第20話 推し変 4
ミミミちゃんにサインをしてもらったフォトブックをベッドの上に乱雑に放置してしまうくらい、さおちゃんのことが気になってしまっていた。一応さおちゃんのアイドルとしての個人SNSアカウントを見てみるけど、やっぱり何も情報発信はしていなかった。ネットにはファンの困惑の様子がたくさん流れているけれど、活動休止についての詳細情報は公式にはどこにも載っていなかった。
さおちゃんは本当にアイドル活動をやめてしまうのだろうか。もう推しはやめているけれど、それでもさおちゃんのことは当然気になってしまう。あれだけ一生懸命努力してまでなりたかったアイドル活動をやめるほどの事情が何かあったのだろうか。
わたしは先日のさおちゃんが感情的になっていた電話を最後に、さおちゃんと連絡を取れていない。だから、今さおちゃんが何を考えているのかはわからなかった。ただ、この間のわたしとの電話がさおちゃんの気持ちに何か影響を与えていたとしたら申し訳ないな、と思った。
あれだけアイドルを目指して頑張っていたさおちゃんが、わたしがさおちゃんのライブに行ったり、推しをやめたりしただけでアイドル活動をやめてしまったなんて考えづらいけれど、あれだけ感情的になっていたし、何か活動をしたくなくなるくらいショックなことがあったのかもしれない。
一度家まで行って様子を見にいくべきかもしれない。さおちゃんの身に何があったのか、友達として、きちんと確認すべきなのだと思う。とりあえず、家を出て、さおちゃんの家に向かう。けれど、向かっていくにつれて、少しずつ足は重くなっていった。
この間のこと、まだ怒っていたらどうしようか……。普段怒らない、優しいさおちゃんがあれだけ苛立っていたのだ。もしかしたら1週間経った今でもわたしと会いたくないのかもしれない。それに、推しをやめるなんていった手前、アイドル活動を休止するさおちゃんにどんな言葉をかければ良いのかもわからなかった。
歩くペースはどんどん落ちていった。それでも、なんとかさおちゃんの家の下にやってきたけれど、そこから呼び鈴を押すことはできなかった。呼び鈴に力無く指を乗せているだけの時間が数分あってから、わたしは大きく息を吐き出した。
「やっぱり押せないや……」
わたしにはまださおちゃんと会って、ゆっくり話をできる度胸なんてなかった。そっと指を呼び鈴から離して帰ろうとしたときに、上からいつもの声が聞こえてきた。
「待って! 杏子ちゃん! 会いに来てくれたんだよね?」
諦めて踵を返して帰ろうとしたのに、2階のさおちゃんの部屋から、大きな声で呼び止められてしまった。だけど、わたしはまださおちゃんに会うための心の準備はできていなかった。反射的に逃げてしまう。
2階から降りて靴を履くまでの時間を考えたら余裕で逃げ切れそうだとは思った。だけど、ダンスのために毎日欠かさずにトレーニングを重ねた脚力は、わたしが思っていた以上に凄かった。
「速っ!?」
後ろをチラリと振り向くたびに大きくなるさおちゃんの影。小学生の頃はどちらかといえば走るのは遅い方だったさおちゃんは、アイドルになるために頑張ったおかげで、随分と足腰も強くなったらしい。
そっか、さおちゃんはわたしと違って、いっぱい努力して、たくさん成長したんだな、なんてことを息を荒げながら考えてしまう。開いていた差はすぐに縮まり、追いつかれそうになる。そして、公園の中を通ろうとして、わたしが階段を降りようとした時にさおちゃんは追いついた。
「待ってってば!」
わたしのことを捕まえようとしたさおちゃんは、思いっきりわたしの背中を押してしまった。
「あっ」とわたしとさおちゃんが同時に声を出す。
勢いよく階段で背中を押されたわたしは、跳ねるようにして、10段の階段を3段飛ばしほどで降りたのだった。大きな怪我はなかったけれど、降りるときに軽く足をグネってしまった。階段の上で泣きそうな顔で見ているさおちゃんは、それ以上わたしに近づこうとはしなかった。
わたしは推しだった子に押されてしまった。そんな気まずいことがあったせいで、いよいよしばらくさおちゃんと会うことなんてないと思っていた。さすがにもう一度さおちゃんの家に向かうなんてできないだろうと、足をグネった直後のわたしは思っていた。
だけど、次の日、なぜかわたしは推しのアイドルのミミミちゃんと街中で出会ってしまい、一緒にさおちゃんの家の下に来ていたのだった。
長々と語ってしまったけれど、こういう経緯があって、わたしはあの有名アイドルミミミちゃんと一緒にさおちゃんの家に訪問することになったのだった。
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