Precious

凪村師文 

愛を纏いし悲しみのメモリー

 目の前に広がる瓦礫の山を見て、三日前のことは夢ではないのだなと思う。

2024年1月1日16時10分。大きな揺れがわたしの住む町を襲った。とても大きな地震だった。今までに感じたことのない、とても大きな横揺れ。わたしは朝は家で家族と過ごし、午後は親友の紗耶香と一緒に近所のショッピングモールにいた。楽しい元旦だった……はずなのに。

『がたがたがたがた』

 次の日の初詣に着ていくコートを二人で見繕っていた時にそれは起きた。

 そこからのことはあまり覚えていない。今まで生きてきて感じたことのない大きな揺れでパニックに陥るわたしを、こんな時でも冷静だった紗耶香は支えてくれて、お店のスタッフの指示に従って屋上に逃げたっけ。

 阿鼻叫喚。津波が来ると近くにいた誰かが言ったときには、

『あぁ、わたし、死ぬのかな。最期くらい、家族と過ごしたかったな』

と思ったほどだった。

 避難所になったわたしと紗耶香が通う高校からわたしの家に行く道にある家々はすべて倒壊したか、もう住めない状態になっていて、ここでもやはり三日前のことが本当に起こったことなのだと思い知らされた。

 そして、今、わたしの目の前に広がる瓦礫の山は、わたしが住んでいた家である。そう、倒壊した。脆いものだなぁと思う。あの時、家には母親と弟の直人がいた。父親は二年前に病気で亡くなっていた。そして、母と直人の二人とも、もうこの世にはいない。昨日の昼に二人の遺体が見つかった。その時はもう、何も考えられなかった。涙も出ない。放心状態というやつだった。しばらくして、避難所でこのことを知った紗耶香に抱きしめられたとき、やっと私の頬を雫がしたった。一粒出るともう止まらない。わたしは紗耶香の胸の中で泣いた。枯れるまで泣いた。

 一晩過ぎて、わたしは自衛隊の方が探し出してくれた二人の形見をもってここに来た。あの時、二人は家でどんな思いをしただろうか。崩れる家につぶされ、何を思っただろうか。辛かっただろうに。痛かっただろうに。寂しく死んでいったのだろうか。考えるだけで、目をそむけたくなる。わたしはかつて門があった場所の前でしゃがみ、手を合わせた。手の中には形見である母が大事に扱っていたネックレスと、弟が大好きだった小さな自動車のおもちゃが握られている。

 生き残ってしまった。四人家族の中でたった一人、生き残ってしまった。死にそびれた。考えちゃだめだということは分かっているけれども、わたしも一緒に巻き込まれたら、こんな思いをしなくて済んだのかなと思ってしまう。大好きだった母のまぶしい笑顔。今年の四月から小学校に通うということで母に買ってもらったピカピカのランドセルをしょってキラキラに輝いていた直人。あんなに小学校へ行くのを楽しみにしていたのに……。大好きな二人の大好きだった笑顔が頭の中をよぎる。何でわたしの住む町だったのだろうか。一億以上いる日本の人たちの中で何でわたしの母と弟が選ばれてしまったのだろうか。二人は何か悪いことをしてしまっていたのか。そのばちが「死」という形で襲ったのか。考えるだけで辛く、胸に見えない刃が突き刺さる。

 神さまは本当に存在するのだろうか。

『神さま……いらっしゃるなら、どうか、どうか一度でいいから二人に会わせてください』

 もう、会えないことは分かっている。けれども、心のどこかでわたしは求めていた。どうしようもないほど冷め切ったわたしの心の中で、会わせてくれ、二人を返してくれと叫んでいた。

 父親を失ったときも、こんな気持ちだったっけ。冷たさが心を締めつける。しばらく立ち直れなかった気がする。またか。一度ならず二度までも。何度こんな気持ちを味わなければならないのだろうか。

 許してほしい。わたしがなにかしたらならば、どうか許してください……。

 自分の無力さが身に染みる。何もできない自分へ嫌気がさす。暗く細い道を一人さ迷っている感覚だった。

「麻結……」

不意に背中にひざ掛けがかけられる。紗耶香が心配して避難所から来てくれたようだった。何も言わず、後ろから優しく抱きしめてくれる。

 紗耶香の家族は全員無事で一緒に避難所で暮らしている。

 背中に感じる温もりで、胸がじわんと温まり、またわたしは泣いてしまう。どうしようもなく悲しいのに、誰かの温もりを感じるとどこか安心してしまう。安心してしまう自分が醜い。

 結局は自分が一番かわいくて、助かったことにどこか安堵感を抱いてしまっているのかもしれない。狂うほどに悲しいのに、狂うほどに心は痛いのに……。訳のわからない混沌とした、矛盾した自らの感情に戸惑ってしまう。

「麻結。落ち着いて、ゆっくり深呼吸ね」

「う、うん。……すぅーはぁー」

「どう? 落ち着いた?」

「……ねぇ紗耶香。もう一回胸を貸してくれる?」

「いいよ。わたしはあなたのそばを離れるつもりは無いから……。こういう時くらい、いっぱい甘えて」

「……ありがと」

 トクン……トクン……。

 紗耶香の鼓動が直に耳に伝わる。静かだけれど、どこか力強く。冷たいようで、とても温かい優しい音。

 ああ、わたし、生きてるだ……。

「……どう、私の心臓の音?」

「ちゃんと聞こえてるよ。トクン、トクンって」

「そう……。ねぇ麻結。わたしたちは今こうして生きてるの。この数日でたくさんの大事なものを失ったけど、それでもわたしたちは生きているの。逆に知り得たものだってあるわ……。それは、命の脆さと尊さ……。あなたなら、この意味がちゃんと分かるはず。だから……だからもう、一緒に死ねばよかっただなんて思わないで。あなたは、あなたのお母様と直人くん、そしてお父様に救われたの。だから……だから救われたその小さな命を大切にして。……あの時から、あなたの心臓には、亡くなった三人の”いのちの灯火”も詰まっているのよ……」

「紗耶香ぁ……」

 紗耶香の言葉が心に沁みわたる。同時に自分の考えの愚かさを痛感した。もうたくさん泣いたはずなのに。あふれ出す感情は、紗耶香がわたしを優しく抱擁し、撫でる様と同じように、静かに流れていく。

 紗耶香のおかげで、少しずつ気持ちが凪いでいく。もちろん、完璧にとはいかないが、わたしの中を紗耶香の優しさが占めていく。

「今は……せめて今だけは、泣いていいよ。私が全部包んで隠してあげる。あなたの悲しみも……”醜い気持ち”も。麻結はわたしが知っている中で一番強い子だけど、それでも、いつか限界はきちゃうの。あなたがその小さな心の中で、みんなの前では絶対に泣かないって決めてても……せめて、せめてわたしの前だけでは、麻結の本当の気持ちを見せて……。泣いてもいい、どうしようもない怒りをぶつけてもいい。全部、わたしが受け止めるから……」

 ああ、わたしはなんて子を友達にもったのだろうか。わたしなんかより、紗耶香のほうが何倍も、何千倍も強い子じゃないか。

「……でも、ごめん麻結。……かっこいいこと言っときながら、わたし……わたし、泣いちゃいそう……ねぇ麻結。お願い。あんなこと言ったけど、泣かないで。わたし、麻結のそんな姿見たくない。そんな悲しい顔見たくなんてないよぉ……」

 そう言って、紗耶香まで泣き出してしまう。なんだ、やっぱり紗耶香もわたしと一緒で弱い子じゃん。不謹慎だけど、なんか安心した。

 昨日、わたしが紗耶香の胸の中でわんわん泣いたとき、紗耶香は泣かなかった。世の父親のように、強く優しく在り、ただひたすらに私を愛で温めてくれた。でも本当は泣きたかったんだね。そりゃこんなことがあったら泣きたくもなる。自分の家族は助かったからって、わたしの前では泣けなかったのかな。でもね、紗耶香。そんなこと気にしなくて良かったのに。わたしは何があっても紗耶香のこと嫌いになんてならないよ。だって……だってわたし、紗耶香のこと大好きだから……。

 人が少しずつ歳をとるように、季節もまた決まった速度で過ぎていく。誰が決めたかも分からない、「春、夏、秋、冬」という四つの型をただひたすらにこなしていく。わたしが生きるこのセカイにも、やがて、あたり一面を白く染めあげた冬の背を追って、新たな命の芽吹きを誘い(いざない)、見届けるために春がくる。春がくれば、芽吹いた新たな命に試練を与えるが如く、灼熱の気を纏った夏がくる。夏がくれば、試練を生き抜いた命たちを労い、華やかな色に彩るために秋がくる。秋がくれば、役目を終えた命たちがまだ見ぬ新たな命の芽吹きを助けるために再び大地という「ふるさと」に帰る手助けをするために、冬がくる。

  一つ季節が進むたび、深くまで刺さったこの心の傷も癒えて、薄れていくのだろうか。一つ季節が進むたび、わたしの大切な思い出たちの色彩には靄がかかっていき、彩りを失っていくのだろうか。悲しい彩りならかえって失っていく方が良いのかもしれない。けれどもそれは、やっぱり大切な思い出たちで。失いたくない思い出たちで。背負っていきたい思い出たちで……。

 

 ねぇ、知ってる?

 「忘れる」って一番怖いことなんだよ。

 「忘れる」って一番悲しいことなんだよ。

 もしかして本当は、「傷が癒える」ってとても悲しいことなのかもしれないね。

 

 過ぎたことはもう変えられないから、忘れたくないから、せめてわたしはこの悲しい思い出たちに、「愛」を紡ぐことにするよ。


 明日がどんな日になるか全く見当もつかない。この先どうなるかもわからない。それでも、紗耶香と一緒ならどうにかなりそうな気がした。この気持ちは今一瞬だけ芽生え、すぐに消えてしまうかもしれない。前向きな気持ちなど、すぐに悲しみに押しつぶされてしまうかもしれない。

 『お母さん、直人、今までたくさんの幸せをありがとう』

 この前向きな気持ちが消えないうちに、悲しみも思い出もすべてを引き連れて、一足先に父のもとへ行ってしまった二人の分も精一杯生きよう、とわたしは心に誓ったのだった。



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Precious 凪村師文  @Naotaro_1024

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