第4話 給食費泥棒

 隆と和子が中学校に入学した。

 毎日会うのはこれまでと同じ顔触れであり、隆には中学生になった、という格別の思いはなかった。

 隆は部活は剣道部を選んだ。担任が剣道部の顧問をしていた。

「剣道は、いざという時、自分の身を守れるぞ」

 担任の一言が入部を決心させた。

 練習は地味だった。素振りや打ち込みの毎日だった。1年の秋に郡の大会があり、隆は個人戦に出場した。隆が仕掛けても、相手は動じなかった。どうしようもない力量の差を感じた。


 2年の春だった。土曜の放課後、隆は練習を終え教室で、帰り支度をしていた。担任が入ってきた。その年に転勤してきた教員だった。奥さんと子供を実家に残し、近くの町に下宿して、バス通勤していた。

 二言三言話しているうちに、担任が言った。

「悪いけど、お母さん、呼んできてくれんかなあ」

 急いで家に帰り、母親に告げた。心細そうな母親と共に、隆は放課後の閑散とした学校に戻った。


 校庭でひとり母親を待った。時間を持て余していると、母親が出てきた。

「どうしたん?」

 母親は神妙な顔つきだった。

「あのな、先生がお金貸して欲しいって言うのや」

 母親は小声で言った。

「誰にも言わないように」

 と、担任は母親に念を押していた。

 隆は担任の重大な秘密を知ってしまった。顔を合わせたくなかったが、担任は以前と変わった感じはなかった。


 和子が級友の女の子と話しているのを、隆は立ち聞きした。

「そんなん、許されんわ。奥さんでもない人と…」

 一人が眉をひそめた。


 後日、隆は和子にそれとなく、真相を確かめた。

「あの先生な、女の人に妊娠させたんやって」

 隆は和子にだけ、教師の借金のことを話そうかとも思った。しかし、妊娠は中学生の話題としては、あまりにも生々しいものだった。隆は幼馴染みを前に、気もそぞろになった。


 洋一が荒れていた。

 いつものように朝、洋一の家に立ち寄ろうとして、母親と口論する声が聞こえてきた。

「正直に言うてみ。何にお金が要ったんや」

「盗ってへんて。ワシのこと信用せんのやったら、もうええわ!」

 洋一はカバンも持たず、家から飛び出してきた。


「お兄ちゃんがクラスの給食費、盗ったって、昨日、母ちゃんも学校に呼ばれたんや」

 和子の説明だった。

 洋一は担任からどんなに殴られても、頑として認めようとしなかった。

 富江は洋一を信じてやりたかったが、魔がさすこともありうる。富江には、一昨年の一件が忘れられなかった。

「これは、就職に不利になりますよ」

 担任は富江に因果を含めたらしい。

 洋一を先に帰し、富江は何か月かで返済することを約束した。給食費は5千円弱だった。


「洋ちゃんは、お母さんがお金返すこと知っとるの?」

「ううん。お母さんが、内緒にしといてって」

 和子が足を止め、隆に向き直って言った。


 洋一は学校にはいなかった。和子も一日、そわそわしていた。

 学校の帰り、隆は河原に降りてみた。やはり、洋一がいた。隆に気づいて、洋一は手を振った。

「お母さんも、和ちゃんも、洋ちゃんのこと信じとるで」

「ええんや。そりゃ、お金がのうなったら、誰かてワシを疑うよ。けど、盗ってへんものは盗ってへん」

 洋一は思いっきり小石を投げた。小石は鮮やかな軌跡を描きながら、川面を滑っていった。


 月末、富江はお金を持って、担任の下宿を訪ねた。

「あれは、もう忘れてください」

 と、担任は言ったきりだったらしい。

「これも、洋ちゃんには内緒やで」

 和子は首を傾げていたが、どこかにほっとした感じがあった。


 隆の父親は教員に金を貸したことで、母親をとがめた。しかし、取り越し苦労だった。何か月かして、金は返ってきた。

 教員も薄給の時代だった。臨時の支出があれば、背に腹は代えられなかったのだろう。隆の担任は翌年、さらに山奥の中学校へ転勤になった。

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