かなかったんです。もっと向こうがゆっくりと構える連中なら良かったんですが、どうにも行動が早いようで。全ての状況が整うまで待っていては、家族が先にいなくなってしまいそうだったもので」


 それでは第一の目的が果たされない。

 俺と樋口さん、自衛隊では目的が違うのだ。


 自衛隊は俺の知識を得て、国民を守るのが目的だ。俺に協力するのはその手段。家族を守るというのもつまりは手段でしかない。

 しかし、俺にとってはその手段こそが目的だ。逆に自衛隊に協力するのが手段である。


 似たような目的と手段で、同じ方向を見ているつもりでも、達成する力がなければ関係は破綻するものだ。

 この場合悪いのはなんだったのだろうか。


 まあ、下らないメンツを守るために襲い掛かってくる連中が一番悪いのは間違いないが。


「……そう、でしたか」

 樋口さんにしてみれば、お前らが弱くて頼りないのが悪いと言われたわけで、完全に意気消沈してしまった。自衛隊員としての存在意義に関わる問題だろう。


「事情も知らずに一方的に咎めるような事を申し上げてすみませんでした」

「いえ、謝罪の必要はないですよ。やらかしたのは事実ですし。ご迷惑をお掛けしている自覚もありますので」


 お互い立場も事情も違う以上、すれ違う場面が出てくるのは必然だった。

 だが、同時に互いに悪意や敵意を抱いているわけでもない。


「これから、どうされるつもりですか? その、秘密結社のようなものとの関係は」

「いずれにせよ、うちのダンジョンを攻略するのが第一です。終わるまでは家族共々引き籠る予定です。子供たちの心のケアも必要ですし。騒ぎの件は面倒になりそうなら自衛隊は引き上げても構いません。事情はどうあれ先に信頼関係を崩したのはこちらですから」


「色々な意味で監視はこれまで通り継続しますが。その、大丈夫ですか? 警察や公安の介入となると、自衛隊からは口は挟めません」

「まあ、自分で蒔いた種ですから。とはいえ、死んだ人間の何を調べるというのか興味もありますが」

 司法解剖までして死亡診断を出しているのだ。死んでいる人間が生き返ってテロ行為を行ったとでも言い張るつもりだろうか。


「令状を持って踏み込んでくるかもしれませんが」

「構いませんよ。ああ、自衛隊からダンジョンに入った場合の忠告くらいはしておいて貰えると助かります。勝手に入って即死されたことに文句言われても困りますから」


「自信満々ですけど、対応策があるんですか?」

「罪や証拠をでっち上げられたら困りますが、正当な捜査をされる分には問題ないですよ」

 いよいよとなれば逃げる。兌もいることだし、家族全員に経験値を振って隠密を共有すれば全員透明人間状態である。スキル共有は自分のスキルを対象に共有するスキルだが、共有自体を共有出来るので相手が協力的なら実質無制限にスキルをやり取りできる。


「まあ、出来れば落ち着いて攻略を続けたいので、そっとしておいてくれることを祈ってますよ。少なくともダンジョン攻略が終わらなくて困るのは私だけではないはずですし」

 そう言って、ダンジョン内のデータが色々と入ったSDカードを樋口さんの前に置く。


「お偉いさん向けのプレゼンというか、うちのダンジョンのヤバさの内容が分かる資料です。一部映像も含まれます。出来ればそれを有効活用していただけると」

「山路に提出しておきます。その、攻略の方は?」


「あー、あははは、多分最終盤までは来ているとは思いますよ。絶対に攻略するとはお約束できませんが、可能な限り努力はします」

「どのみち、凍野さんに無理なら無理でしょうが」

 死亡を前提としたダンジョンに自衛隊を送り込むことは出来ない。


 未だ、その方針は変わっていないらしい。無理もないが、それでは何時まで経っても攻略が進むまい。


「国内の他のダンジョンは私どもにお任せ下さい。おかげさまで、攻略スピードが上がって何とか、ケース【C】以上の氾濫は食い止められそうです」

 行政による空き家などの調査も進んでいるようで、度々ニュースなどに取り上げられたりしている。


「それは、幸いでした」

 骨を折った甲斐があるというものである。


「凍野さん。あなたは既に国家を救った英雄と称されて然るべき功績を上げています。その点、自衛隊一同は疑っておりません。本当に感謝しています」

「いえいえ。たまたま、そう、たまたま、そういう役回りだったんでしょう」

 預言者というロール。何か預言したわけでもないが、どこかの誰かが俺に押し付けた役割りだったのだろうと思う。迷惑な話である。


「それでも、その役回りがあなたで良かったと、私は心から思っています。ありがとうございました」

「それぞれの現場で血と汗を流す自衛隊という組織があればこそですよ。私一人で全てのダンジョンをまわれるワケでもなく、その辺の一般人のレベルを無作為に上げるわけにも行かないんですから」


 初めから組織だって動いていたからこそ、そこに手助けをすることで状況が改善できたのだ。

 俺だけでは駄目だったし、自衛隊だけでも駄目だった。そう言う事だろう。


「ご武運をお祈りしています。それと、なにかご協力が必要なことがあれば、いつでも連絡を」

「ええ、お願いすることがあれば、頼りたいと思います」

 主に五層攻略で、今度こそ人海戦術が必要となったときに。


 殴り込みに近い形で始まった、樋口さんとの面談は、こうしてお互いの健闘を讃えあう形で、穏便に終了したのだった。



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