第18話 属毛離裏




 樋口麦33歳。元第一空挺団所属。女性初の空挺団所属と言う事で、多少なりとニュースに取り上げられたりしたので、自衛隊マニアの間では顔と名前が認知されている。男性顔負けのフィジカルを有しているが、それには事情があった。


 麦が8歳の時に自宅にダンジョンが発生。国内初のダンジョンの出現であった。

 現在自衛隊が採用しているカテゴリで分類すると、ケース【C】相当の危険度。敵性体の平均レベルは42。ボス個体は72。現在であれば、自衛官の銃火器による飽和攻撃で対処できるが、そんなメソッドも当然確立しておらず、また時間経過で氾濫が起こるという事実など知る由もない。


 対処自体は害獣駆除の名目で自衛隊が投入されたが、敢え無く返り討ち。危険性から入口を封印して放置という対応になったのも仕方がないことではあるだろう。しかし、結果的に100日後に氾濫が発生し、麦以外の家族は全員死亡。


 辛うじて両親が庇って逃げだした麦が、近くで監視していた自衛隊に保護された。

 氾濫によって出てきた敵性体は自衛隊の重火器により駆逐されたが、その際に麦のスキル【鼓舞】が発動していたため、麦にも討伐の判定が入り、レベルが23まで上昇することとなったのだった。また、最初に討伐した個体がレベル52以上あったため、ジャイアントキリングによる特典で簡易鑑定を得ている。


 レベルアップによる恩恵により、麦は同世代の子供たちとは一線を画した身体能力を得ることとなった。

 学生自体はその身体能力から、様々なスポーツに勧誘もされたが、自身を一層鍛え上げる半面、公的な大会には一度も出たことはなかった。


 家族の犠牲の上に手に入れた力。

 命を救ってくれた自衛隊への消えることのない感謝と憧憬。

 進路は自然と決まっていたし、手に入れた力を今度は他の誰かを救うために使う。その意志に迷いは無かった。


 だから、陸自で最も過酷と呼ばれる第一空挺団を目指した。

 多くの人を守るために、更なる力を求めて。


 そして昨年、ダンジョンの発生頻度が飛躍的に増加する傾向が見られたことから、各方面隊の下部にD特化隊が組織され、麦は高レベル、稀少スキル持ちということで東北方面D特化隊に配属されたのだった。


 念願が叶ったといういう意識は薄い。

 無論、ダンジョンに関わることは麦の希望ではあったし、組織が出来れば是が非でも配属を願っていただろう。


 しかし、それは同時にダンジョン禍が全世界規模で起きようとしているという、不吉の予兆でもあったのだ。悲劇から一人でも多くの人を救いたい。


 トラウマとでも言うべき焦燥に突き動かされるように、樋口麦は今日もダンジョンを攻略するのだった。




 ◇◇◇◆◆◆




 9/24。

 樋口麦は凍野杏弥という男の事を考える。

 第一印象として特別なものは何も感じなかった。


 何処にでもいる、普通の中年男性である。

 言動からは感情を抑える理性を感じるし、ダンジョンが発生したことについて状況を客観的に把握できる知性も感じた。


 身近にダンジョンが出来たと知れば、興味に駆られて暴走したり、過剰に危機感を抱いてヒステリックに騒ぐ者も多い。


 非日常が突然私的な空間に現れるのだ。

 その恐怖は麦自身が身を持って体験していることでもあり、それ自体を嫌悪することはないが、一つ一つ対応しなくてはならない身の上としては愚痴をこぼしたくなるようなこともある。


 その点凍野杏弥は話が早く、対応しやすい人物であった。


 しかし、そんな見立ても誤りだったかもしれない。


 ダンジョンによるコピー。

 産業構造、経済、政治、世界情勢、ありとあらゆるところに激震が走りかねない由々しき自体だ。


 それそのものの対応は政治の範疇であり、官僚なり政治家なりが判断をする事だとは分かっている。麦は情報を上に上げるだけ。情報に脚色や欠落があってはならない。


 だが、事が事だ。馬鹿正直に上に伝えて良いものかも悩ましい。

 悩んだ挙句、分隊のメンバーには厳重に口止めを命じた上で、頼れる上司に一旦報告という体裁をとる事とした。


 東北方面隊の総監、山路牛吾。

 ダンジョンで得られた情報は、本来であれば情報処理隊の方に上げるべきなのだが、現状あまり情報を拡散したくない。


 この情報に触れる人間は少なくあるべきだ。

 その判断の元、個人的な伝手を使って本来であれば直接意見することなど無いはずの、方面隊のトップとの面会に漕ぎ着けていた。


 内容としては、私的な相談としているため、総監部ではなく個室がある飲食店である。


「若い子にデートに誘われるというのは悪い気はしないね」

 もう何年かで還暦も見える山路は、プライベートということもあって、端から見れば一般人の恰好をしている。


 知らなければこの壮年の男性が全国で三十名もいない将官だとは思わないだろう。気安い感じで個室に入ってきた山路は、先に来て待っていた麦に「や、久しぶり」と手を挙げて挨拶する。


「申し訳ありません、総監。わざわざお呼び立てしてしまって」

「はは、今日はプライベートなんだろう? 昔みたいに山路のおじちゃんで構わないよ。すっかりハゲちゃって見た目はおじちゃんと言うよりおじいちゃんだけどね」

 建前上の話でしかないが、麦が気負わないように敢えて軽い空気を作ろうとしている。剥げた頭をぺちぺちと叩きながらの軽口に、麦も苦笑を浮かべた。


 25年前、麦をダンジョンの氾濫から守った自衛官の中に山路もいて、天涯孤独になった麦をその後も気に掛けてくれた、麦にとって頭が絶対に上がらない上官の一人である。


「さすがに無理ですよ。私ももう33ですよ」

「もうそんなになるかい。僕も歳をとったものだね。それで、今日は結婚の報告とかかな?」

 相手はどこだい? などと茶化す。


「残念ながら、そういう類の報告は当面できそうもありません」

 恋愛にかまけている暇があるなら己を鍛える。そんな青春を送っているうちに三十路も過ぎて、今更恋愛も結婚も考えてはいなかった。


「自分の幸せを望んでも良いとは思うんだけどね。まあ、君の信念にケチは付けないさ。言い過ぎるとセクハラで訴えられる世の中だしね」

「そうしてくれるとありがたいです。それで、お話ですが」


「その前に食事でも楽しもうじゃないか。中々こういった機会も無いしね」

「わかりました」

 運ばれてくるコース料理。ドリンクは二人ともアルコールを含まないもの。酔って主旨を忘れる愚を犯す質では無かった。


 暫し料理を楽しみながら昔話に話を咲かせる。

 幼くして自衛隊を志し、どうすれば入隊できるか聞いてきた時の事。


 防衛大に合格して二人でお祝いをしたこと。

 空挺団に志願して、男共を凌ぐ成績を出して陸自内で話題を浚ったこと。

 山路が総監になった祝いに、麦から時計をプレゼントしたこと。


 食事を終えるころには少しまったりとした空気になっていた。

 食後のデザートとコーヒーを置いて店員が下がった後、麦がその空気を振り払うように居住まいをただした。


「お話とは凍野杏弥氏に関わることです」

「ああ、例の。なんだっけ、ランキング1位になって消えたんだよね。死んでた?」

「いえ、存命です」

「ふむ。となると、レベルを下げる方法か、隠すスキルを得たということかな。確か偽装ってスキルがあればレベルを隠ぺいできるんだよね?」


「はい。ですが、妻のレベルが一時的に上がった事から、レベル自体を調整するスキルを持っている可能性があります」

「それは凄いな。まさか好きなレベルに設定出来るとも思えないし、例えば受け渡しが出来るとかその辺なんだろうけど」


「それで、恐らくはそのスキルで、私と米山一曹の分隊のレベルを上げて貰いました」

「へえ、太っ腹だね。自分のレベルを分け与えてるんだとしたら、自己犠牲と言ってもいいほどだ」

「一気にレベルを上げる手段を持っているからこそ、だとは思います。レベル上げの方法も教えて頂いたので、それは情報処理隊から上がってくると思います」


「いくら上げて貰ったんだい?」

「全員、120以上まで上がっていました」

「は?」

 飄々とした態度で聞いていた山路も、さすがの内容に目を見開く。


「ひゃく、にじゅう? じゃあ、全員例のランキングに乗ってるじゃないか」

「来る前に確認しましたが、1位から6位まで独占です。次点が恐らくはロシア人と思われる63です」

「凍野氏は無いのかい?」

「はい、依然消えたままです。なので、偽装かそれに類するスキルも所持していると見ています」

「はは、一体彼はいくつスキルを所持して、今レベル幾つなんだろうね」


 本格的に自衛隊がダンジョン対応に動き始めてから実質的には半年程ではあるが、最も初期である麦の生家にダンジョンができてからは二十五年である。これまでも様々なアプローチで解析しようという試みはなされてきたが、その年月を嘲笑うかのように凍野杏弥はダンジョンの秘奥を暴こうとしている。


「まあ、他国も同じスキルを有しているなら、馬鹿正直に名前が乗るような真似はしていないだろうし、隠れた戦力はあってしかるべきとは思うがね」

「それは、そう思います」

 麦としても忸怩たる思いはある。


 縦割組織の弊害として、自衛隊は思うような調査が出来ないでいる。日々ダンジョン攻略に追われていて、ダンジョンそのものの解析に手を割けていないというのが現状である。


「しかし、お土産にしても随分なものだね。そうまでしてくれるというのは、何か自衛隊にして欲しい要求でも出されたのかい?」

 山路も組織の中で渡り歩き、今の地位まで付いた人物である。

 腹の探り合いで麦の適う相手ではない。


「要求というか、お願い、でしょうか」

「それが、僕をここに呼び出した理由というわけだね」

「はい」

 続けて、と言いながらコーヒーを口に含む山路。


「ダンジョン内で死亡するとダンジョンに入った時の状態で復活する現象は総監もご存じかと思います」

「ああ、リスポーンとか呼んでる奴だよね」

「凍野氏は自宅に出来たダンジョン攻略する中で、無数にこのリスポーンを繰り返しているものと思われます」

 正直、麦にはそれが信じがたかった。


 偶発的な事故は起こりえるもので、麦自身もリスポーンの経験はある。

 鼓舞のスキルを有効活用しようと思えば前線に立たなければならないし、危険はいつも隣り合わせだ。


 しかし、死の感触は心地いいものでは無い。

 はっきりと言えば、文字通り死ぬほど不快で、精神力をごっそりと持っていかれる。立ち直りの速い者ですら数日はダンジョンに潜れなくなる。


「……その、凍野氏は狂人の類かな?」

「いえ、話をしている限りは、一般人の域は出ないと感じました」

 しかし、それが一層異常性を際立たせる。


 山路も聞いておいて盛大に引いている。

 この平和な日本に育って、妻子もいて、正社員で何不自由なく暮らしているはずの男が、一体どんなモチベーションで自殺を繰り返すような真似をするというのだろう。


 自暴自棄で満たされない、他に縁のない境遇と言うのならばまだ理解できるが、充ちて足りているはずの人生を投げうつような真似を、一体どういう精神構造であればこなせるというのだろう。


「それで、繰り返すうちにリスポーンのある特性に気付いてしまったそうです」

「ある特性?」

「ダンジョン内に持ち込んで、リスポーン前に手放したものは、所持した状態でリスポーンされます。リスポーン時の状態は、ダンジョン侵入時の状態と同一になるというのは、先に報告されている通りです」


「そうだね。そこまでは知ってる」

「凍野氏はいいました。では、ダンジョン内に所持物を置いた場合、その所持物はリスポーン時にどうなるだろうと。リスポーン自体を意図的に起こしたことはないため、自衛隊内でも検証されていなかったことですが、リスポーン時点で死体や身に着けている装備も同時に消失することから、事前に手放したものもリスポーン時になくなるものと考えていました」

 山路は、それを聞いて、小さくため息を吐く。


「なるほど。つまりは、事前にダンジョン内で手放した状態でリスポーンすれば、所持物が残ると。そして、リスポーン時にはその所持物は復活している。つまり、リスポーンを繰り返すことで、所持物を増やすことが出来るという事か」

「昨日凍野氏とあった後、情報処理隊でリスポーン時の所持物に関するレポートを漁りましたが、やはり自衛隊内では把握されていません」


「まあ、仕方ない。自衛官が装備を紛失するなんてあってはならないからね。これは、組織としての盲点だったな」

 無くなったのが弾薬であれば、無くした場所に拘留されて見つかるまで何日掛かろうが、出てくるまで捜索させられる組織である。装備品の紛失に病的なまでに煩い自衛隊が偶発的に気が付かないのはある種必然でもあった。


「……それにしても、それはその、なんでも増やすことが出来ると考えていいのかな?」

「凍野氏の検証では、肉眼では絶対に識別不明な精度でのコピーが無限に出来ると。ダンジョンに携帯できるものであれば、無制限と思われます」


「まずいな。まずい。いや、民主主義国家は最悪多少の国家的理性を期待できるが、その気になれば、敵国の紙幣偽造や、大量殺戮兵器のようなものを量産可能ということだろう?」

「はい。非常にまずいです。そしてあまりにも重大な案件です。悪用されれば簡単に国が乱れますし、戦争の引き金に成りかねません」

「それで、直接僕のところに話を持ってきたわけか。懸命だったね。少なくとも今の時点で不特定多数が知ってしまって良い内容ではない」


 自衛官も人の子であり、十人十色だ。

 金を簡単に増やせる方法を知って、悪用する人間が出てこないという保証もない。

 個人の犯罪の範囲で収まればいいが、それが一般に流布したらどうなるだろう。


 モノの価値が一気に暴落しかねない。


「それで、凍野氏からの要求なのですが」

「……ああ、そのためのレベル譲渡だったわけだ」

「この事実を発見したのは、あくまで我々自衛隊であるということにして貰いたい、との事です」


「個人でこの情報を所持している事に身の危険を感じると」

「はは、まあ、言いたいことは分かる。心配性と笑ってあげられなくて気の毒になるな。樋口三佐はどう思うかな。彼がこの情報を所持していることに危惧はあるかい?」


 ここで情報を捻じ曲げるということは、杏弥がダンジョンコピーを悪用して犯罪行為をした場合、それを幇助したということになる。我が身が可愛いのであれば、事実を上に告げるべきではある。


「自殺行為を繰り返すモチベーションを、凍野氏は家族と家を守るため、と仰っていました。それは、自衛隊が、本来国民を守るべき私たちがあまりに不甲斐ないから、本来戦う必要が無い自分がやっているんだと、そう非難されているようでした。凍野氏は理性的で視野が広い方です。


自衛隊が全てのダンジョンを潰して回ることがどれだけ無茶で、どれだけ非現実的な事であるか、凍野家のダンジョンの攻略がどれだけ絶望的で、他に優先すべきものがあればそちらにまわるの仕方が無いと仰ってくれました。そして、その現実を受け入れているからこそ、自分がどうにかしなければいけないと信じて、地獄というのも生ぬるい所業を行っているのです」


 彼の努力も、献身も、自己犠牲も、全ては家族を守るため。

 麦が守ってあげたかった、守りたかったものを、手の届かないものを。

 そう思えばこそ、自分があまりにも不甲斐なく、杏弥がどこまでも眩しい。


「……麦ちゃん。不倫は駄目だよ? 内規に触れるし昇進に響くからね」

 思いのたけを吐き出した麦に、山路はまぜっかえすようなことを言う。


 麦は一瞬意味が分からず、半拍置いて顔を赤く染める。

「ち、ちが、そういうんじゃないです! 妻子持ちですよ!」

「そう? 完全に憧れちゃってる顔してたよ?」

「憧れって、そりゃあるかもしれませんが、それはどちらかというとおじさんに憧れたみたいなもので、もう、揶揄わないで下さいよ!」


「はは、一応釘刺させておいてよ。おじさんも一応立場ってもんがあるからさ。まあ、凍野氏に対する評価は分かったよ。麦ちゃんにそれだけ言わせるんだったら、人間性は問題ないとしておこう。ちょっとばかりいっちゃってる感じはするから、手綱は握った方がよさそうだけどね」

「それは、私もそう思います。凍野氏とは今後とも協力関係でいましょうという話になっていますので、密に連絡を取りたいと思います」


「頼むよ。他にも何か裏技思いついちゃったりしそうだしね。陸自が矢面に立つ件は僕の権限で了承するから、齟齬の無いように書類提出してくれるかな。ちょっとばかり時系列が前後しちゃうけど、D特化隊のうち麦ちゃんのとこの小隊だけ、総監直轄にするからさ」

「わかりました。これで情報処理隊を通す必要が無くなりますね」


「とは言えこれからも似たような情報提供を受けると考えれば、情報元を隠し続けるのが得策と言えなくなるかもしれないね。そ辺も含めて、一度凍野氏とはお話したいな。面白そうな男だし」


「そう言う事にはなるだろうとは言ってあるので、予定を調整します」

「お願いね」

 自分の手元から重大な情報を手渡して、少しだけ肩の荷が降りた麦であった。




 

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