第25話「願いごと」

「如月を、如月を戻してほしい」

「は?」


 黒猫はわけが分からないと眉間に皺を寄せた。


「記憶を消さないどころか、彼女を戻せ? 意味分からないんだけど。どういう心境の変化?」

「それはっ」

「もし戻したら、お前、今度こそ死ぬよ?」


 分かっていたことだが、実際に言われると、心が締め付けられた。人間の生への本能だろうか。


「まあ、嘘だけど」

「えっ」


 黒猫は目を細めて、オレを見据えてきた。


「一度なくなったものは、どんな代償を払おうが、二度と元には戻らないんだ。死んだ生き物が生き返らないように……」


 黒猫の声に、薄ら怒気が含まれているように感じ、オレは鳥肌が立った。


 確かにそうだ。

 死んだものは生き返らない。

 それが自然の摂理だ。


 でも――


「如月は死んだのか」


 黒猫はその問いにギョッと肩をすくめた。オレたちの間に生暖かい沈黙が流れた。黒猫はしばらく黙り込んでいたが、ふうっと浅く息を吐くと、クスリと口角を上げた。


「お前、わりと鋭いね」


***


「一見、ぼーっと生きてる人間かと思ったけど、陰険で性格が悪いだけはあるよ」

「……陰険で性格が悪いって」

「女の子にあんなことするなんて、相当陰険で性格悪いと思うけど」


 黒猫は悪びれることなく、にゃははと笑った。何も言い返せない。くっそ。


「お前がこれからどんな選択をして、人生歩んで行くのか、ちょっと見てみたくなってきた。だからもう一度だけ、サービスしてやっても良いよ」

「ほんとかっ」


 オレは藁にもすがる思いで、黒猫に飛び付いた。


「あだだだだ、だから苦しいってのっ」


 黒猫はイラッと爪を立てて、鮮やかに腕を振り上げる。オレは慌てて黒猫を離した。


***


「簡単に説明すると、ボクの能力は『時間を戻す』ことなんだ」

「時間を?」

「お前が命拾いしたのも、大怪我する前の時間まで、お前の体の時間を戻したからだよ」


 オレは自分にそんな超常現象が起こったことが信じられず、思わず自分の体をあいこちさすってみた。


「まあ、服までは面倒見れなかったけど」

「もしかして、如月が消える前に、時間を戻すってことか」

「そうそう。ただ時間を戻すにも限度があるし、戻す長さに代償の大きさも比例すると思う」

「思う?」

「代償に持っていかれるものは、ボクにも分からないんだよ」


 黒猫はこの非常時にふわぁっと欠伸した。なんてやつ。神様なのになんていい加減なんだ。いや、神なんて実際いい加減で、適当な存在なのかもしれない。


 それでも――


「基本的に代償は、対象者のどこかしらの『一部』なんだけど、何であの女が消えたかは分かんないね」

「どこかしらの一部って?」


 黒猫は可愛らしく首を傾げた。


「お前の『目』かもしれないし、『腕』かもしれないし、『内蔵』かもしれない……『心臓』や『頭』なら最悪今度は本当に死ぬかもね」


 黒猫の表情は笑っているのに、目の奥は笑っていなかった。


「言っておくけど、もし心臓を持っていかれて、死ぬようなことになったら、もうその時は知らないよ。ボクも生き物を生き返えしたりはできないし、この奇跡は無効になるし、彼女も戻らないかもね」


 何を持っていかれるか分からない。命を賭けたギャンブルのようだ。最悪、自分も死ぬし、如月も戻らないかもしれない。


 それでも。


「さあ、お前はどんな選択をするの?」


***


 高所からバンジージャンプをする何倍もきっと勇気がいる。普段のオレなら、きっとこんなことは選択しない。でも――


「やる。時間を戻してくれ」


 黒猫は薄く微笑んで、こくりと頷いた。


「じゃあ、いっくよーっ」


 黒猫がそう叫ぶと、黒猫の大きく開いた目がカッと光った。あまりの眩しさに、オレは思わず目を瞑った。


 しばらくして網膜に光を感じなくなり、目を開けると、辺りはシーンと静まり返っていた。目の前にいた猫はもう居なかった。目は見える。目は持っていかれなかったようだ。


 気が付けば、オレはあの石階段の途中に立っていた。


 ――今はいつ?

 本当に時間が戻ったのか。


 急に時が動き出したように、オレはそのまま、ガクッと階段を降り切った。


 その時――


 道路の曲がり角から、もの凄い勢いでトラックが走ってきた。街灯の光がここまで届いてない。


 次の瞬間――


 先程の黒猫は鳥居の上に姿を現し、寝そべりながら欠伸をした。


「あーあ、今度は本当に死んじゃった。運のないやつ」


つづく



 

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