6、ぼく、今日は咳を一回もしなかったよ
「平民が図々しいわね」
「なあに、あなたも化粧をしたいの? お金が払えますの?」
貴族の令嬢が数人、フローラさんを囲んでいる。
「わたくしたちで化粧してあげましょうか?」
「くすくす、いいわね。かわいくしてあげてよ」
「まずはその平民くさい匂いをなんとかしなくては」
高圧的な顔をした令嬢が手に商品の香水を持って、蓋をあけて――うわ、全部かけるつもりっ?
「待ってください!」
私は慌てて令嬢たちの輪に走り寄った。
「フローラさんは皆様と同じく、エスカランタ公爵家のお客様です。ですから、私がお化粧いたします。さあ、こちらへ」
フローラさんの手を引いてアマンダお姉様のところに行くと、アマンダお姉様は扇をパラリと開いて口元を隠し、聞えよがしに笑った。
「あちらのご令嬢は香水の使い方をご存じないみたいね。毎回全部をかけていては臭くて周りの人が迷惑ですし、香水がいくらあっても足りませんわね? もう1品ご購入されては、いかが?」
「……!」
フローラさんに香水をかけようとしていた令嬢が顔を赤くして、「し、失礼しました……」と謝っている。商品ももう一個買ってくれて、意外と素直。お買い上げありがとうございます。
アマンダお姉様は「これで解決」と笑ってから、私に耳を寄せた。
「あなたの婚約者がお兄様と一緒にあちらにいるわよ、エリス」
「パーシヴァル様ですね。見ないようにします、お姉様!」
一瞬見てしまって、ぱちりと目が合う。
今日も眩い後光がさしているような、きらきら美形っぷりだ。
「け、化粧を始めますね。フローラさん」
「お願いします!」
そーっと目を逸らし、フローラさんに化粧を施していく。
フローラさんと目が合うと、すごく嬉しそうに微笑まれた。
「エリス様、ありがとうございました」
うーん、可愛いっ。
すっぴんでも可愛いけど、この可愛いフローラさんを私の手でさらに可愛くする……と考えると、わくわくが止まらなくなる。
「フローラさん、パーティに来てくださってありがとうございます。次はアイシャドウを塗るので目を閉じてくださいますか?」
「はいっ」
無防備に両目を閉じてじっとしているフローラさんは、従順だ。
自分に身を任せてくれている、と思うとなんだか庇護欲をそそられる。
こんな女の子だから、パーシヴァル様も好きになるんだろうな……。
ちょうど、離れたところにいるパーシヴァル様とレイヴンお兄様の会話が聞こえてくる。
「女性は私を見ていつもうっとりするのに、どうして彼女は私を見ないのだろう」
「妹はパーシヴァル様に興味がないのかもしれませんね。婚約は白紙にしてもいいのでは」
「レイヴンはなぜそんなことを言うんだい? 私はまともに彼女と話したこともまだないのだけど……そうだ。挨拶をしよう」
「パーシヴァル様。あちらは令嬢たちの神聖な化粧エリアですので、立ち入りはご遠慮ください」
レイヴンお兄様が「妹」と言ってくれるのが、嬉しい。
フローラさんの化粧も完成して、私は大満足だ。
「フローラさん、できましたよ! とっても可愛いです」
「わあっ、ありがとうございます!」
――喜んでもらえて、よかった!
それに、仲良くなれそうな感じがする。嬉しい。
* * *
パーティの終盤、お父様とお兄様は「婚約は辞退でいいのでは?」「何を言う。おじいさまの代からの約束なのだぞ」と語り合っていた。
「父上。こちらは他国の商人から購入した育毛剤です」
「何っ」
「父上……この育毛剤がほしければエリスの婚約辞退を検討してください」
「レイヴン。王家に娘を嫁がせるのは家門の名誉なのだ。譲れぬ」
見学席にいたノアはプレゼントをいっぱいもらったようで、「パーティ楽しいね」とご機嫌だ。
「お姉ちゃん、今日、人がいっぱいいたね。ぼく、今日は咳を一回もしなかったよ。いっぱいチョコレートをもらったよ」
ノアの手には、四葉のクローバーをモチーフにしたブレスレットがつけられている。パーティ開始時にはなかったものだ。
「ノア。そのブレスレットはどうしたの?」
「うん。そのお兄様がね、健康になるお守りだよって」
「そのお兄様?」
「こほん、こほん」
……んっ?
咳払いの音がして、振り返った私はぎくりとした。
「うぇっ、パーシヴァル様……‼」
なんと、そこにはパーシヴァル様がいた。兄が追い払ったとばかり思っていた。
白金の髪、アクアマリンの瞳をしたパーシヴァル様は、春風のような微笑をきらきらさせている。
「私たちは婚約者になったけど、初対面の挨拶もゆっくりできていなかったね。よかったらあちらで話さないかい」
あっ、笑顔が! 眩しいです!
「レイヴンは婚約に反対みたいだね。いつも君に話しかけるのを邪魔してくるんだ。彼はブラコンなのかな……? 邪魔される前に、さあ行こう」
パーシヴァル様は物腰柔らかだと思っていたら、意外と強引だった。
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