第11話 阿鼻叫喚




 9/18。敬老の日。

 折角の三連休の初日をダンジョンに使い果たし、二日目は精神の回復に使ってしまって、最後の一日である。


 このところダンジョンばかりに傾倒していて、家族サービスが出来ていない気がしたので、僅かばかりと思い本日は子供を連れて水族館に来ている。


 最寄りの、といっても車で一時間半はかかる水族館。

 来るのは三度目くらいになる。


 所詮地方にある水族館なので、目を見張るようなものがあるわけではないが、普段見ることのない動物を見るのは子供にとっては楽しいようだ。


「パパぁー、カメがイカたべてるー」

「おっきい」


 入場して直ぐのウミガメの水槽。丁度餌をやる時間だったようで、子供たちが水槽に張り付く。

 他のお客さんの迷惑にならないように適度に誘導しつつ、「おっきいねえ」と返す。


「桃、こっちにはカエルさんがいるよー」

 栗花の声につられ、桃がちょこちょことそちらに走って行く。


「かわいい」

 我が家の娘はカエルが可愛いと思える感性の持ち主らしい。今のところ。


「パパ、ダイオウイカだって。これもカメが食べるのかな?」

 李空はウミガメの水槽脇にあるダイオウイカの標本を指さす。


「入れれば食べるかもな。まあ、薬品に使ってるからそのまま食べたら死んじゃうかもだけど」

「これ、みずじゃないの?」

「水だと腐っちゃうからな。腐らないようにお薬の中につけてあるんだよ」


 海洋生物へのホルマリンの影響は知らないが、ドブ漬けしたイカを食べさせてプラス面での影響が出ることは無いだろう。

「へぇ。あ、ぼくもカエルみたい」


 栗花と桃の方に走って行く李空。

 初めて、というわけでもないのだが、多分前回見たことはあまり覚えていないのだろう。


 普段見ることのない生物を見て目を輝かせる子供たち。

 好奇心にかられて暴走しないように目を光らせながらも、素直な反応に癒される。


「パパ、あれなんていうさかな?」

 トンネル状の水槽を通りながら、李空が聞いてくる。

「クロソイだね。美味しい魚だよ」


「こっちは?」

「マダイだね。美味しいっちゃ美味しいけど、淡泊だからパパはそんなに好きじゃないかなー」


「ぱぱー、こっちは?」

「ヒラメだね。このくらいのサイズなら刺身かなー」

 ヒラメは引きが強くて面白いんだよなー、なんて考えながら答える。


 最近は子育て優先で全く釣りに行けていない。

 李空が大きくなったら一緒に釣りに行くのもいいな。そんな風に思っていると、ぞわり、と背筋が凍るような気配を感じる。


 否、気配などという生易しい物ではない。

 それ、が唐突にそこに現れたのだと知覚したのだ。


 目で見るが如く、手で触るが如く、知らない感覚器官で明確に捕らえている。


「栗花! 桃とこっちに来い!」

 公共の場で突然叫んだ俺に対して、タダならぬものを感じたのか少し先を行っていた栗花が、桃を抱いて駆け寄ってくる。


「何、何、何!?」

 唐突だが、疑問に立ち止まるより先に行動する嫁で本当にありがたい。


「なんかヤバい! 戻るぞ」

 順路を逆走する形で李空の手を引いて走る。

 ほぼ同時に、得体のしれない咆哮と、劈くような悲鳴が聞こえてきた。


「ぱぱ、なにがあったの?」

 怯えたように李空が聞いてくる。


「わからん。わからんが、兎に角逃げるぞ」

 謎の知覚により、誰よりも先に状況を把握できたことが幸いだった。


 まだきょとんとしている他の客の間を縫うように施設から出る。

 館内から溢れる喧騒は徐々に大きくなり、パニックが広がっているようだ。


 駐車場まで走り、放り込むように子供たちをチャイルドシートに座らせると、逃げるように車を発進させた。


「はぁはぁはぁ、なん、なんなのよ、いったい」

 栗花が息を切らしながら毒吐く。


 バックミラー越しに館内から人がわらわらと飛び出してくるのが一瞬映ったが、それも直ぐに後方に見えなくなる。


「多分だが、ダンジョンのモンスターが溢れた」

「溢れた?」


「樋口さんが言ってただろ? ダンジョンを放置すると敵性体が外に出て来るって」

「聞いてたけど、じゃあ水族館内にダンジョンがあったってこと?」

「多分、な」


「でも、そんなもの放置する?」

「県営だからあったら放置はしないと思うんだが、どうだろうな? 営利目的で黙秘していたとは信じたくはないが。単純に気が付いていなかった、というのはありそうな話だ」

「そんなことある?」


「ネットで見る限りダンジョンの入口のサイズは最小だと1平方メートルくらいらしいから、半年開けたことのないちょっと大き目の棚とかなら、あれだけの規模の施設ならあるんじゃないか?」

「確かに。っていうか、うちもちゃんと確認しないとね」


「いや、さすがに俺が調べたが」

「あ、そう。さすがだねー」

 真っ先に気になるところだからな。一般的にはまだあまりダンジョンの危険性は広まってないから仕方ないが、見落としによるダンジョンの氾濫は今後も増えるだろう。


 今の所ダンジョンの扉が出来るのは、人工的な扉、境界を有するものの中にランダムに発現しているようだが、使われなくなった廃屋だけでこの国に一体何件あることか。使われていたとしても、開かずの間や、放置されっぱなしの物置など、数え上げればキリがないだろう。


 それを全て具に点検など出来ないのだから、必然としてそれは起こり得る事だ。


 そして、その見落としの中にケース【D】のダンジョンが含まれていたら?


 存外、世界の終末も近いのかもしれない。




 ◇◇◇◆◆◆




 散々な休日になってしまったが、帰り際にファストフードのバーガーを与えたら子供たちはキャッキャしながら食べていた。取り敢えず、凄惨なものは見せずに済んで良かったが、これからの世の中、そうも行かないのかもしれない。


 嫌な時代にめぐり合わせたものである。


 とはいえ、束の間でも平和な世界に浸らせたいものだ。

 可能であれば、大人だけで片づけて、子供には悲惨な目にあって欲しくはないのだが。


 夕方のニュースで水族館での事が取り上げられていた。

 予想通りというか、ダンジョンが氾濫して多数の負傷者が出たとのことだ。


 溢れたのは比較的低級のダンジョンで、自衛隊の区分で行けばケース【B】にカテゴリされる。野生動物程度の危険性で、見つかれば隔離した上で期限内に攻略の必要となるダンジョンだ。


 出てきたのは小型の人型モンスター。所謂ゴブリンと呼ばれる敵性体で、膂力は然程強くはないが、集団で襲い掛かってくる場合があり、状況によっては死傷者が出る可能性もあったが、なんとか上手く立ち回れたらしい。


 ネットで調べても金属バットがあれば討伐可能となっているので、大人がその気になればどうにかなるのだろう。現状水族館内とダンジョンは自衛隊により制圧されて立ち入り禁止措置がされ、周辺に逃げ延びた個体がいないが捜索中らしい。近隣では当面不要の外出は控えるように勧告されているとのことだ。


 ニュースではひっきりなしにこの件をあげつらって、ダンジョンの危険性を説いている。これで氾濫という現象が、世間的に認知されることとなった。ダンジョン=危険という世論に傾いて、マスコミは後手に回ったと政府対応を批判するだろう。


 知っていたとして、どうしろという話でもあるのだが。

 自衛隊の皆さんはご苦労様である。


「しかし、これは色々考えなければならないか」

 ここ一か月程は、凍野家をどうにか救うために、ダンジョン攻略だけを念頭に置いてきた。


 それはいわば、ダンジョンが発生する以前の生活を取り戻すための努力で、栗花や子供達をダンジョンと言う厄災から守るためのものだ。


 凍野家のダンジョンを、俺一人で攻略してしまえば、嫁や子供たちをダンジョンに関わらせることも無く日常を継続できる。

 そう、考えての事だったのだが。


 今日の出来事は、凍野家のダンジョンがどうであろうとも、結局人類全体がダンジョンとそれにまつわる揉め事に巻き込まれていくことを示唆しているのでは?


 既にゲームチェンジは行われ、世界のルールが変わっている。

 産業革命や、IT革命の時と同じだ。


 世の常識となる基盤そのものに変革があり、社会構造や一般常識なんてものも、否応なく変革を迫られるだろう。


「賽は投げられた、という事か」

 だとするならば、家族をダンジョンから遠ざけようとする試みは果たして正しい事だろうか?

 それが適応すべき現実であるのならば、飲み下す努力をするべきなのか。


 だからといって、子供達にはまだ早すぎるが。

 そうも言ってられなくなるだろうか。


 ダンジョンの氾濫が通っている小学校や保育園、あるいはその近隣で起きない保証はない。

 ダンジョン外で敵性体に殺されたのであれば、それはリスポーン非対象だろう。


 死ねば終わりだ。

 自衛の手段は持つべきだ。

 少なくとも教師や保育士に求めるべき役割りではない。


 いずれダンジョンが日常に溶け込み、社会構造の一部に組み込まれるようになるかもしれない。

 しかし、それは恐らく何十年も後の話で、過渡期において様々な失敗や悲劇が繰り広げられるだろう。


 国家の制度や体制は一朝一夕で変わるものでは無い。

 なればこそ、生き抜くためには個々人の自助に頼るほかない。


「……ああ、頭が痛い」

 リスクとリターンを勘案して、凍野家の取るべき選択肢は……。




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