第10話 ステップアップ 2

さおちゃんはファンの人たちの前でずっと笑顔を振りまいていた。普段からさおちゃんの心からの笑顔を見ているわたしにはそれが作り物の笑顔だということはわかるけれど、それでも人を元気にすることのできる可愛らしい、素敵な笑顔だと思う。そんな風に列に並びながら眺めていたけれど、わたしの順番になった瞬間、さおちゃんは外向けの笑顔を一瞬で解いた。


「杏子ちゃん、来てくれたの!? わざわざ並ばなくても握手なんていつでもしてあげたのに!」

わたしが触れようとする前から、両手を持ってブンブンと上下に振って、無邪気に笑っていた。

「わたしだけ特別待遇みたいなこと、言わない方が良いと思うよ。他のファンの人に悪いから」


一応わたしが握手会の最後尾だったから、周りのファンの人には聞こえていないだろうけど、不用意な発言だと思った。逆に、もしわたしが推しが他のファンの人と明らかに分けて接しているところを見たら、嫌な気分になってしまいそうだった。さおちゃんもそれに気づいたのか、慌てて口元を押さえて、言葉を止めた。


「ごめんね、気をつける……」

せっかくの握手会の日なのに、さおちゃんがしょんぼりしてしまっていたから、わたしは慌ててフォローをする。

「まあ、推しの握手会にはちゃんとファンとして参加したかったからこの方がいいんだよ」

「嬉しい……。アイドルになって良かったぁ」


さおちゃんは、今度は優しく包み込むようにして、わたしの手を握ってくれた。わたしも包み込むように、ソッと手を添えて、お互いに優しく手を握り合った。他のファンの人よりも気合を入れて手を握っているようにも感じられたけれど、少なくとも表面上はさおちゃんは他のファンの人にもしているのと同じような握手に見えたから、これは大丈夫そうだ。


自然と手を触れ合わせたことなんて、これまでに数えきれないほどあるけれど、こうやってお互いに意識しながら丁寧に手を触れ合わせ合うことは初めてだったから、変に緊張してしまう。目の前のさおちゃんが普段以上に可愛らしく見えて、思わず視線を逸らしてしまう。目を合わせたら変な気持ちになってしまいそうで、目を合わせられなかった。


「ありがとう」とお礼を言ってからさおちゃんの方をチラリとみると、さおちゃんの顔が真っ赤になっていることに気がついた。

「さおちゃん、暑いの?」

わたしが尋ねるとさおちゃんが、ハッとしたように慌てて答えた。

「え? あ、うん。ちょっと暑いかも……」

そっか、と納得したけれど、わたしはあまり暑さを感じなかったから、少しだけ不思議には思った。


「体調悪くないよね?」

「平気だよ。ちょっと暑いだけ」

「それならいいんだけど……」


体調が悪いのに無理してるんじゃないだろうか、と不安だったけど、とくにそんなことはなかったみたいで、握手会後のファンの人への挨拶の時にはいつも通りの堂々とした姿だったから、わたしの気のせいだったみたいだ。


そうして、さおちゃんは日々アイドルとして向上心を持って頑張っていた。そして、毎日真面目にがんばっているからだろうか、中学3年生の2学期が終わる頃、さおちゃんのSNSが突然バズったのだった。


ハロウィンのときに撮った不思議の国のアリスのコスプレ画像をあげていたものが、インフルエンサーに拡散されて、一気にバズったらしい。素の状態でも可愛らしいさおちゃんが、あざとさ全振りにしたコスプレをしているのだから、人気がでてもおかしくないとは思う。実際わたしもさおちゃんにバレないようにこっそり保存して、待ち受けにしていた時期もあった。


『リアルアリスじゃん』

『かわちい』

『即フォローしました!』

コメントに、さおちゃんへの賞賛の声が上がっていた。次々と反応は増えていき、瞬く間にさおちゃんの知名度は上がっていった。


わたしがさおちゃんにかけた「すごいね」という声の中に入っているのは、多分純粋な喜びだけではなかったと思う。さおちゃんの可愛さが世の中にバレてしまったことへのなんとも言えない感情が渦巻いていた。さおちゃんが離れて行ってしまうような、嫌な気分が湧いてきてしまう。


「やれって言われたからやっただけよ」

さおちゃんが少し照れたように髪の毛を指先で巻いていた。

「アリスコスのこと?」

「コスプレも、SNSも。わたしは別にやりたいわけじゃなかったし。こんなにたくさんの人に見られるの、なんだか怖いな。わたしは別にたくさんの人に見られたいわけじゃないんだけど……」

いきなりたくさんの人がさおちゃんの存在を知って、びっくりしてしまったのだろうか。なんだかさおちゃんは弱気だった。


元々はわたし含めて200人程しかいなかったフォロワーが、一夜にして一万人弱にまで増えていた。激増しているフォロワーを見て、もうさおちゃんはすっかり有名人になるんだろうな、というのがわかった。きっとこれから、彼女は売れる。それこそ、ミミミちゃんと同じステージにまで登るくらいまでに成長するのではないだろうか。


わたしだけの推しだったさおちゃんは、少しずつどこか遠くに離れていくように感じられた。目の前で少し儚げな表情で紅茶を啜っているさおちゃんが、アイドルを目指す前よりもずっと大人びて見えるのは、あの日から2年程の月日が経っているからという理由だけなのだろうか。

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