第25話 愛別離苦




 凍野杏弥の暗殺のニュースは、瞬く間に世界中のダンジョン関係者の間を駆け巡った。

 突如ランキング最上位に現れた謎の人物の死去。


 米国が接触したことを起因に、レベリングの秘密が流出することを恐れた敵対国家のいずれかが暗殺を実行したと目される。


 日本国内で日曜日の昼日中に銃撃による死亡。

 表向きは暴力団の抗争に巻き込まれ、人違いで殺されたこととなった。


 外聞の悪い死に方ということもあり、葬儀は親族だけでしめやかに行われた。

 葬儀の間中、泣きわめく子供の声が絶えることはなかった。




 ◇◇◇◆◆◆




「失態だったね、ミシェル君。君の迂闊な行動により、金の山よりも価値のある情報が失われた。何か弁明があるかね」

 米国大使館で、ミシェルは駐在大使に詰められていた。

 凍野杏弥に関しては外交ラインを通じて情報をやりとりしており、頭を飛び越えて勝手な真似をされた形になった大使は、大層立腹だった。


 自分の仕事を邪魔された挙句、得るべきものが無くなったのだからそれも当然だろう。しかも、抗議は大使の元にやってくるのだ。いくら両国間の力関係が明確とはいえ、他国内で勝手をしてその影響で国民が死んだとなれば日本国政府もタダでは引き下がれない。


「私は命令を実行しただけに過ぎません。大使の心労はお察しします」

 不機嫌を前面に向けられてもミシェルはどこ吹く風だ。


「ステイツの意思は、ミスター凍野の持つ情報が敵国に渡る前に迅速に確保する事でした。大使のやり方では先に敵国に身柄を抑えられていたでしょう。ミスター凍野にとっては悲劇でしたが、情報が渡らなかったのであれば目的の半分は達したと見るべきかと」


「貴様、肝心の情報が得られなければ、例のダンジョンの攻略に間に合わんかもしれんのだぞ」

 大使の言葉に、ミシェルは眉を顰める。


「大使、迂闊な事をおっしゃってはいけません。例え大使館内であろうとも、どこに耳目があるか分からないのですから。米軍が総力を上げて攻略出来ないダンジョンがある、などと広まろうものなら、どこから敵国に付け入られるか」

「ぐ、分かっている! 兎に角、上を通してお前らミトラ教には正式に抗議してやるからな!」

「ご随意に」


 どこ吹く風と受け流し、ミシェルは大使館を出る。

 送迎用のリムジンに乗り込むと、小さくため息を吐いた。


「……こちらとしても計算外なのよ。彼が本当に預言者であったとすれば、人類は標を失ってしまったかもしれない。短絡的な勢力争いの愚によって、人類は亡びてしまうというのかしら」

 忸怩たる思いがその顔に浮かぶ。


「ミシェル。気に病むな。全てはなるようにしかならん」

「貴方はいつもそれね、ラファエル。そう考えて反省しないとまた繰り返すのよ」

「人事は尽くしていると言っている。ああすれば良かったなど、何時までも引きずるものではない」

「分かっているわ。でも、私たちはこれからどうすれば良いんでしょうね?」


「人類は簡単亡びはしない。俺は、そう信じている」

 真っ直ぐな言葉にミシェルは苦笑を零す。


「私も、それくらい楽観的になりたいものだわ」

 端正な顔を悩まし気に歪めながら、少しだけ気の晴れるのを感じていた。




 ◇◇◇◆◆◆




「天沢君。例の彼の話、残念だったね」

 国会中に楽し気に話しかけられ、天沢は隣の議員に目をやる。


 同じ政権与党の議員ではあるが、現在勝ち組の派閥に属している男は、ニヤニヤと笑みを隠そうともしない。


「不謹慎ですよ、加戸先生」

 当選回数二桁に上る古参の議員で、地元に強固な基盤を築いている。議員になるための能力は立派な人物であるが、国政に向いているかと言われると首を傾げざるを得ない、というのが天沢の評である。


 ――まあ、そんな議員は吐いて捨てるほどいるが。


 国家国民の為に奉仕する精神を持った議員など最早少数派。

 与野党問わず、足の引っ張り合いが議員の本分だと思っている輩も少なくない。


 実際、その環境の中で大志を実現する能力こそが、本来議員に必要とされるものだと天沢は考えている。


 だから、隣でぶひぶひ言いながら、他人の不幸を喜ぶ下種も、嫌悪感はあるが含むべきものと認知している。


 時に利用し、時に踏み台にするべき障害物として。


「たかが企業に使われるだけのサラリーマンが、分不相応な欲を掻くから痛い目を見る。何やら米国と接触しようとしていたとか。我が国と天秤に掛けて自分の価値を釣り上げようとでも考えていたんですかな。国を裏切るような真似をする国賊には相応の末路でしょう」

 吐き捨てるように言い放つ加戸に、天沢はやれやれと肩を竦める。


「加戸先生。あまり公の場でそういうことを言わない方が良いですよ。中継されてるんですから。マスコミに聞かれたら要らぬ記事を書かれることになりますよ」

「はん、あのハエ共は節操がないからな。愛国の為の発言と言えど、直ぐにおもちゃにしよる」


 マスコミに愛国心が無いのはその通りだとは思うが、果たして加戸にそれがあるものか。愛しているとして、それは自分に益を齎す国ということであって、自分の利益にならない国であれば見捨てるに違いない。

 少なくとも国を思えば凍野杏弥を失ったことを嘆くべきであるし、保護できる体勢を整えられなかった政治の動きの遅さを呪うべきですらある。


 9/30に面と向かって会話したことで、杏弥の人となりや思想を理解した天沢には、こんな議員に扱き降ろされる杏弥が気の毒でならなかった。

 だからと言って、杏弥の為にこの豚を諫めたところでなんの慰めにもなるまい。


 この手の輩には何を言っても無駄だ。大体、還暦を過ぎて今更人格が矯正されるわけもなく、その労力を割く意味がない。


 天沢は現実主義である。

 杏弥の事を思えば、やるべきことは糾弾ではない。

 然るべきときに、キッチリと始末を付けることを心に誓うのであった。




 ◇◇◇◆◆◆




 陸自東北方面隊総監部。

 総監の執務室で山路は剥げた頭を撫でながら、大きなため息を吐いていた。


「……嫌な予感は当たるというが、本当に暗殺なんて事件が起きるなんてね。思った以上にこの国は脆いなぁ」

 市街地の日常を守るのは自衛隊の仕事ではない。

 基本的には警察の仕事であり、表立って自衛隊から警護を付けるわけにもいかないし、不審人物がいるからと言って逮捕権を有しているわけでもない。


 SPをつけるなりなんなりと言っても、まだそこまで手配が間に合っていなかった。そもそも、凍野杏弥という人物の重要度が、まだ政権中枢にも認知されていない状態では、具体的に動くことも出来なかった。


 米国なら恐らくランキング上位に入った時点で、身柄の保護に動いていたのではないだろうか。

 平和ボケした日本ではそれが出来なかった。


 トップが問題点を認識し、それなりの方策を行使できるのであれば可能性もあったが、国ぐるみでダンジョンに対して無知で無関心すぎた。


 今まで臭いものに蓋をして、ロクな調査もせずに対処療法を繰り返し、問題を先送りにしてきたツケ。肝心な時に決断を下すべき判断の材料がまるでないという有様。事なかれ主義である日本政府の体質の問題だろう。


「自衛隊が政府批判なんて問題だし、表には出せないけれど、これではあまりにね」

 対処に自衛隊が動いているとはいえ、意見を奏上するところまでしか動くことは出来ない。文民統制の弊害と言えば弊害である。自衛隊は手段を選ぶことは出来ても、目的を自発的に設定することはできない。仕方のない事ではあるが、やりきれない思いは消えてはくれない。


 執務室の部屋をノックする音が響き、「どうぞ」と声を掛けると麦が入ってくる。


「失礼します」

「樋口三佐。その後どうだったかな」

 自衛隊を代表して麦に凍野邸を訪れて貰っていたのだ。


「……はい。子供たちがあまりに可哀想で、正直見てられませんでした」

「そりゃあ、そうだよ。まだまだ親に甘えたい時分だ。急に死んだなんて言われたら」

「そのせいで、予定がずれるかもしれないとの事です」


「仕方がないだろうさ。人の手配は?」

「そちらは予定通り。監視も倍に増やしています」


「いち民間人に犠牲を強いて、自衛隊が出来ることは見守ることだけ。歯がゆいったらないないな」

「同感です」


「君はまだダンジョンに潜れるじゃないか。さすがに僕は立場上無理だしね。ああ、分かってるよ。果たすべき役割りが違うってことはね。自分の仕事はちゃんとやるさ。それでも現場で直に人を守ってる実感というのは何ものにも代えがたいからね」

「おじさんは、もう現場で十分人を救いましたよ。その役目は後進に譲って下さい」

 救われた本人にプライベートの口調で言われ、ははは、と乾いた笑いを零す山路。


「ここまでは最悪よりのパターンだが予定の範囲内だ。以後も予定通りに。しかし樋口三佐、君は上官への口調がなってないな。懲罰として腕立て30回やった後任務に戻り給え」

「はっ、失礼しました」


 その場でさっさと腕立てした後部屋を出ていく麦を見て、山路はまたぺちぺちと頭を叩いた。




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