第22話 愁苦辛勤




 9/30。

 本日は土曜日で会社は休み。

 樋口さんの上司と約束の日である。


 自衛隊ということで、相手はおっさんであろう。

 下手に女性よりはおっさんの方がいい。特段女好きでも無いし、ビジネス的な話をするのであれば、おっさんの方が話しやすいというものだ。


 約束の場所は市内の飲食店。

 折角の休みなのにパパは仕事とあって、子供たちはぶーたれていた。後で埋め合わせねばなるまい。


 また飲み会? とか、パパだけ美味しいもの食べてずるい、とか言われるのだ。


 栗花も揃って三人で。


「別に疑ってないけど浮気じゃないよね?」

 と、軽く釘を刺された。

 疑ってないなら聞くなよ。どうせ相手はおっさんだよ、とは思う。

 思うだけで口に出さないのが夫婦円満の秘訣だと思う。


 帰りに何か土産を買わないとなー。


 久方ぶりに袖を通したスーツ姿。

 ダンジョン通いで多少痩せたのか若干大きい。

 今更買い替えるでもないし、そもそもあまりスーツを着る機会も無いので、取り敢えずは気付かなかったことにしよう。


 指定の場所までタクシーで来ると、入口で樋口さんが待っていた。

 こちらを見ると近付いてきて、運転手にタクシーチケットを渡している。


 別に家から歩いて十分程度の距離なので、歩いてきても良かったのだが、交通費を立て替えられるというので、わざわざタクシーで来たのだ。ごめんよ日本国民。君達の税金をこんな事に使って。

 それにしても経費で落ちるのかこの会食、などと益体も無い事を考える。


「お待たせしました」

「いえ、わざわざお越しいただいてすみません。どうぞ、中へ」


 樋口さんに導かれるまま、料亭の中に入る。

 会社の接待でも使わないことはないが、基本的に役員クラスが使うランクの店である。

 和服姿の店員さん達にいらっしゃいませと言われながら奥に進む。


 一番奥の間で、おっさんが二人席にも付かず立って待っていた。


「やあやあ、ようこそ御出でくださいました」

 頭部の剥げ上がったスーツ姿のおっさんがにこにこ笑みを浮かべながら声を掛けてくる。


「まあ、まずは座りましょう。樋口君。君も座りなさい」

「は、失礼します」

 どうやらこのハゲのおっさんが話を主導するようである。


 全員席に付くと、ハゲのおっさんから自己紹介を始めた。


「まずは何はともあれ自己紹介といきましょうか。僕は山路牛吾といいます。東北方面隊総監の陸将、と言っても一般の方には良く分からないでしょうが」

 確かに自衛隊の編制に詳しいわけではないが、東北方面隊の総監が、東北地方にいる陸自のトップだろうということくらいは分かる。上司と言っていたが、大分上の方の人連れてきたな樋口さん。


「樋口君のことはよく知っているだろうから、後は彼の自己紹介だね」

 もう一人のおっさん。

 年の頃は五十代後半。多分山路さんと同年代くらい。頭部は白く染まってるものの、まだふさふさだという違いはあるが。


 実の所、自己紹介をされるまでも無く顔と名前は存じている。

 天沢 白秋(あまさわ はくしゅう)。

 地元から出ている衆議院議員。政権与党に属し、大臣職にも付いたことのある大物政治家である。最近は派閥の力関係で冷や飯を食ってはいるが、世情が変わればまた表に出てくるだろう。


「天沢です。しがない代議士をしております」

 謙虚も過ぎれば嫌味。ライバル議員が聞けばそんな感想を抱きそうな自己紹介だった。


「はは、彼とは幼馴染でね。凍野氏との話は政治も無関係とはいかないと思って、勝手ながら呼ばせてもらったよ」

 自衛官の偉いさんとは思えない軽い山路の言動。

 勝手に呼ぶなよ。そういうところと接点を作りたくなくて、自衛隊を通したっていうのに。


「恨みがましい目で見ないでくれるかい。土台無理な話だよ、凍野氏。むしろ積極的にコネクションを作った方がいい。出来るだけ大きい後ろ盾が君には必要と思ってのことだ」

 非難の色が表に出ていただろうか。それとも自衛隊の陸将にまでなるような人であれば、顔色の一つくらい伺い知れなければ無理という事だろうか。


「お任せしたのは私の方ですから、特に否応はありません。既にご存じと思いますが凍野杏弥です」

「知ってる。さあ、まずは今日の出会いを祝して乾杯といこうじゃないか。いやあ、他人の財布で昼から飲めるなんて最高だね!」

 上機嫌を装う山路だが、別に本気で言ってるわけではないだろう。

 はじめから終始こちらの緊張を解そうとしているのだ。


 それ自体は悪い事ではないが、正直仲良くしたいタイプではない。社会人として上辺くらいは合わせてやるが、仕事感が増すなー。


「あ、私はお酒は遠慮しておきます。お茶頂けますか? 昼間っから飲んで帰ると妻に怒られますので」

「凍野氏の奥さんは、その辺理解ないタイプかい?」

「酔っ払いが嫌いみたいですよ。実の父親の酒癖があまり良くなかったみたいで」

「ああ、なるほど。それは怖いね。家ではあまり飲まないのかな?」


「結婚してから晩酌したことないですね。元々それほど強い方でもないので」

 というか、あまり酒が好きではない。酒がというか、酔っぱらう酩酊感が嫌いと言った方がいいか。現場から夜中に掛かってくるロクでもない電話に寝ぼけ頭で対応しなければならないこともある。その上酔っぱらっていては正常な判断が下せないというのもある。


 飲んでいて楽しくなる人はそれはそれで羨ましい。


 全員に飲み物が運ばれてくる。

 料理は既にそれぞれの前に並んでいるので全てだそうだ。

 あまり他人に聞こえてほしくない会話なので、途中で話の腰を折られるのを避けるためだろう。


 飲み物も追加オーダーしなくていいように、幾つか部屋の脇に置いてあった。

 セルフサービスでどうぞということだろう。


「さて、まずはこの日の出会いに感謝して、乾杯といこう。乾杯」

 それぞれ席が離れているので、グラスを合わせることはせず、頭上に掲げるだけで乾杯を済ます。


 一口お茶を含んで、取り敢えず目の前にある小鉢に箸を付けた。


「食べながらで良いので、幾つか質問に答えてもらえるかな、凍野氏」

「私に答えられる内容でしたら」

「ああ、その前に樋口君の隊のレベル上げありがとう。お陰でようやくケース【D】のダンジョン攻略にも目途が立ちそうだよ」

 山路の言葉に、箸が止まる。


 目途が立つ? たかだかレベル120かそこらで? 人数は違えど、うちのダンジョンじゃ通用するわけもないレベルだが。


「……それは、何よりでしたが」

「そんな低レベルでクリアできるのって顔だね」

 正確に考えていることを読まれる。なんだこの人。エスパーか? どちらかというと何考えてるか分からないと言われることの方が多い仏頂面なのだが。


「ふふ、顔色を伺うのは得意でね。それで出世したようなものさ。逆に聞きたいのだけどね、レベル120台が5人編成で攻略できるダンジョンを、君なら一人で攻略できるかい?」

「わかりかねます、としかお答えしようがありませんね。私は今まで他のダンジョンを見たことも無いですし、他の探索者の攻略方法を見たこともないので」


「出来ない、とは言わないわけだ」

「確証がないというだけで、多分出来るとは思いますけど」

 うちのダンジョンほど悪辣で無ければ、だが。


「ふむふむ。樋口君、凍野氏のレベルは分かるかな?」

「……1と出ています」

「レベル1で攻略できるはずもなし。凍野氏は多分偽装のスキル持ちだと思うのだけど」

「お察しの通りです」


「本当のレベルを聞いてもいいかな?」

「外部からわかるランキングのスキルがあるそうなので、偽装は解きませんけど構いませんか?」

 裏は取らせない旨を告げる。


「そこは信用するさ。まあ、既に400以上であることは分かってることだし、別に幾つであったところで驚きはしないよ」

「999です」

 驚きはしないと言った山路さんは、笑顔のまま固まった。


「……はは、999?」

「ええ。今の所、カンストと言う奴ですかね。これ以上は多分レベルの上限突破するためのスキルか何かが必要になると考えています」

「まだ、上があると?」

 首肯する。


「先日、樋口さんたちに拙宅まで御出で願った際に行った実験で、予定通り999にはなりました。ですが、つい二日前にその上があることの示唆を見つけてしまって。いえ、それ以上に、ああ、もう、本当に」

 ここ二日間の苦悩。


 レベル999に到達したことで得た称号、到達者。その説明文が問題だ。


 "おめでとう。これで初心者を卒業だ。"


 レベル999が初心者?

 経験値が上限に達しなかったことからもしやとは思っていたが、やはり上がある。そう核心させるには十分な文言である。


 半ば裏技のような真似までして上げたレベル999がチュートリアルの名に相応しいとでも?

 いつか考えた懸念。本当にチュートリアルダンジョンがただのチュートリアルに過ぎないのだとしたら。


「凍野氏。何かあったのかい?」

 あったどころではない。

 それ、がいつなのかは分からないが、チュートリアルではないダンジョンが現れるか、地球全体に敵性体が蔓延ることになるというのであるというのであれば、そして、その敵性体のレベルが1000を超えるというならば、今の自衛隊の攻略やレベリングのペースで果たして間に合うのか。


 レベル999が最低条件?

 タイムリミットがいつかは分からないが、それまでに死にたく無い奴はレベルをそこまで上げろとでも?


 この事実に誰か気付いているのだろうか。


 日本はまず無理だ。そしてランキング上位に俺が食い込めたということは、他の国もそこまで到達していないのでは? 高レベル帯のものが全員偽装を覚えているとも思えない。そんな都合の良い話はないと思う。だとすれば、少なくとも大規模な人員にレベリングを行っている国は無いのではないか。


 期限まで数年しかないなら殆ど無理だ。

 数十年単位ならば、いくばくかの希望はあるだろうか。

 出来れば百年以上先の話であって欲しいと思う。


 こうなると、忌々しい事に俺のロールが意味を持って見えてくる。


 【預言者】


 神託のスキルを持ち、神(ゲームマスター)の言葉を伝える者。

 あまり考えたくはないが、このロールを持っている者が他にいないか、いてもごく少数で、殆どダンジョンに関わらずに生きているとすれば、世界の命運を握っているのが俺一人という可能性すらある。


 ああ、吐きそう。


「山路さん。ご質問にはお答えしますし、私が得た情報は全て詳らかにします。その前提で、まずは質問させて欲しいのですが、このダンジョンに関わるあれこれは、人為的なものなのでしょうか?」


「……それは全世界で調査されていることではあるだろうが、今の所わからないとしか言えないね。ダンジョン内の事物がまるでゲームみたいだし。モンスターとしかいいようのない未知の生物、ステータス、ロール、スキルなど、人為的ではないと考える方が不自然ではあるね。


しかし、どうやったらこんな真似ができるのか、というのはまるで分からない。秘匿しているわけではなく、少なくとも自衛隊でも把握していないと断言する」

 山路は視線を天沢に向ける。


「政府も同じ見解ですよ。外務省を通じて他国と情報交換は行っていますが、ダンジョンコピーの件も同盟国から情報提供はありませんでしたし、他国がどういった情報を掴んでいるかは分かりかねますが」

 若干の恨み節が含まれている気がする。


「前触れもなく、突然発生しはじめた、という理解でいいですか?」

「僕が知る限りは」

「政府も予兆のようなものがあったとは把握していない。少なくとも私が要職についていた時期にそんな話はなかった」


 ふむ。しかし、多分あったのではないかと思うのだ。ダンジョンに氾濫迄のカウント機能を付ける輩である。次のステージに移行するのに期限を儲けるのであれば、どこか事前告知、ないしは表示するくらいのことはやっていそうではある。


 しかし、その表示が世界中で一か所だけとなったら、その情報優位性を保つためにそれを見つけた国家は秘匿するのではないだろうか。

 必ずしもそうではないかもしれないが、ありそうな話ではある。


 とはいえ、ここで根掘り葉掘りしても出てくるわけではないだろう。


「では次に、自衛隊、或いは政府で、ロールやスキルについてデータベース化はしているでしょうか」

「自衛隊では隊員のものについてはしているね。効果が判明したものについては順次データを更新してるよ」

「その中に、預言者のロールと、神託のスキルはありますか?」

 問いに、山路さんの視線が樋口さんに向く。


「初耳です。自衛隊員にはいませんし、ネット上の情報にも無かったかと」

 やはり無いか。まあ、そりゃそうだろう。あったら、もう少し攻略が進んでいるはずである。少なくとも特典の達成条件が判明していれば、複数スキル持ちがもっと増えていなければおかしい。


「それが、私のロールと初期スキルです」

 日本国内のダンジョン攻略や組織的なレベリングについては自衛隊に頑張ってもらうしかない。そのために、情報は開示して自衛隊に強くなってもらわなければならない。


 一人ではどうにもならない。自分の家を守るだけなら自分でやるが、それ以上には手が届かない。そして自分の家だけ守ったところで、社会が先に死んでしまえば結局道連れになるしかない。


「神託のスキルは、スキルLvに応じてダンジョンに関わる情報が閲覧できます。Lv.1では、一番初めにダンジョンに入った際に聞こえるノイズのようなもの――私は脳内アナウンスと呼んでいます――が、理解可能になります。樋口さんはおそらく簡易鑑定のスキルを得た時にも聞いてると思います」

 自分のスキルを開示されて驚くと同時に、頷く樋口さん。


「Lv.2でスキルの効果が分かります。ステータスに表示されたスキルをタップするか、見たいと考えれば注釈が表示される感じですね。Lv.3では称号について同様に情報が開示されました。自衛隊に称号持ちはいますか?」

「何名か。主にケース【A】や【B】の攻略を行っている隊で、特定の敵性体ばかりを倒していると○○殺しという称号が得られるのは確認しています」

 俺の持つ竜殺しみたいな奴だろう。特定種族への与ダメが増えるので、有用といえば有用である。


「特定条件で称号が得られるのは私も確認しています。スキルも何らかの困難な条件を達成した際に特典として付与されることが多いです。それで、私がレベル999になった時に得た【到達者】という称号なのですが」

 言葉を一旦切る。


 正直に話したところで、頭から鵜呑みにしてくれるわけではないだろうが、話さなければ何も進まない。


「"おめでとう。これで初心者を卒業だ"。それが、称号の詳細に書かれていた言葉です」

 三者三様に顔色を変える。


 樋口さんは青い顔に。

 山路さんは困惑した顔に。

 天沢さんは渋い表情に。


「最初にダンジョンに入った際、脳内に響いた声は、あのダンジョンがチュートリアルだと告げていました。一層すら攻略できそうもないダンジョンが、ですよ? ダンジョンを作った奴は非常に性格が悪いんだろうなと、ずっと思っていました。


なんとか攻略法を思いついて、レベルをカンストさせたと思ったら、それで漸く初心者卒業と言われたわけです。これが、ダンジョン製作者の悪意でもなんでもなかった場合、本当にあの地獄のようなダンジョンがチュートリアルで、レベル999が初心者と呼べるような何かが、この後に控えているというのであれば、――果たして今のままで人類は生き残れるでしょうか」

 言いたいことは伝わっただろうか。


 無いことの証明は出来ない。

 だから、起こらないとは誰も断言できない。


 だからこそ、「これから起こるであろう何か」の示唆が無かったのかを確認したのだ。

 あれば、対処法の検討も付くかもしれない。


「……凍野さん。貴方のご懸念は理解しました。憂慮するべき自体であることも、個人的には理解は出来ます。ですが、確証の無いものに対して、国は動くことは出来ません。凍野さんの仰ることは、例えば『地上の生物を絶滅させる規模の大噴火』や、『隕石の衝突が近いうちに起こる可能性がある』、と言われているのと同じです。国家として動くには不確定要素が多すぎます」

 天沢の言葉は尤もである。実証可能なダンジョンコピーとは話が違う。

 神託の情報は他人に見せることが出来ない。


 俺という人間を挟んでしか情報の受け渡しが出来ない以上、突飛な情報を頭ごなしに信じることも出来ないだろう。信じたとしても、俺という人間の信用は、国家を動かすにはあまりに小さすぎる。


 いや、いくら信用を築いたとて、信じがたい話かもしれないが。


「わかります。ただ、一人で抱えるにはあまりにも事が大きすぎて、少しばかり吐き出したかったんです。今話したところでただの愚痴でしかないんでしょうが」

 人類という数十億もいる同朋が、全員崖に向けて歩いているような状態である。

 別に全員仲良しというわけでは無いにしろ、見殺しになるような状況は避けたい。


 しかし、不確定な情報を広めて混乱を招いた場合、より一層の犠牲を強いる可能性もある。


「何にしろ、このダンジョンに纏わる何もかもが、人類に性急な変化を促すものです。法律などの制度は後追いに成らざるを得ず、現実とのギャップの狭間で少なくない悲劇が生まれることは、最早確定事項だと政府は考えています。凍野さんが貴重な情報をお持ちだというのは理解できますが、まずは話を進めるためにも貴方の信用度を上げることが必要と考えます」


 天沢さんの値踏みするような視線がこちらを見据える。


「そこで、会社を設立してみる気はありませんか?」

 予想外の発言に、今度は俺の方が呆気に取られるのだった。




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