第22話「黒猫」

 オレはその鈴の音を頼りに、必死で暗く染まり始めるた、神社の敷地内を走り回った。


 完全に日が暮れたころ、見知った場所に出た。


(このお堂と鳥居……見覚えがある)


 その古ぼけた鳥居の先には、あの長い石の階段が下に伸びていた。


(ここだっ。ここから確か、オレは落ちた)


 階段から見下ろすが、奈落のように下がよく見えない。確かに、この高さから下まで転げ落ちたら、無事ではすまないだろう。


 オレは自然と背中が冷たくなった。

 

 どうしてオレは無事だったんだろう。服は汚れていたが、傷一つなかったのだ。どう考えても不自然だ。


「また、今にも死にそうな顔してるな」


 突然後ろから少年の声が聞こえて、オレはおもむろに振り返った。


 だか、背後には誰いない。

 また、空耳?


 そんなはずない。

 こんなにはっきり聞こえたのだ。


「こっちだよ、こっち。本当鈍臭いな! そんなんだから、階段から落ちて死にかけるんだよっ」


 嘲笑混じりの高い声が、空から聞こえた。オレは反射的にその声の方に視線を向けた。


 正確には空ではない。


 背後の鳥居の上に、ちょこんと乗る物体が、可笑しそうにケタケタ笑っている。


 ――黒猫?


 どう見ても猫だ。

 猫? 猫が喋っている?


 そんなわけない。そんなわけ。オレはまた悪い夢でも見ているんだろうか。絶対におかしい。あの祭りの日から。正確にはあの祭りの日、階段から転げ落ちてからだ。オレはどうにかなってしまったんだろうか。


 とにかく逃げなければ、ここから離れなければと思うのだが、足が動かない。


「あっ」


 この非現実の前に、上手く声が出せない。


「ボクのこと忘れちゃったの? 薄情だなー。せっかく助けてやったのに」

「な、なんで猫が喋って……」


 何とか絞り出したのは、その言葉だった。


「そりゃ喋るくらいするさ、ボク神様だし」

「……か、神?」

「そうだよ」


 これは夢だ。きっと夢だ。白昼夢を見ているんだ。


「夢と思いたいなら、そう思えば。で、何しに来たの。お前みたいなやつが来ると鬱陶しいんだけど」


 オレはまとまらない思考を何とか落ち着かせるため、深呼吸した。夢――夢でもいい。


「……助けたって、どういうことだ」

「死にたくないって願ってたじゃん。お前、もうすぐ死ぬところだったんだよ」

「もしかして、あれ、夢じゃなかったのかっ」

「図々しいな、夢かと思ってたの? 後、数秒後には、息絶えてたと思うよ」


 なんてこと。本当に死にかけてだんだ。


「それをボクが救ってやったわけ。感謝して、崇め讃えてよっ」


 えっへんと、黒猫は鳥居の上で胸を張った。


「どうして」

「だって、お前があんまり哀れだったからさ、ボク優しーっ」


 その黒猫の態度は、オレが想像する神様のイメージからはかけ離れていた。


 どっちかって言うと――あっ!


「代償、代償を貰うって言ってなかったかっ」


 黒猫はその質問で、馬鹿笑いをやめ、オレをニヤリと睨んだ。


「覚えてたんだ?」

「……代償って」

「代償が何になるかは分からないんだ。ロシアンルーレットみたいなものだよ」

「まさか」


 オレにはある予感があった。


「あの『如月心乃香』って女、代償として持っていかれたみたいだね」


つづく

 

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