第21話 推しとの家庭訪問 1

わたしとミミミちゃんはさおちゃんの家の前に立っていた。行くのが怖かったのに、結局ミミミちゃんに気圧されてやってきてしまっていた。しっかりと背筋を伸ばして立っているミミミちゃんのことをわたしは不安混じりに見つめていた。


「すいませーん。水島です」

呼び鈴を押して、ミミミちゃんが大きくてよく通る声で名乗っても、何の反応もなかった。

「留守かもしれないから帰りましょっか」

そう言ったけど、ミミミちゃんは動く気はなさそうだった。


「もう一度、今度はあなたが押しなさい」

「わたしが押しても水島さんが押しても同じと思いますけど……」

「良いから押しなさい。結果を変えるには行動を変えないといけないのよ」


ミミミちゃんの柔らかい手がわたしの手を掴んできたから、力が抜けてしまった。そのまま、ミミミちゃんに動かされるままに呼び鈴に指をかけさせられる。押さなきゃいけないのかな、なんて考えていると、あっ! と大きな声を出してミミミちゃんは2階の方を指差した。ミミミちゃんの指差す方向をみたけれど、わたしには何も見えなかった。


「どうしたんですか?」

わたしの疑問に答えてくれる前にミミミちゃんが叫び出した。

「庄崎咲桜凛っ!! 出てきなさいよ! 逃げてんじゃないわよ!!!」

さっきまで冷静なトーンで喋っていたミミミちゃんが声を荒げている。その様子を見て、慌ててわたしは宥める。


「ちょっと、留守だったんだから大声で呼んでも意味ないですよ!」

わたしは慌ててミミミちゃんを制止する。誰もいない家に向かって叫ぶなんて近所迷惑だ。ましてや、ミミミちゃんは声量がかなりあるのだから。


「留守じゃなかったわよ! あなたもさっきの見たでしょ? カーテンの隙間からこっち見てたわよ!」

「いませんでしたよ!」

反論した時には、すでにミミミちゃんの視線は2階に戻っていた。


「弱虫! 意気地なし! バカ!」

わたしのことなんて気にせず、無人のはずの2階に向けて悪口を吐き続けていた。ミミミちゃんのファンには絶対見せてはいけない光景だ。いや、まあ、わたしもかなり年季の入ったファンではあるのだけれど……。


さおちゃんのことを探しすぎて幻を見てしまっているみたいだから、もう帰ろうと思って声をかけようとした時に、2階の窓が開く。

「人の家の前でそんなに大声で騒がないでよ! 近所迷惑! 今からそっち行くから静かにして!」

さおちゃんが一瞬だけ顔を出してから、また窓を閉めてしまった。


「本当に2階の部屋にいたんですね……」

「ステージからファンの人たちを見られる距離はこんなにも近くじゃないからね。このくらいの距離で人影を確認するくらい余裕よ」

「すごいですね……」


普段からステージの上から客席を見渡しているミミミちゃんには戸建て住宅の2階なんて、至近距離らしい。ほんの一瞬顔を覗かせただけのさおちゃんにだって、余裕で気づけるみたいだ。


感心していると、さおちゃんが勢いよく玄関ドアを開けて、地味な玄関サンダルでこちらに向かってくる。今にもミミミちゃんのことを引っ叩くのではないかと不安になるくらいの力強い足取りだったのに、わたしがミミミちゃんと一緒にいるのを確認したら、動きが止まった。


空気栓を抜いたみたいに、さおちゃんの中の怒りのエネルギーがクールダウンしていく。クルリと向きを変えて家に帰ろうとしたのは賢明だと思った。わたしも会うのが気まずかった。このまましばらく話ができる気もしないし。


「あっ、待ちなさいよ! 意気地なし!」

ミミミちゃんが声をかけても、さおちゃんは止まろうとはしなかった。そんな様子を見ても、ミミミちゃんは慌てることはなかった。


妖艶にクスッと微笑んだミミミちゃんの中で、何かの感情のスイッチが入ったのがわかる。ビックリするくらい綺麗な横顔を間近で見せられて、わたしは思わず息を呑んでしまった。


「待ってくれないとこの子、もらっちゃうけど?」

普段の冷静な調子に戻ったミミミちゃんは突然わたしの背中に手を回してきた。スラリと背の高いミミミちゃんは、社交ダンスみたいに器用にわたしの体を反転させて、わたしの顔を真正面に見えるようにする。


「!?」

ミミミちゃんの瞳がすぐ近くでわたしを見つめていた。真正面から、ミミミちゃんの鼻筋の通った綺麗な顔を見せつけられて、鼓動が早くなる。


動揺している間も無く、ミミミちゃんがわたしに顔を近づける。長い黒髪がわたしの鼻先に触れて、ワッと甘い匂いが入ってくる。思わずクラリとその場に倒れ込んでしまいそうだったけれど、ミミミちゃんがわたしのことを支えてくれているおかげで、なんとか立っていられた。


(すごいっ、ミミミちゃんすっごい良い匂いだ……!!!)

本当に同じ人間か不思議になるくらい、ミミミちゃんは良い匂いがしていた。推しのアイドルの匂いを間近で嗅げるだけでも訳が分からなくなりそうだけど、ミミミちゃんはもっと大胆なことをする。

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