慶次

〇場所不明・暗闇(時刻不明)

   庭師が立っている。こちらに向かって軽く会釈してから、話し始める。


(庭師):

「慶次さんのお爺様は、さる会社の社長さんでした。巨大企業というほどではありませんが、程々に名前の通った大会社でした。慶次さんのお父様も、後を継ぐべく、お爺様と行動を共にすることが多かったようです。家には滅多に顔を出しません。

 ご兄弟は多かったのですが、慶次さんが後妻の連れ子だったせいもあり、ご兄弟の中では孤立しがちでした。特に冷たくされることはありませんでしたが、他のご兄弟のように、仲良くじゃれあうようなこともありませんでした。お母様(澄江さんと仰います)とご自身だけが、ご家族の中から浮いているような気がしていました。そんなご事情ですので、お母様が妊娠されたときは、大変喜ばれました」


〇総合病院の産婦人科・待合室(昼)

   澄江の診察が終わるのを待っている慶次。そのそばを夜勤明けらしい若い女性看護士(庭師と同じ顔)が、あくびをしながら通り過ぎる。


慶次の心の声:

「なんか、味方が増えるっていう感じだよな……」


(庭師):

「しかし、やはりというべきか、他のご兄弟たちの反応は冷めたものでした。

 お母様から、まだ生まれて間もない弟さんを抱かせてもらった時は、感動しておられました」


〇総合病院の産婦人科・病室(昼)

   ベッドで体を起こしている澄江のそばで、赤ん坊を抱いている慶次。


慶次の心の声:

「俺がこいつを守ってやるんだ……」


(庭師):

「他のご兄弟たちの反応は、既に肌で感じていたので、この大事な家族を、ご自身が守らなければいけないと思われたのです。

 弟の礼次さんも、大きくなるにつれ、他のご兄弟たちからは、孤立していきました。礼次さんは、慶次さん以上にお母さん子で、いつもお母様にべったりでした。小さな感受性の強い頃に、周囲から疎まれるような視線に囲まれていれば、そうなってもしかたがありません。慶次さんは、お母様を取られたような感覚を覚えてさみしさも感じましたが、弟さんに対する使命感から、それを抑えました」


〇学校・グラウンド(夕)

   ユニフォーム姿の慶次が、チームメイト(庭師と同じ顔)に向かって叫び声をあげている。


慶次:

「こっちだ! パス! パス! おっそい!!」


(庭師):

「慶次さんは、体格に恵まれていたので、中学校から初めたサッカーで、周囲の注目を集めるようになりました。成績もよく 、他のご兄弟たちと渡り合って大きくなったので、社交性もありました。当然、学校では異性からよく好かれました。

 一方で、末っ子気質の礼次さんは、お母様譲りの整った容姿と品のある雰囲気を持ちながら、社交的な慶次さんとは対照的に引っ込み思案でしたが、お二人はとても仲の良いご兄弟でした」


〇競技場・グラウンド(昼)

   試合中らしい慶次、ユニフォーム姿で、ガッツポーズをしている。


慶次:

「うし! 勝ったぁああ!!」


(庭師):

「サッカーの試合が、ついに全国大会にまで届いた時、それまで疎遠だった他のご兄弟たちが、親しげに話しかけてくるようになりました。慶次さんは、うって変わったその態度に、打算的なものも感じましたが、小さい時からずっと叶えられなかったものが、叶ったような感覚を覚えて、嬉しかったようです。ますます、サッカーに打ち込むようになりました。しかし、その頃から、段々礼次さんとは、すれ違うことが多くなっていきました」


〇慶次の実家・玄関(朝)

   慶次が、家から飛び出していく。澄江が、その背中に向かって声を上げている。


澄江:

「慶次! 待ちなさい! ちょっと…、あー、行っちゃった……」


(庭師):

「お母様が、見かねて、慶次さんに声をかけようとするのですが、まだ子供の慶次さんに、夢中になっているものから他に注意を向けろと言っても、酷なものです。お母様もそれをわかって、あまりくどくどとは、言えませんでした。まして、他のご兄弟との軋轢も、充分すぎるほどわかっておられたのです」


〇慶次の実家・礼次の部屋(朝)

   礼次が、ベッドでごろごろしている。


礼次の心の声:

「最近、慶次兄さんと口聞いてないな……」


(庭師):

「引っ込み思案の礼次さんは、寂しい時間を過ごすことが多くなりました。たまに慶次さんを見かけても、すぐにサッカーの練習に飛び出していってしまうのです。

 ある時、慶次さんの試合の日、朝早くから支度をして、バタバタとでかけていく物音を聞きました。その日は休日でした。いつもは、夜ふかしが多いこともあり、休日の朝は、ゆっくりの礼次さんでしたが、慶次さんの慌てるような様子が気に掛かり、澄江さんのいるキッチンに出てきました」


   礼次が、キッチンに入ってきながら、澄江に話しかける。


礼次:

「慶次兄さん、試合なんだっけ?」


澄江:

「(食事の支度の手を止めずに)

 ああ、そう、なんだか寝坊したらしくって、慌てて出て行ったわよ」


礼次の心の声:

「(なんとなく視線を巡らせながら)

 珍しいな……」


(庭師):

「礼次さんは、見慣れたサッカーシューズを入れた袋が、ソファーの上にあるのを見つけました」


礼次:

「あれ? これ慶次兄さんの?」


澄江:

「(振り返って)

 あら、やだ。あの子、サッカーシューズおいてっちゃったわ、試合どうするつもりかしら」


礼次:

「僕が持って行ってあげる。試合どこでやるの?」


(庭師):

「礼次さんは、お母様から慶次さんが試合をする場所を聞き、サッカーシューズをひっつかんで、家を飛び出しました。普段、あまり走ったりしないので、すぐに息が切れましたが、シューズを受け取った時の慶次さんの笑顔が目に浮かんで、夢中で走ります。公園の裏手の道路を横切ると、近道になるはずなので、公園の茂みをかき分けて、道路に飛び出しました。

 と、そこに明らかにスピードオーバーの車が、通りかかりました」


〇競技場・グラウンド(朝)

   サッカーの試合中の慶次。悔しそうに、地面を蹴っ飛ばす。


慶次:

「あー、くっそ!」


(庭師):

「サッカーシューズを忘れた慶次さんは、試合で普段の実力が出せず、散々な思いをしていました。出掛けに、ちゃんと持ち物を確認しなかったご自身を呪っていたとき、チームの監督さんが、慶次さんを呼び止めました」


監督:

「慶次、すぐに家へ帰れ!」


慶次:

「え、シューズなくっても、自分は大丈夫です!」


監督:

「そうじゃない。弟さんが、事故にあったんだそうだ」


慶次の心の声:

「なんだって? なんだあいつ、おっちょこちょいだな……」


〇総合病院・受付(朝)

   礼次の病室を聞いている慶次。少し不穏な空気を感じるが、気にしない。


(庭師):

「監督から聞いた病院へ行き、受付で聞いた病室に入って行きます」


〇総合病院・病室(朝)

   慶次が、病室に入ってくる。悲しげな、獣のうめき声のような声が聞こえてくるので、不思議な顔をする。


(庭師):

「慶次さんが病室に入って行くと、お母様の、嗚咽のような泣き声が聞こえました。まるで、人の声ではないように、慶次さんには聞こえました」


慶次の心の声:

「なんだ、やけに大げさだな……」


(庭師):

「しかし、慶次さんは、冷たくなった礼次さんを見て、言葉を失いました。

 暫くは何も考えられませんでした。礼次さんがなぜ事故にあったのか、経緯を聞くと、サッカーを続けることもできなくなりました。

 周囲の人達は、ご兄弟含め、慶次さんに気にしないようにと言い、慶次さんご自身のためにも、礼次さんのためにも、サッカーを続けることを強く勧めましたが、慶次さんは頑としてそれを拒みました」


〇慶次の実家・リビング(昼)

   長男の浩司が、慶次に向かって、サッカーを続けるように話している。


慶次:

「色々と気を使ってくれてありがとう、兄さん。でも俺は、もう二度とサッカーボールを蹴ることはないよ」


(庭師):

「大好きなサッカーを絶つことが、礼次さんへのせめてもの償いだと思ったのです。また、そうでもしないと正気を保っていられないと思いました。なぜ、礼次さんが周囲への注意を怠る程、夢中になってシューズをご自身に届けようとなさったのか、その理由が慶次さんにはわかったからです」


〇慶次の実家・慶次の部屋(夜)

   慶次が、自分の部屋のベッドで、枕に顔を押し付けて泣いている。


慶次の心の声:

「俺が、ずっと礼次を放っておいたからだ……。なんで俺は礼次を誘ってやらなかったんだ? 礼次とサッカーやってた方が、全国大会なんかより、ずっと楽しかったはずなのに……!!」


(庭師):

「ご自身が、礼次さんに寂しい思いをさせてしまっていたから、礼次さんは、周囲への注意が散漫になってまで、ご自身に早くサッカーシューズを届けようとしたのだとわかったのです」


〇慶次の実家・門の辺り(夜)

   突然、ガラスの割れる音が響く。家の前を通り過ぎようとしたお坊さんらしい男性(庭師と同じ顔)が、驚いてそちらの方に顔を向ける。


澄江:

「慶次!」


〇慶次の実家・慶次の部屋(夜)

   慶次の部屋に飛び込んでくる澄江。慶次が、割れた窓ガラスのそばに立っているのを見て、一瞬声を失う。慶次の右こぶしから、血が出ている。


慶次:

「ごめん、母さん。ちょっと窓をこづいたら、割れちゃって……。すぐ片づけるよ」


   慶次を制止して、割れたガラスを片づける澄江。


澄江:

「いいから、あんたは傷口を洗っていらっしゃい。ガラスの破片でも入っていたら大変だから……。ガラスは、私がやるから……」


慶次:

「(大人しく従って、部屋を出ていきながら)

 わかった。ありがとう、母さん」


   慶次が出て行った部屋で、澄江がガラスを片付けている。


澄江の心の声:

「(目から涙が溢れている)

 お礼なんていいのよ、お礼なんて……」


   澄江が、ハッとした様子で、ぴしゃっと自分の頬を打つ。


澄江の心の声:

「だめよ、こんなんじゃ。私が慶次を元気づけないでどうするの……」


   慶次が、部屋へ入ってきて、澄江に後ろから声をかける。


慶次:

「大丈夫、母さん?」


澄江:

「(振り返って)

 何言ってんの! 大丈夫じゃないのはあんたでしょ! ホラホラ、窓にさわらないの! 段ボールで窓ふさいじゃうから、あんたはもうお風呂に入って寝ちゃいなさい、明日、ガラス屋さんに来てもらうようにするから!」


慶次:

「悪いね、母さん。それじゃ、風呂に入ってくる……」


   慶次が部屋を出て行ってから、澄江が割れたガラスの残りを箒ではきながら、泣かないように、歯を食いしばっている。


澄江:

「……」


(庭師):

「慶次さんは、ご自身の愚かさを呪う日々が続きましたが、お母様も慶次さんのお気持ちを察して随分と苦しまれました。そして、時間が経ち、少なくとも周囲からは普通に学生生活を送っているように見えるまで、慶次さんは回復しましたが、その実、常に深い喪失感を感じていました。時折笑顔は見せましたが、以前のように、お母様の前ですら声を上げて笑うことはなくなりました」


〇慶次の実家・慶次の部屋(夜)

   勉強をしている慶次。そばに置いてあるラジオから、外国のポップスが聞こえてきている。


(庭師):

「慶次さんは、長いことサッカーに打ち込んでいたので、一時期成績が落ちていたのですが、サッカーをやめ、その分勉強に打ち込んだので、遅れていた分を取り戻し、ついに学年トップを争うまでになりました。

 皮肉にも、そうした状態になって、やっとお父様が、親しげに慶次さんに話しかけてくるようになりました」


〇慶次の実家・リビング(夜)

   慶次に、親しげに話しかけている慶次の父親。


慶次の父親:

「最近、頑張ってるそうじゃないか。そろそろ、大学受験にも備えないといけないしな。大学は、どこを狙ってるんだ?」


慶次:

「ありがとうございます。いえ、特にまだ決まっていません」


慶次の心の声:

「別にどこでもいいけど……」


(庭師):

「慶次さんは、国立の難関校に受かりました。ご本人としては別にどこでもよかったのですが、良いところの方が、お母様が喜んでくれそうだったので、お母様の勧めるままに受験校を決め、特に苦労することもなく受かってしまいました。ご兄弟の中でその学校に入れたのは、慶次さんとご長男の浩司さんだけでした。

 大学を卒業するころ、お父様が、ご自身の会社へ入ることを勧めてこられましたが、断りました。お母様は、特に何も仰いませんでした」


〇慶次の実家・慶次の部屋(夜)

   眠れない様子で、ベッドに寝転んでいる慶次。


慶次:

「(うつろな表情で)

 そうだな、ちょっと変わった人間のいそうなところがいい……」


(庭師):

「慶次さんは、なんとなく普通とは違う人間と関われる仕事がしたいという思いから、マスコミ関係の仕事を探しました。そして、ラジオ局に就職したのです。ラジオ局に就職しても、喪失感は消えませんでした。それを埋めようと夢中で仕事をした結果、順調に出世しました。

 ローズさんに出会ったのは、そんな頃です」


〇大きな駅近くのガード下(夜)

   ローズが、通路のすみっこに座り込んでいる。


ローズ:

「(うつろな目で膝を抱えている)

 ……」


   慶次が、ローズの前を通り過ぎようとしたところで立ち止まる。


(庭師):

「ローズさんを見かけた慶次さん、驚いたような顔をして、ローズさんに見入りました。こんなところに座り込んで、しかも、どう少なく見積もっても、二~三週間は着たきりの服を着ているところを見ると、ホームレスのようです」


慶次の心の声:

「こんな子供が?」


(庭師):

「一方で、そのホームレスらしき少年に、唐白磁のような上品さを感じたのです」


慶次の心の声:

「礼次に似て……」


   慶次が、ローズの方に近寄って行って、声をかける。


慶次:

「随分可愛らしいホームレスだな、いくつよ?」


(庭師):

「慶次さんは、思わず声をかけました。初まりは、ここからでした」

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