第4話 ミミミちゃん 2

「さ、庄崎咲桜凛さおりの家に早くいくわよ。案内しなさい」

声を聞いて、顔を見て、その子が誰かを確認したわたしはその場でペタリと座り込んでしまう。


「ミ、ミミミ、ミミミミミミッミミミミミッミミミミ……!!!」


ゆっくりと顔を上げると、手を腰に当ててこちらを見下ろす、スタイルの良いミミミちゃんが立っている。その姿を見て、さっきのリプレイみたいに、わたしは動揺してしまっていた。地面に思い切りスカート越しのお尻をつけながら、口をぱくぱくさせて、ひたすらミの音を吐き出し続けている。


そんな不自然な行動を街の往来でしていたら変な人だと思われるのはわかっているけれど、目の前にミミミちゃんがいるのに、色んな意味で落ち着いていられるわけがない。推しのアイドルが目の前に立っているから驚いているのはもちろんだけど、さっきまでメッセージでやり取りしていたミミミちゃんが目の前に立っている状況は不思議で仕方がなかったから、2つの意味で混乱していた。


「落ち着きなさいって。あたしはあんまり目立ちたくないんだから! ちょっと静かにしていなさい」

ミミミちゃんがわたしの口を手で覆って塞いだ。信じられない。あのミミミちゃんがわたしの口に手のひらを当てているなんて! 柔らかい手のひらが唇に触れて、ほんのり甘い匂い鼻先をくすぐる。カカオのような匂いが混じっているから、きっとチョコレートを食べたに違いない。


「チョコレート食べました?」

「食べたけど、なんでわかったのよ?」

いや、嗅いでみたら指から匂いが……、なんて変態的なことを答えられるわけもなく、「なんとなくです……」と曖昧に答えた。ミミミちゃんは首を傾げていたから、疑われる前に慌てて話を戻した。


「け、けど、なんでこんなところにいるんですか?」

「なんでも何も、これから庄崎咲桜凛の家に行くって言ってるんだから、この辺にいるのは当然でしょ? さあ、早くあの子の家に案内しなさい」

ミミミちゃんがわたしの手首を引っ張りあげて、体を起こさせて、無理やり歩き出そうとする。


あのミミミちゃんが握手会でもないのにわたしの手首に触れてくれていることを喜びたい気持ちは山々だったけど、まずはミミミちゃんがさおちゃんの家の逆方向に向かおうとしていることを指摘しなければならない。


「待ってください、さおちゃんの家はこっちですから!」

「それならそうと先に言いなさいよ!」

言う前に勝手に行こうとしてたから、言う時間なんてなかったのだけど……。


とりあえず、ミミミちゃんに代わって、わたしが半歩前を歩く。もちろん、手は繋いだりはしないし、触れることも烏滸がましくてとてもできない。距離も少し離れるようにしておいた。

「でも、水島さん、よくわたしのことわかりましたね。さおちゃんと一緒に一度会っただけだと思いますけど」

本当はミミミちゃんと呼んでしまいたいけれど、プライベートでアイドルの時の名前を言うのも憚られたので、堅苦しく苗字で呼ぶ。


「一度? あたしたち、もっとたくさん会ってるわよ。それこそ、あたしが庄崎咲桜凛に会う前から」

「そんなことないと思いますけど……」


ミミミちゃんのことはずっと一方的なファンだったから、当然個人的に会ったことはないはず。それなのに、ミミミちゃんは、苛立ちを顔に滲ませた。整った顔立のミミミちゃんは、苛立っていても綺麗なまま怒るのか、と少し感心しながら彼女の言葉を聞く。


「ねえ、わたしのライブにあんなにいっぱい来てたのに、会場に来たことすら記憶に残らないくらい、つまらなかったの? ショックなんだけど!」

「もしかして、ライブ見に行ったのも、会ったにカウントしてくれるんですか……?」

「当たり前でしょ。あたしはファンのみんなと会ってるのよ」

「水島さんって、来てくれたファンみんなの顔覚えてるんですか……?」

「さすがにそこまでの能力はないわよ。把握はするけど、記憶はしてない。でも、あなたはあたしが駆け出しの頃から、ずっと見てくれてるから、記憶に残っているわ」


体の芯から込み上げてくる喜びを頑張って押さえつけた。推しが自分のことを認知してくれていたなんて。ふわふわした歩き心地で、さおちゃんの家へと向かう。


推しが推し(だった子)の家にいくのを真横で見守ることのできるわたしは、なんだかドラマの世界を実体験しているような不思議な気分にさせてくる。これからきっとわたしの推しのミミミちゃんが、わたしが推していたさおちゃんの家に行き、熱いけれど優しい言葉を投げかけるのだ。そして、2人で抱きしめあった後に、さおちゃんが休止していた活動を再開するのだ。


そんな感動的なシーンを、わたしは観客として真横で見守ることができるところを想像する。なんて楽しみなのだろうか。復帰はきっと同じステージでするのだろう。そんなことになったら、わたしはお小遣いを全部使ってでも良い席を取らなければならない。そんなことを考えている間に、さおちゃんの家に着いていたのだった。

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