第19話 推し変 3

週末になり、わたしは予定通りミミミちゃんのサイン会に向かっていた。先週、さおちゃんから怒りの電話が来たにも関わらず、変わらずにミミミちゃんのイベントに参加しているわたしはとんでもない裏切り者だと自分でもわかっている。でも、こうでもしないとわたしの頭はさおちゃんでいっぱいになってしまうのだ。


もちろん、さおちゃんのことを忘れるためにミミミちゃんのお渡し会に参加するなんて、ミミミちゃんに対しても失礼なことだということはわかっている。推しに対しても、元推しに対しても、わたしは不誠実なことをしてしまっている。それでも、こうするしか無いのだ。


ドキドキしながら、少しずつ近づいていくミミミちゃんをジッと見つめていた。長い時間をかけて短くなっていく列を少しずつ前に進んでいくと、ついにわたしの目の前にミミミちゃんが立っている場所までやって来れた。


「いつもありがとう」

ミミミちゃんは不誠実なわたしに対しても、いつものようなアイドルスマイルを投げかけてくれる。先日さおちゃんに向けていた怒っていた顔が嘘みたいに、可愛らしい笑みを浮かべていた。まるで、ミミミちゃんの表情の選択肢には笑顔しかないかのように、素敵な笑みを崩さなかった。


その笑顔にやっぱりやられてしまう。さおちゃんと連絡が取れなくなり、活動休止なんて異常事態になっていることなんてこの時点では露知らず、わたしはその原因となっているミミミちゃんの前でだらしない笑みを浮かべていた。


「わざわざわたしの方に来てくれてありがとうね」

「えっ、それってどういう……」

ミミミちゃんの声に反応してしまった。


この間はなぜかミミミちゃんから、わたしがライブに行ったことを聞いたかのようなことをさおちゃんが言っていたので、過剰に反応してしまった。ミミミちゃんはほんの一瞬だけ、意味ありげな笑みを浮かべたような気がしたけれど、すぐにまた先ほどまでの優しい微笑みに戻っていた。


「せっかくのお休みの時間を割いてまで、わざわざわたしに会いに来てくれてありがとねっ」

社交辞令だったみたいで、ホッとする。この間のさおちゃんとのことがあったから、てっきり何か別の意図があるのかと勘繰ってしまっていた。まるで、さおちゃんじゃなくてミミミちゃんを選んだことに対して、喜んでいるみたいな。


「いえ、そんな……」と曖昧な返事をしていると、突然ミミミちゃんがわたしに紙を握りしめさせた。

「ま、ほんとはこっちに来てくれると思っていたわ。帰ってから見てね」と言われて、わたしは困惑する。「あの、これは……」尋ね終わる前にスタッフの「時間でーす」という声がわたしの耳に届いてしまった。残念ながら、その紙の正体を知る前に、与えられた時間を使い切ってしまったのだった。


その日の帰り、家に帰ってからミミミちゃんからもらった紙を開いて確認したのは「これは、アイドルミミミとしてのものではなく、水島美々花からのものよ。だから、絶対に口外したらダメ」と書かれたものだった。


あまりにも綺麗に整った手書きの文字だったから、初めはてっきり印刷した文書だと思った。けれど、よく見たら、ボールペンで書かれたものだとわかった。そのくらい、ミミミちゃんの文字は美しかった。もっと丸い雰囲気の字を書くのだと勝手に思ってしまっていたから、かなりしっかりとした文字に少し驚く。字のイメージは想像していたミミミちゃんのものとはかなり異なっていた。


文字の書き方に驚いた後、冷静に文書の続きに目を通して困惑してしまう。

「一体なんでこんなものわたしにくれたんだろ……」

続きに書かれていたのは「絶対に登録しなさいよ」と書かれた文字と、メッセージアプリのIDだった。


推しのアイドルから連絡先をもらえるなんて、本当はもっと大きなリアクションを取らなければならないのだろうけれど、まったくもって何が起きているのか、理解が追いついて来ないせいで、ぼんやりとしてしまっていた。一体何の意味があって、ミミミちゃんはこんなものをくれたのだろうか。


少なくとも、一ファンに渡しても良いものでは無い。ましてや、あれほど徹底的にしっかりとしたアイドルの姿をファンの前で見せ続けているミミミちゃんらしく無かった。


首を傾げながら引き続きスマホを触り、目に入ってきたネットニュースの記事を二度見してしまった。

『シュクレ・カヌレのサオリン、活動休止へ』


「え?」と小さな声が漏れて、手元からポトリとスマホが落ちた。

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