第2話 現状把握
子供でも警戒して近付かない怪しい階段を下ったことはまぁ、その子供がいるかもしれないという目的があったので良いとしよう。
しかし、その先をついでに見てみようという好奇心に基づいて無警戒にフロアに侵入したことは短絡的、猪突猛進、危機意識ゼロの誹りを免れないだろう。
自分でもそう思う。馬鹿なのか俺は。
だが、チュートリアルダンジョンなんてアナウンスするのが悪い。
……得体の知れないダンジョンに無警戒に突進するって時点で最早言い訳も出来ないが。
っていうか、ダンジョンって何だよ、ダンジョンって。
「パパ、どうしたの? おなかいたいの?」
桃(長女)が閉めたクローゼットの折れ戸に寄りかかって青い顔をしている俺に心配そうに声を掛ける。
「ああ、大丈夫だから」
全然大丈夫ではない。
冷や汗でびっしょりである。
っていうか、死んだ、よな?
死に戻りと言う奴だろうか。死んだと思った瞬間に寝室にいた。
突然現れた俺に、李空と桃が驚いていた。
状況把握の前に、条件反射的にクローゼットの扉を閉じる。
事実を把握して青ざめるという流れである。
「ねえパパ。なんでここにかいだんできたの?」
李空が不思議そうに訪ねてくる。
「なんでだろうなぁ。パパも聞きたいよ」
誰に聞いたものか分からないが。
『オーバーキルによるダメージ超過が規定値を越えたため、特典としてレアスキルを進呈します。更なるご活躍をお祈りします』
……唐突に響く脳内アナウンス。
「兎に角、この階段は危ないから、絶対に入ったら駄目だよ? わかった?」
「「はーい」」
素直な子供たちの返事に癒されつつ、考えても仕方が無いことはおいといて昼飯にしよう。
子供を連れ立って一階に戻る。
テレビで動画を見始めた子供を尻目に、クローゼットの真下当たりを見上げる。
やはり何とも無い。
つまり、あのクローゼットの扉はダンジョンとの境界として機能してるだけで、現実にダンジョンが浸食している訳ではないという事か。
どこか未知の空間に繋がっているゲート?
クローゼットを壊せば消えるだろうか?
しかし、余計に拗れた事になっても困る。
考え事をしながら昼飯の準備。
ええと、今日は焼きそばか。
連休前に決めていた献立を見てメニューを確認すると、冷蔵庫から材料を引っ張り出す。
「おなかすいたー」
子供みたいなことを言いながら、栗花(妻)がリビングのソファに腰掛ける。
「お疲れさん。仕事は終わった?」
「んー、終わってないけどもういいや。休みの日に仕事するの馬鹿らしいし」
「あ、そう」
「今日のお昼なんだっけ?」
「焼きそば」
「いえーい」
凍野家の家事分担では料理は夫の領分である。
子供関係全般は妻の領分。
掃除、洗濯は半々。
栗花が料理を大嫌いだというのが分担の理由だが、別に作れないわけではない。
料理に限らず俺がモノを作るのが好きだからというのもあるが。
肉をレンジに突っ込んで解凍しつつ、椎茸、ピーマン、玉ねぎを千切りしてフライパンに。
油を少量入れて、若干塩を振って火を付ける。
油は暖めてから具材入れろ?
面倒くさいんだよ。出来上がりにそんなに差は無い。
空いたまな板でキャベツを千切り。
玉ねぎとピーマンに適度に火が通ったらキャベツ投入。
適当に混ぜて放置。
その間に肉(豚バラ)の解凍が終わる。微妙に半解凍だが気にしない。
野菜をフライパンの淵側に寄せて空いた真ん中に肉を投入。下味の塩コショウを振る。
冷蔵庫から焼きそば(既製品)を取り出して、麺をレンジにぶち込み余熱。二袋ずつ。
その間にフライパン内の肉を炒めつつ解す。
麺の余熱が終わったら、フライパンの上に投入。次の二袋をレンジにぶち込む。
フライパンの上の麺を何度も持ち上げつつ解す。
麺がほぐれたころに次の麺の余熱が終わり、同じようにフライパンに投入。
最後の一袋をレンジにぶち込み、都合四袋の麺を解したら粉末ソースを加えて麺全体に絡める。
最後の麺の余熱が終わったら、フライパンで解してから具材含めて全体をまぜまぜ。
以上。開始から十五分で完了である。
「できたよー」
子供の分を皿に盛り付けてテーブルに置く。
「あ、手洗いうがいしてきなさい。さっき変なとこ入っただろ?」
「えー」
「病気なってもいいのかー?」
「「やだー」」
そんなことを言っててふと思う。
あのダンジョンが未知の場所に繋がってるとして、病原菌の心配とかないだろうか。
未知の場所へ行くということは未知の危険があるという事である。
異星人にあってまず心配することは、アブダクトされることより未知の病原菌を移されることだと思う。
ドラゴンが何か未知の病原菌のキャリアである可能性は……。
ドラゴンが存在しない生態系に暮らしている人間が、その抗体を持っている可能性はゼロだ。
そもそも積み上げた進化の歴史が違うのだ。
全くの無害という可能性よりは、何らかの悪影響があると考える方が自然だろう。
とはいえ、あのゲームめいたアナウンスのせいで、そんな思考に意味があるのかという疑問も湧いて出てきてしまうが。
「かくれんぼしてたんだっけ? 変なもの触ってないでしょうね?」
「えー、かいだんだけだよー」
「かいだんだけだよー」
李空の言葉を桃が繰り返す。
言葉に嘘偽りはないが。
さて、栗花にどう説明したものか。
っていうか、これどうすればいいんだろう?
まあ、お腹を充たした後で考えよう。
◇◇◇◆◆◆
焼きそばを食べながらつらつらと今後の事を考えた。
どう転ぼうともあまり面白い話にはなりそうもない。
自宅にダンジョンが併設されました?
物語であれば愉快かもしれないが、妻子持ちの家に出来ていいものじゃない。
まだ独身時代のアパートに出来たのであれば、無責任に喜べたかもしれないが。
それもあんな初見殺しのクソゲーダンジョンでなければ、だが。
食事を終え、いつもの休日であればお昼寝の時間だが、生憎と寝ている場合ではない。
明日から仕事だというのに、こうなっては明日仕事に行けるかどうかも怪しい。
というか、諸々考えると休むしかないのでは?
「栗花。洗い物終わったらちょっといいか?」
「ん? 何? その言い方怖いんだけど」
「まぁ、ある意味怖い話だな」
「えー、やだ聞きたくないんだけど」
「聞いとかないともっと怖い目にあうぞ」
「何よ」
「まぁ、ながら作業で聞く話じゃない」
李空はテレビで動画を見ながらジュースを飲んでいる。桃はタブレットで同じく動画を見ている。最近の子供は四歳にもなれば自分でタブレットの暗証番号を打ち込んで、自分の見たい動画を音声検索で検索して見る。
欲求に基づく学習は斯くも早いものかと思わされる。それが良い事なのかどうかは置いといて。
そういえば、ダンジョンに入ったときのアナウンスで、何か獲得したような話があったな。
とはいえ、どうやって確認すればいいんだ? なんだっけ、レアロールとレアスキルだったか?
栗花への説明と記憶の確認も兼ねて、スマホに起きたことを時系列でメモする。
チュートリアルダンジョン。先行参加者特典。レアロール、レアスキル。ダンジョンクリア。オーバーキル特典。
本当にゲームみたいだ。誰か製作者がいるということだろうか。まぁ、アナウンスが流れる時点で人為的だとは思うが、どういうレベルの科学技術があれば出来るのだろう? オーバーテクノロジーも甚だしい。
あれが何処か別の空間と繋がっているというのであれば、距離の概念を越えて移動が可能になるということだ。人、物、情報、ありとあらゆるものの移動や伝達に革命が起きる。比喩ではなく革命だ。距離の制限があるかは分からないが、無いとすれば人は光速を越える手段を得たのと同義である。
応用範囲にもよるが、タイムスリップや過去観測すら可能になるかもしれない。夢が広がる話だが、そんなものが一個人の家に突然現れるなんてどうかしているとしか言いようがない。
誰の、どういった意図だよ。はた迷惑な。
「はぁー」
「ため息なんて珍しいね。ほんとにどうしたの?」
「ため息くらい、しょっちゅうしてると思うが」
「休みの日にしないよ?」
「そう? 意識してないからわからんな。まぁ、口で言ってもな。ちょっと来てくれ」
洗い物が終わった栗花を連れて二階の寝室へ。
クローゼットを開ける。
栗花を見る。
茫然としている。
クローゼットを閉める。
「ちょ、ちょちょちょ、ナニコレ?」
「わからん。わかりたくもない」
「え、え、ちょ……」
栗花も自分でクローゼットを開けて、ダンジョンの方に手を延ばす。
止めようかとも思ったが、この後の説明を考えるとアナウンスを聞いてもらった方が早い。
脳内アナウンスが流れたようで、びっくりして手を引っ込めるときょろきょろを辺りを見回している。
そうだと思ったが、やはり個人の脳内にだけ直接響くようで周りには聞こえていない。
「杏弥? どういうこと?」
俺はクローゼットを閉めつつ、混乱する栗花の手を引いて下へ戻ろうと促した。
リビングに戻ってくるとソファに二人並んで腰掛ける。
「何か聞こえた?」
「え、あの音? 杏弥には聞こえてなかったの?」
「ああ、多分直接脳内に届いてる。テレパス的ななにかなのかな。知らんけど」
「何か、って、ノイズみたいな感じで意味ある音には聞こえなかったけど」
「あれ、俺の時ははっきり日本語で聞こえたんだけどな? ようこそダンジョンへって。個体差? 感受性?」
「わけわかんない」
「そうだな。わけわかんないな」
「これ、危なくないの?」
「中に入らない限りは、恐らくとしか言えないけど」
「ダンジョンって、あれよね。ゲームとかの」
「モンスターを倒して、宝箱を開けて、ボスを倒す的なご都合主義的な場所だな。細部は作品で異なるけど」
「どうすればいいの?」
「んー。非常にポジティブな見解と、非常にネガティブな見解があるんだけど」
「ポジティブな方は?」
「単純に土地が増えたようなものだから、収納が無尽蔵に増えたようなもん。上手く利用できれば儲けの種になるかも。未知の部分も大きいけど、有用なものがダンジョンから算出されれば、入口を抑えてるというのは油田や温泉を掘り当てたような物だし」
「ネガティブな方は?」
「あの階段。現実にこの家の中にあるわけじゃないだろ? 一階になんの変化も無いし。ということは、あれば別の何処かへの入口がクローゼットの扉に設置されたような状態だと推察されるわけだ。
つまり、瞬間移動が可能となる技術で、それ自体は解析して量産化出来ればウハウハなのは間違いがないが、そんな学も能力も資金も無いから取り敢えずは無視。問題は全く別の何処かというのが、何処かという話で、例えば同じ地球でも何万年とか何千万年とか過去かもしれないし、そもそも別の星や、別の世界という可能性だってあり得る。
そうなった場合、一番怖いのは感染症等の病気。現代地球に存在しないウイルスが蔓延したらと考えると頭が痛い。同じく生物関連で言うと、あの階段の先にいる生物が逆流して来た場合、モンスターパニック映画さながらの状況になるのは想像に難くない。
あのダンジョンの権益を主張するのであれば、当然これらのリスクへの責任も伴なうってこと。巨万の富を得られる可能性もあるけど、同時に社会的に破滅するリスクも結構な確率で存在してると思う」
「やばいじゃん」
独身であれば許容したかもしれないリスクではあるが、妻子持ちでは冒険は出来ない。そこまで無責任になれはしない。親の因果が子に報う、何て展開は望んでないのだ。
「という事で、とっとと行政に連絡して責任放棄する他ないと思うんだけどどう?」
「まあ、しょうがないんじゃない。どう考えても持て余すし、このままじゃ怖いし」
「ただ、どこに連絡すればいいのかがわからん。警察? 役所? 消防? 保健所?」
「……確かに」
「現物を確認して貰わないと、そもそも信じて貰えないだろうし。二階の寝室のクローゼットにいつの間にかダンジョンの入口が出来てたんですけど、って言われてもガチャ切りされる未来しか見えん」
「SNSとかで対応相談する?」
「やめとけ。後々個人情報流出で面倒になりそうだし。取り敢えず、役所は休日で対応してないだろうから、仕事してそうな警察に一報だけ入れといて、何かあっても最低限の対応はしていたという体を取ろう」
「体裁を保つためだけの連絡ね」
「小市民の涙ぐましい努力と言う奴だ」
実際、この問題に対して即応できる行政なんていないだろう。何せ未知の現象で、危険かどうかも現段階で判断が出来ないし、対応する法律がそもそも存在しないのだ。後手後手になるであろう行政対応を考慮した上で、この問題に対処しなくては。
「取り敢えず、明日は全員休みだな」
「そうね」
この状況で仕事も何もあったもんじゃない。
連休が延長戦になることが確定したのだった。
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