1-2 レーグネン山の魔物(1)

「急がないと、大変なことになるわ」


 十七歳の少女、エルシャ・シュネルタオベは夜通しで愛馬に魔法をかけて走らせていた。


 肩口で切りそろえた白髪に凛とした顔立ち。暗いグレーの軍服の上から薄紫のマントを羽織り、腰にはやや派手な装飾の剣を帯剣。

 全体的に落ち着いた雰囲気を感じさせ、表情は冷静そのものだが、行動を見れば急いでいるのは明白だった。


 舗装されていない悪路を、魔物が出るともしれぬ中、一人で夜通し、馬に魔法をかけ強化しながら走らせるのは非常に危険な行為だ。


 夜道は月か星の光しかなく、ほぼ真っ暗。視力を魔法で強化せねば見えない。

 馬に魔法をかけ、持久力と速度を強化すると道を外れたり、どこかに衝突、あるいは落馬して死ぬ危険性が跳ね上がる。

 複数の魔法を同時に行使するのはそちらに意識を取られ、他が疎かになりやすい。

 魔物に遭遇したら、一人で対処することを強いられる。


 どう言い繕ってもそれは自殺行為であった。

 やれるとしてもやるべきではない類の手段まで使って、エルシャは急いでいる。


 向かう先は、レーグネンベルク侯国。

 明るみ始めたお陰で見えてきたのは、三方を山岳に囲まれた城塞都市だ。人口およそ5万人を、大と小、二重の城壁で守っている。


 エルシャは城壁に近づくと馬にかけていた魔法を切り、下馬して城門を訪ねた。

 時間外訪問ではあるが、取り次いでもらうより他にない。


「朝早くから失礼します。アイゼンシュロス公国より参りました、特一等伝令のシュネルタオベと申します。通して頂き、またレーグネンベルク侯閣下にお目通り願いたいのですが」

「時間外です。開けられません。それに閣下は今、お忙しい」

「遠征準備で、ですか?」


 遠征。

 自然に発生する魔物だが、自然に死ぬことは基本的にない。あまりにも湧きすぎると種類混合で群れを成して襲い掛かってくる。


 魔物被害は城壁で守るのが基本だが、群れや強力な魔物は城壁では止められない。

 そのため、魔物が湧きやすい場所には定期的に攻撃を仕掛け、間引く必要がある。

 それが遠征だ。


「なぜそれを」


 やらねばならないが、軍を動員するため他国への守りは弱くなるのは必然。

 他国の人間が簡単に知りうる情報ではない。


「その件でレーグネンベルク侯閣下にお伝えしたいことがございます。どうか、通して下さい」

「申し訳ありません。規則ですので」

「そう。でしたら別の門で閣下を待たせて頂きます」

「止めて下さい。帰れ、と言ってるんですよ」

「すみませんが帰れません。遠征準備をしているとなれば、なおさら」


 見張りの兵士が苛立ち始めた時のことだった。


「おい新入り、誰ぞかいるのか?」

「はい、レーグネンベルク侯閣下にお会いしたいという、不審な者が」


 城壁の上から別の兵士が見下ろしていた。

 エルシャの姿を見ると、その表情が凍り付く。


「城門開けろッ! それとレーグネンベルク侯閣下に緊急伝令、シュネルタオベ様がいらしたとお伝えしてくれ」

「え?」

「新入り、誰か来たらとりあえず声あげて報告するもんだ。自分で不審者かどうか決めるな」


 時間外だが、城門は開けてもらえた。


「ありがとうございます」

「失礼しました。レーグネンベルク侯閣下は今、領主館におられます」

「重ね重ね感謝申し上げます」


 エルシャが領主館に向かうと、すぐに謁見室に通される。

 しばらく待っていると、鎧を身に着けた五十代半ばの男性が現れた。


「アイゼンシュロス公国より参りました、特一等伝令のエルシャ・シュネルタオベです。レーグネンベルク侯閣下、突然の訪問にも関わらず謁見させて頂き、感謝申し上げます」

「面を上げられよ、エルシャ殿。あなたにそこまで畏まられるとこちらとしては困ってしまいますな。御父上は元気ですか」

「はい、それはもう」

「それはなにより。して、此度のご用件は?」


 エルシャはやや躊躇いがちに口を開く。


「レーグネン山に強力な魔物が出たという噂を耳にしました。近々遠征するという話も。それで、急いでこちらに参った次第です」


 レーグネンベルク侯国が有する山岳の一つ、レーグネン山は、自然魔力が溜まりやすく魔物が大量に生まれる場所だ。

 年に数度は山から溢れて都市を襲撃してくるほど。


 魔物は倒せれば尽きぬ資源となるが、倒せなければ凶悪な害獣。

 この国は常に山の魔物の脅威と、それに対応するための軍事費に苦しめられている。


「状況は不明ですが、近頃、山に入った者が偵察含め戻らないのは確かなこと。腕の立つ偵察も一人も戻らないとなれば、強い魔物が出たとみて良いでしょう」


 山を散策する偵察はレーグネンベルク侯国においては精鋭だ。一人も戻ってこないのは、明らかな異常事態だろう。


「かくなる上は、その魔物が山から下りてくる前に叩くしかない」

「恐れながら申し上げますが、予想通りであった場合は常備軍では厳しいかと」


 魔物は適切な威力の魔法攻撃なら容易く倒せるが、それが無ければ英雄の試練もかくやという地獄の戦いとなる。

 平民、徴募兵、常備軍、騎士、貴族の順で強くなるが、貴族と騎士は当然少なく軍勢は作れない。


 常備軍では厳しいということは、最も強い軍勢でも高確率で負けうることを意味する。


「でしょうな。此度の戦いは死線となるでしょう。ですが領地を預かる者としてはこうするしかないのです」


 レーグネンベルク侯の顔は、死を覚悟した者のそれだった。

 おそらく彼に率いられる軍勢も選りすぐられ、かつ死を覚悟した上で死地に向かう者達なのだろう。

 この地に生きる民のために。


 止められないならば、行くしかない。


「どうか私をお連れ下さい、閣下。魔法の腕には自信があります」


 死地に飛び込む覚悟はエルシャにもある。


「それは出来ませんな。大事な娘に傷をつけたとなれば、御父上に殺されましょう」

「冗談を仰ってる場合ではありません閣下ッ!」


 やんわり拒絶されてなお、エルシャは食い下がった。


「昨今の情勢は不安定です。我らが所属するシュタイン帝国連合は纏まりがなく、西のエリアル帝国は代替わりで拡大路線へ方針転換。海の向こうのコーデリア王国も、漁夫の利を狙っていることでしょう。いつ、この大陸全土が戦火に焼かれることになるか」


 世は乱世に向かっている。

 まだ大きな事件が起きてないだけなのだ。


「閣下は数少ない、貴き義務を知る貴族の一人なのです。此度の件で何かがあればまた乱世に一歩近づいてしまうでしょう。どうか、私をお連れ下さい」


 レーグネンベルク侯は首を横に振る。


「エルシャ殿、若くして先を見通すあなたこそ、これからの時代に必要なのですよ。死地へ連れ行くことは出来ませんな」

「っ! この話を私が持ち帰れば、我が主君ならば必ず増援を出して下さるはずですッ! それを待っても―――」

「アイゼンシュロス公ならば、そうして下さるでしょう。ですが支払える対価がこの地にはありません。また領地には不穏な噂があると聞いています。守るべき土地を離れるのは、立場を危うくしましょう」

「っ」


 時間です、と重鎮の一人が告げた。

 予定を変更するつもりはないらしい。


「エルシャ殿、一つお願いがあります」

「何でしょうか」

「夜になれども私が戻らない場合。この書をあなたの主君に届けて頂きたいのです」


 差し出された手紙。

 その意味は察するに余りある。


「我が息子たちではこの地を治めるには力不足。アイゼンシュロス公の庇護下に加えて頂きたい」

「っ、分かりました。伝令の端くれとして、必ずや届けます」

「お願いしますよ」


 エルシャは書を受け取り、レーグネン山に向かうレーグネンベルク侯と精鋭300の軍勢を見送ることしか出来なかった。








 同日・昼。

 師匠イシュタルの下を離れたリックは山を下り、レーグネンベルク侯国を訪れていた。

 ここに来たことに特に理由はない。

 山奥から出てきたらそこにあった。それだけ。


 路銀のため適当な魔物の死体を幾つか用意し売却すると、そこそこまとまった額が手に入る。

 一匹につき動物一頭から二頭を屠殺したに等しい物資を得られると考えれば、そこそこの値段がつくのも当然といえた。


「お姉さん、串焼き三つ」

「やだよお姉さんって歳じゃないわ。150ゴルね」

「はい。この辺りで泊まれるとこあったら教えて欲しいんだけどいい?」

「この裏のルチナってとこがいいとこだよ。隣に娼館もあるしねぇ」

「ありがとう。娼館もいいとこ?」

「さてねえ。あたしにゃ用がないから分からんよ」

「それもそうか」


 露店で消えものを買いつつ、雑談ついでに情報を集める。


「んー、なんか活気なくない?」

「そうだねぇ、実はレーグネン山で強い魔物が出てねえ」

「レーグネン山?」

「あそこ」


 露店の女性が指さした先に視線をやると、城壁の向こうに不気味な雰囲気の山が見えた。


「今朝、領主様と騎士・兵士300名が向かったってさ。とはいえ、それで解決するかっていうと難しいだろうね」

「何で? 領主様が出撃したんでしょ?」

「レーグネン山踏み入るな、って言葉があるのさ。攻めたら返り討ちに遭うってね」


 山中で戦うのは平地と比較にならないぐらい厳しい。


「そりゃ心配だね」

「全くさ。領主様のご子息は評判が悪くって。領主様が今回のことでお亡くなりになったらと思うと、気が気でない感じだよ。もう若くないのに。あ、焼けたよ。ごめんね、少し焦がしちまった」

「ちょっと焦げてるぐらいがパリパリして美味しいでしょ。むぐ、うん、美味い」

「それは良かった」


 串焼きを食べながら街並みを眺めつつ、考える。


 魔物相手に重要なのは兵数ではない。

 適切な魔法攻撃を使える人の有無だ。

 どれだけ強い魔物でもちゃんとした編成なら、人数は十名もいれば事足りる。


 百以上連れて行ったなら、物量で押すしかないと判断されたことになる。

 砲も投石用の兵器も山中では輸送できないので、魔法攻撃以外だと最大火力は弓か槍。騎士は馬から降りざるを得ない。


 不確定要素は魔物の強さ、兵士の強さ、そして指揮官の優秀さか。


 ざっと考えた限り最良で敗走、最悪は全滅。出兵からは四時間経過。

 優秀な指揮官と兵士ならばまだ持ちこたえてる可能性が高い。


 リックとしては助けてあげたいところだ。


『誰かを助ける時は言い分を用意せよ』

『言い分?』

『理由じゃな。お金、女、名や恩を売る、敵対者が気に入らないとか、過去に因縁があるとかでもよい。何でもよいが無償はやめよ』

『無償で助けるとどうなるの?』

『神でも手の負えぬことになろう。世には善意に付け入る悪意をもったやつが多いこと多いこと。本当に助けるべき人を助けられなくなるのでな』


 そんな師の教えがあるが、今回は大丈夫だ。

 貴族に恩と名を売るためと言えばいい。褒美目当てでも。

 リックとしては正直、全部どうでもいいが。


「行くか」


 都市外に出るべく歩き出したリックは、不穏な人だかりに遭遇する。

 何やらトラブルのようだ。


 中へ入っていくと、中央で男女一組が言い争いをしていた。

 派手な装いに身を包んだ二十代後半の男と、白髪に軍服の十代後半の少女。どちらも一般市民でないのは帯剣してることから、見て明らかだった。


「良いじゃないか、一伝令には過ぎたる話だろう?」

「親の権力で女性に言い寄るのは品がないと教わりませんでしたか?」

「チッ、いいから来いって言ってるんだよッ! オレが誰か分からないわけじゃないんだろうッ!」


 リックは小声で近くの人に話を聞く。


「領主グンター様の嫡男、インガル・フォン・ヘルダー様だ。あっちの女の子は分からない。ああ、可哀想に。領主様と違ってインガル様は荒っぽいことで有名で」

「誰も助けに入らないのは、関わりたくないからか?」

「そうさ。貴族様の邪魔をするのは、賢い選択とは言えないからね」


 やがてインガルは腰から剣を抜き、魔力を巡らせた。


「ここでやる気ですか」

「オマエが悪いんだぞ、オレからのありがたい誘いを断るからッ!」


 少女は剣を抜くことなく、魔力を高める。


 野次馬は青ざめた顔で一目散にその場から離れるが、リックはその場に立ったまま。

 山へ向かった領主一行のことは気になるが、このトラブルも放っておく気にはなれなかったのだ。


 白髪に軍装の少女は落ち着いており大丈夫そうに見えるが、本当にそうかは分からない。二人の実力が分かるまでは観察するつもりだった。


「”炎弾三門”」


 インガルは少女へ、魔法で作り出した炎の魔弾を三発放つ。

 それをどこからともなく飛来した三つの氷の槍が貫き、霧散させた。氷の槍は消滅することなく、路地に突き刺さる。


「ちっ、”炎弾五門”」


 さらに炎弾が放たれるが、少女は氷の槍を一振り引き抜くとそれを振り回し、魔弾を打ち払った。


「”炎弾十門”ッ!」


 今度は十発の炎弾が少女に襲い掛かる。

 氷の槍二振りが一人でに浮遊するように引き抜かれ、飛翔して六発の炎弾を消し、残り四発は少女が手元の槍で打ち払った。

 握った氷の槍は砕け霧散するが、飛翔した氷の槍二つはそのままインガルの足元に突き刺さる。


「っ」

「お互い、怪我したくはないでしょう? この辺りでおやめください」


 実力差は明白。どうやら少女の方が圧倒的に強いようだ。

 それを確認したリックはこの場を離れようとした。


「すまし顔しやがってふざけんなッ! 馬鹿にしやがってッ!」


 インガルの魔力が高まる。


「”炎王烈覇”ッ!」

「っ、そこの人、逃げてッ!」

「え?」


 インガルを中心に全方位に炎が撒き散らされた。

 それがリックに直撃し爆破。地面を転がることとなる。

 少女の方は氷の壁を作り切り抜けたが、目を細めた。


「関係ない人を巻き込むなんて。貴族としてのプライドはないのッ?!」

「はぁ? オレのために犠牲になれたんだから名誉だろ」


 インガルは平然とそう答える。


「っ、領主様は命がけで魔物狩りへ行くのに、そのご子息は街で遊び歩いて魔法をふりかざす。どうして?」

「親父みたいなこと言うんじゃねえよ、オマエは黙ってオレに従えばいいんだッ!」


 少女は泣きそうな顔をしてリックに駆け寄る。

 インガルに怒鳴り返されたことではなく、もっと別の何かに覚えた悲しみだった。


「待ってて、すぐ治癒をかけるから―――え?」


 駆け寄って初めて少女は気が付く。

 炎の魔法が直撃したはずのリックの身体と服、身に着けたバックパック。


「これさ、俺、喧嘩売られたってことでいいんだよな」


 呟き、立ち上がるリック。


「あ? そこにいる方が悪いんだろうがッ!」

「つまり、買っていいってことだよな」


 インガルの返答は意図的に無視して魔力を高める。


「やる気か? この、”炎弾三―――あがっ?!」

「遅い」


 極小の雷撃がインガルを撃ち抜いた。

 魔法攻撃としては大した威力はないが、痺れさせ昏倒させる効果を付与してある。魔法攻撃に対しカウンターされたインガルは防御できず、あえなく気絶。


 もっとも、炎弾を扱うのに詠唱による補助が必要になる程度の腕なら、普通に打ち込んでも防ぐのは不可能だっただろうが。


「そこで寝てろ。次は気絶じゃ済まさない」


 聞こえてるとはもちろん、思っていない。

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