第5話 万死一生




 8/18。

 来週死ぬという状況であれば、恐らく全てを諦めて会社は休んでいただろう。家族と思い出作りの為に、夏休み延長としていたはずだ。李空は実際まだ夏休み中で、学童を休むだけだが。


 しかし、今回は三か月ほどある。

 カウント開始。恐らく李空か桃が初めにダンジョンに入った時刻が8/16のAM10:20。リミットは、その百日後である11/24のAM10:20。


 この微妙に足掻くことが出来そうな時間が悩ましい。

 そして、何事も無く日常が継続した事も考慮に入れると、仕事を休むわけにも行かないのだ。


 いっそダンジョンが収入源になればいいのだが、秘匿義務もあり動画配信でひと儲けも無理だろう。ドラゴンの動画出したら相当バズるだろうが、結果が死刑では釣り合いが取れない。


 国家内乱罪は、殺人より上の量刑にあたり、該当すれ無期懲役以上になるだろう。

 中二病全盛期であれば、ちょっとくらいかっこいいと思ったかもしれないが、四十過ぎのおっさんにはなんとも魅力のない罪状である。というかドン引きである。


 職場は連休明けの初日を休んだわけだが、別に一日くらい抜けただけでどうこうなる訳でもなく、通常営業である。まあ課長なんて机に座ってネットサーフィンしながら、時々書類にハンコついてりゃ良いんだよ!(暴論)


 そう、凍野家家長は課長様なのである。なんだよ、笑えよ。親父ギャグは寒い? 凍野って苗字は冷属性を備えてる証だって? 大丈夫、他人様にこんな事を口にしない程度の分別はあるから。だから、その憐れみと嘲笑の目をこちらに向けるな!


 そんな脳内被害妄想を愉快に繰り広げてる間に業務時間も終わり。スポーツ用品店で動きやすいジャージとランニング用の軽い靴を買い込む。死に戻り前提ではあるが、装備品はご丁寧にロストしないようなので、一式あれば十分だろう。ああけど、毎日潜るんだと洗濯する都合上、衣服の類は二揃え必要か?


 リスポーン(死に戻り)した後、ダンジョンに入る直前の状態に戻ってるんだとしたら汚れすらなくなるから、洗濯の必要もないかなぁ? とはいえ、調査だけする可能性もあるし。


 結局服は2セット買う。

 一回袖を通した服を洗わずに次の日着るというのも微妙な気分になりそうだったからだ。


 まぁ、リスポーン前提で、防具的な意味はほぼ無い状態なので、パンツ一丁でダンジョンアタックしても別にいいのだが。多少なりと気分を盛り上げたいではないか。俺は形から入るタイプの人間なのだ。


 武器に類するものは取り敢えず買うつもりは無い。昨日の自衛官は89式5.56mm小銃を装備していたが、恐らく無力であったことを考えると、市販されているような武器に意味はない。銃が効かない相手に金属バットで立ち向かうとか無謀の極みである。


 正攻法で行くのであれば、もっと敵のレベルの低いダンジョンでレベリングし、強くなってから挑む必要があるのだろう。しかし、樋口さんの口ぶりから、自衛隊は恐らくは半年以上前からダンジョン攻略をしている。そして現在あのレベルである。樋口さんだけ例外的に高かったが、それでも果たしてドラゴンに勝てるかと言われれば疑問符が付く。


 であれば、正攻法では三か月後に間に合わないのは自明であり、目指すべきは特殊攻略の類だろう。そんなものの余地があるのかは分からないが、ボスをすり抜けて先に進むとか、卑怯なハメ技を思いつくとか、まぁ、そんなところだ。ダメなら諦める。無理なもんは無理。


 だが、何もせずに座して待っていられるほど、心の余裕もない。

 破滅が隣の部屋にあるのが分かっていて、安眠できるのかという話だ。


 100日後に死ぬ凍野家。当事者でなければお気の毒にと言える程度には薄情な人間ではあるが、残念ながら今回は当事者である。


「まぁ、誰か、何かも分からないダンジョンマスター的な奴の良心、或いは遊び心に期待というところか」

 レベルだのロールだのスキルだの、ゲームのような文化に慣れ親しんだ製作者がいることは明白である。慣れ親しんだまで行くかは分からないが、下敷きにしていることに疑いはない。


 ゲームを元にしているのであれば、同じような遊び心を随所に発揮してくれていると期待しても良いのではないか。


 単なる妄想、或いは希望的観測ではある。だが、あるかもしれない可能性に掛けるしかない無いのではないか。


 仕事がある上、長期戦になることは目に見えているので、攻略についてもあまり無理はしない。

 毎日少しずつ、計画的に、可能性を潰していくだけだ。


 子供を完全に寝かしつけた夜十時、元寝室――現在は隣の子供部屋で寝ている――で探索用のジャージに着替えて、時計を確認。頭にヘルメットとヘッドライト、首にカメラを掛けている。リスポーンした際に映像が残っているかの検証も兼ねて行うのだが、ダメだったらちょっと工夫しなくてはならない。


 ドラゴンを前に冷静に状況を分析できる心理に至るには、はてさて何回死ねばならぬのやら。


「……はは、マジでやんのかよ」

 生き返ると分かってはいても、死ぬのは怖い。

 落ちないと分かっていても、バンジージャンプが怖い事には変わりが無いように。


 徒労に終わる可能性もあるだろう。

 寧ろその可能性の方が高いだろう。


 それでも、あのクソドラゴンにマイホームと、家族を壊されることを考えれば、やらないという選択肢も無い。


「無理、しなくていいんだよ?」

 栗花が心配そうに言ってくれる。


「したくも無いんだけど、多分俺の人生ここが頑張り時なんだと思う」

 元々努力家じゃないし、面倒事は回避しようとするタイプだ。


 宿題は溜めて一気にやるし、先送り可能な問題は可能な限り先送りする。

 コツコツとやるのが苦手で、抜け道を探すのが得意。


 よく言えば要領が良く、悪く言えば手抜きをする。


 必要ないと思えばモチベーションは上がらないし、楽をするためであれば指示外の業務もこなす。


 俺は大体そういう人間、だと思ってる。


「それに、本音を言えば少しばかりワクワクしてる自分もいるんだ。家族の命が掛かってるし、上手くいかなければその先には破滅が待ってるかもしれないっていうのに、非日常が目の前に転がってきて、浮ついてる気がする」

「知ってる。ダンジョンの話してるとき、楽しそうだったもん」


「この先現実を思い知らされて絶望するかもしれないけど、なんだろうな。なんとかなるような根拠のない楽観があるんだ」

「新しい目標が出来て、生き生きしてるのは良い事だと思うよ。とはいえ、やることが毎日自殺まがいの事をしますってのはどうかと思うけど」


 前向きなんだか後ろ向きなんだか、と苦笑する栗花。


「まぁ、当面は一日一時間くらいにしておくさ。寝不足で体調崩したらなんにもならないしね」

「辛くなったら、止めていいんだからね?」

「心配するな、いやいや続けるほど根性はない」


 自信ありげに言う事でも無いが、モチベーションを失った状態で自死を繰り返すほど精神力は高くない自覚はある。笑えなくなったら止め時だろう。その時は自衛隊と運命に祈ることにする。


「じゃあ、取り敢えず一回目、行ってくる」

 そう言って、一日ぶりのダンジョンへ足を運ぶのだった。




 ◇◇◇◆◆◆




 前提条件と現状を再確認しておこう。

 凍野家――文字通り家屋――を救うには、期限内にダンジョンを攻略する必要がある。

 ダンジョンの規模は不明。


 今現在一層の一つ目のフロアで往生している。


 凍野一家――妻子含む四名――を救うには、

 ① 期限内にダンジョンを攻略する

 ② 期限を過ぎて、氾濫したダンジョンから湧いて来る敵性体を全滅させる。


 以上、二択である。


 今現在攻略を阻んでいる赤色のドラゴンが、ダンジョン内でどの程度の強さであるかは分からないが、ラスボスであるという可能性は低いだろう。


 自衛隊の見立てでも、人が持ち運びできる火器では討伐は困難とされる。

 氾濫後に凍野家の住民を人気のない場所に置き、誘き寄せた敵性体をミサイル等の高火力の兵器で駆逐するというプランが現実視されている。


 とはいえ、攻略不能とみなされるケース【D】のダンジョンが複数に渡る場合、優先順位を付けられて見捨てられる可能性も無いとは言い難い。より多くの国民の命を守るために、少数に犠牲を強いるのは国家の決断としては正当なものだ。


 理解はできるが、見捨てられる当事者になって納得できるほどの愛国心も自己犠牲精神もない。少なくとも自己の生命と家族の健康以上に優先すべきものは無いので、自衛隊におんぶに抱っこで期限まで何もしないというのはありえない。


 後々、無駄な努力だったと文句を言いながら酒が飲める日が来ることを願っている。


 と、いうわけで、凍野家の平和のためにもダンジョン攻略――、は出来るかわからないので、可能な範囲で調査を行おうというわけである。


 無論、調査の前提として、一層フロア内に立ち入る必要があり、その都度死ぬことになるだろう。

 一応ダメでもリセットは出来るようだが、繰り返すことで心身に異常を来すかもしれないし、上限回数が決まっていて、そのままご臨終と言う可能性もある。


 取説があるわけでも、レギュレーションの説明が為されたわけでもないので、どうなってしまうかなんて誰にも分らない。


 その時は、運が悪かったと諦めよう。


 想定し得る破滅を回避するためには、憶測でしかない危険など黙殺する他なし。

 恐怖に竦む心を鼓舞するために、そんなことを心中で嘯くのだった。




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